オオカミの皮をかぶった羊

オオカミの皮をかぶった羊 1


 小さい頃から、ずっとずっと透明マントが欲しい。カメラに映って、スクリーンのセンターで輝くことを夢見ているのに、そんな夢の裏側で透明マントを欲しがる自分が居た。ずっと居た。

 芸能人なんてみんなタクシー使っているんでしょ、なんていうのはただの幻想。テレビや雑誌で「オフの日の移動は電車ですよ」なんて言うと驚かれるくらいにはなったけど、それでもまだ私は全然タクシーを交通手段の最有力候補に置けるレベルじゃない。それに、タクシーよりも電車の方がまだマシだ。


 なんて、ぶつかりおじさんの被害に遭った直後に言ったって、説得力はないか。右肩にじんじんとした痛みを感じながらも、なにもなかったですよ、みたいな顔をしてイヤホンの音楽でホームをランウェイみたいにして堂々と歩くのも、もう慣れた。

 ムカつくけど、いちいち声を上げるには日常茶飯事すぎる出来事。やっぱり金髪のときの方が被害少なかったよなぁ、と思いはするものの、今は清純な女子高生を連続ドラマで演じているから、セミロングの黒髪をいじるわけにもいかない。じゃあせめてキツめのメイクにすりゃあいいんだろうけど、歯医者に行くときくらいはすっぴんメガネでもゆるしてほしい。

 こんな風に試行錯誤を繰り返しているなんて、弱い女の子を狙ってぶつかってくるぶつかりおじさんは、一生知りえない事情なんだろうけど。


 こんなことは、芸能人になる前からの日常。知らない男の人にくだらない話でネチネチと話しかけられるし、全然軽いけど痴漢されたことだってある。学生の頃はそんな不条理を受け入れられなくて声を上げたけど、「稲垣さんは可愛いからね、モテるんだね」とか「そういうの自慢になるから、言わない方がいいよ」とか、そういうことを数え切れないくらい言われるうちに、慣れた方が楽なんだなって学んだ。

 そうやって、慣れっこだって自分に言い聞かせて問題を矮小化させて、臭いものに蓋をする度に、やっぱり思うんだ。透明マントが欲しい。電車賃だってちゃんと払うし、電車の中では別に座れなくったっていい。

 ただ、スポットライトの下にいない間くらいは、いや、そうじゃなくても、私の連絡先も知らない人間しかいない空間でくらいは、誰の目にも映っていたくないんだ。

 だって、ただ弱そうだからって理由で無遠慮にぶつかられたり突然怒鳴られたり、ただ女だからって理由で無料の接待を求められたり無許可で触られたり。そんなの、普通に気持ち悪いし、ありえない。


 でもそういうのも全部全部、見えない人からしたら『なかったこと』で『嘘』だと思われちゃうんだよな。吐いたため息がマスクの中で籠る。世界に蔓延したウイルスのせいでマスクも珍しくはなくなったのは嬉しいけど、それでも尚、査定してくるような目が消えることはない。

 その目が嫌なんです、と、仕事で会ったおじさんに言ったことがあるけど、たしか「男の本能なんだから仕方ないじゃん」て言われたんだっけ。「男は女に遺伝子を残したくてしょうがないの。それを受け入れるのが、女の存在意義なの」なんて、令和じゃなくたって許されない持論だろうに。


「そんな本能、ないよ。」同じようなことを言ってくるおじさんに会っても、その顔を殴らずに済んでいるのは、きっぱりと否定してくれる人が居たから。「そんなの、言い訳だよ。自分は理性がないです、本能のままに生きているので人間社会に向いていないですって、認めたくないだけだよ。」

 実際に初めてそう言われたのはここ最近だけど、酢谷はずっと私の違和感を肯定してくれた。『おれ、味がわかんないものでも、最後まで食べるよ』。高校生のとき、初めて酢谷の優しさに触れた。その言葉を聴いた瞬間、私はこの人の何を見ていたんだろうって思った。びっくりして、思わず飲んでいた水で咳き込んだっけ。

 酢谷の言葉は、私に好意を向けているから適当に相づちを打っているような、そんな無責任で乱雑な肯定じゃなかった。だからか、自然と涙が出てきて、私はそれを咳き込みでごまかしたんだ。


 思えば、酢谷は最初から不思議なやつだった。好きだ好きだと人目もはばからず想いを伝えてくるくせに、触れてくるどころか過去の恋愛話なんかを訊いてくることすら無かった。好きな食べ物とか好きな映画を楽しそうに照れくさそうに訊いてくるくせに、誕生日やバレンタインにプレゼントを渡してくることだって無かった。もちろん、ストーカーみたいに尾けてくることだって。

