春病み
小狸
短編
四季の中で、最も「死」の印象が強い季節はいつですか。
そんな質問に対して、私は迷わず、春と答える。
春は、何かと新しい事柄が始まる季節として取り沙汰されることが多い。
進級、進学、就職、年度変わり。
一年という括りで見ると、末尾は大晦日だが、なかなかどうして日本という国自体は、年度というシステムで動いているように思える。
その転換点が、丁度春に在る。
ならば前向きな事柄が多いのではないか――と思う方もいるかもしれない。そういう方は、そっとこの文章群をブラウザバックしていただけると良いと思う。
何かが始まるということは、同時に何かが終わるということでもある。
人が就職するということは、誰かが退職するということであり。
誰かが進学するということは、誰かが卒業するということである。
そういう風にして、世の中は回っている。
世の中は、そう簡単な足し算引き算では出来ていない。
何らかの事情で、仕事を続けることができずに辞める者もいる。
何らかの背景で、進学をすることがままならない者もいる。
そうした者がふるい落とされるのも、また、春ではないだろうか。
春は、
社会という枠に入りきらなかった、入ることのできなかった者を
そして篩にかけられ、弾かれた者がどうなるかは――もう言うまでもない。
社会不適合者という言葉が、その全てを物語っていよう。
現代日本では、敷かれたレールの上から少しでも外れてしまえば、もう救われないようになっている。
社会不適合者という烙印を押され、世の中で申し訳なく生きるしかなくなる。
たとえそれが、どれだけ悲惨な過去であろうとも、どれだけ凄惨な背景があろうとも、どんなに辛い体験をしようとも、だ。
綺麗事ではないのである。
ちゃんとできる人と、ちゃんとできない人。
春という季節は、それを仕分ける時期なのだ。
それが、「死」でなくて、何だというのだろう。
これは動物、植物でも同じことだ。
冬眠状態から目覚め、全ての生物が、今まで通り活動できるという訳では無い。
冬眠から復帰するに際して、何らかの欠陥が発覚し、上手く元に戻れない生物だっているはずである。
それは冬眠をしない動植物についても同じことだ。
食糧や栄養を貯蓄し、冬に備える生物もいれば、そこで餓死する生物もいる。
「死」を冬としなかったのは、冬はあくまで凍結――静止の意味合いが強いと思ったからである。
春になり、雪が解け、冬を越せなかった者達が顕在化する。
凍死した身体が解け、柔らかくなり、
そんな印象を持っているからこそ、私は春こそが、「死」に最も近い季節だと思う。
そしてそんな春の、年度末とも言えるこの日に、私がこの文章を残したかったのは、訳がある。
今まで散々言った通り、春は「死」の季節だ。
多くの人が変化を強要され、そこに順応できる者が生き残り、出来なかった者は、無残に後からついていくか、その場から去るしかない。
厳しいが、それが現実である。
現実は、いつだって厳しい。
だからこそ。
そんな中で生きる己自身には、優しくあってほしいと、私は思う。
少しでも良い――毎日満足したことを、手帳にメモするだけでも良い。
駄目でも良い、出来なくとも良い、上手くいかなくとも良い、そんな自分を否定してしまっても良い。
それでもどうにかして、この変化と変遷のままならぬ時代の渦の中を、皆々には生きていて欲しいのだ。
生きて、生き続けて欲しい。
そして叶うならば、幸せになって欲しい。
そう願っている誰かが、この世に存在していることを、どうか忘れずにいて欲しい。
私は、きっと傲慢なのだろう。
世の厳しさを知らぬ愚者として、批評欄で叩かれる未来は見えている。
それでも、今日この日に、これだけは言いたかった。
言えて良かったと、私は思い、この文章を
令和6年の、3月31日のことである。
《Spring Darkness》 is the END.
春病み 小狸 @segen_gen
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