 あぁ、好きでもちゃんと線引きができる人なんだな。それが酢谷への第一印象。酢谷の恋愛感情が偽物だと思ったことは一度も無かったし、そのきらきらした目でバカみたいに愛を叫ばれれば、自然と笑みがこぼれた。私はそれで十分だったし、しっかり告白されればちゃんと断ろうと思ってもいた。



 だって私に、恋愛の機能は搭載されていないから。

 恋愛映画は好き、恋愛小説だって、漫画だって好き。でも自分はできない。スポーツ漫画読んだって、そのスポーツ全部やるわけじゃないじゃん、それと似てる。私に恋愛はできない。したいとも思わないし、自分主軸になると途端に心が動かない。


 人間として必要な機能が、自分の中にはないんだって初めて気付いたのは案外早くて、幼稚園児のときだった。「りおちゃんがすき」。すみれの花を渡しながら舌っ足らずに言ってきた男の子の顔の、りんごみたいに赤さを、今でも覚えている。その子の顔は全く覚えていないのに。

「……え? 」すき、って言葉の意味がわからなかったわけじゃない。私だって、その子のことは好きだった。でもそれだけ。別に口に出そうと思うレベルじゃなかった。

 りんごが好き、紫色が好き、リカちゃん人形が好き、ママが好き。その辺りの『大好き』は口に出したいけれど、別に出さなくったっていい。好きなものとしてあげられればそれでいい。

 好きという感情をわざわざ口に出す意味が、わからなかった。顔を真っ赤にして、私に物を渡そうとしている意味も。「ありがとう……? 」物を貰ったらお礼を言うっていうことはわかっていたから、なんとかお礼を口にしたけど、受け取る気にはなれなかった。子どもながらに、これを受け取ったら『私が欲しくないものまで渡される』と理解していたんだろう。

「でも、おはなはいらない。」そんなつもりはないんだろうけど、私が好きなものを渡すことで、私の感情も貰おうとしているんじゃないか、なんて思っちゃったんだ。

「りおちゃんは、すきな人いないの? 」そんな私の不安を感じ取ったのか、その子はすみれの花を背後に隠しながら、気まずそうに訊いてきた。すきな人? 四歳の私には、意味が理解できない質問だった。いや、三十歳に近付いてもまだ、わからない。


 だって、『好きな』と『人』って、私の中では結びつかない。青い雪とか、緑色の空とか、喋る犬、みたいな。

 そりゃあ、私だって家族は好きだよ、ちゃんと。好きなママならいる。好きなママ、好きなお姉ちゃん、好きなパパ。でも嫌いなママも、嫌いなお姉ちゃんも、嫌いなパパもいる。

 全部ひっくるめて『好きな人』なんて無責任なこと言えないけど、仲良くしたいとかは感じるから、それでいいじゃん。この子の嫌いなところより、この子の好きなところの方が大切だから仲良くしたい。逆に、この子の嫌いなところは私にとって大事な部分だから、できるだけ距離を取りたい。

 いや、でもそういうこととはちょっと違うんだろうなってことは、わかっていた。だって、人を好きってなに? わざわざ言ってくるってどういうこと? 私が知っている、好きとは違う。それだけは感じ取っていて、でも顔を真っ赤にして言ってくれるなら、しっかり真剣に答えなきゃって思ったんだよ。

 だから、幼稚園児の語彙力を全力で総動員させて、なんとか自分の感情を言葉にしたけど、結局その子から返ってきたのは「りおちゃん、へんだよ」拒絶だった。「おかしいよ、すきなひといないなんて。」

 舌っ足らずな倒置法は、何よりも強く私の心を傷付けた。すみれの花を、笑って貰っておいた方が楽だったんじゃないか、なんて思ってしまった。


 結局、柔らかい言葉で傷付けられた私は、頭の中がぐちゃぐちゃになった。布団から起き上がれなくなって、身体中がストーブみたいに熱くなって。あれはたぶん、生まれて初めての知恵熱ってやつだった。

「考えすぎちゃったのね、莉央は。」額に冷えピタを貼りながら、ママは言った。「莉央は、莉香みたいに要領良くないんだから、にこにこ笑っておけばいいの。」四歳の私には、『要領がいい』の意味はよくわからなかったけど、それは心をスプーンで押し潰されるみたいな感覚だった。あれは、嫌いなママだった。



 ママは、昔モデルだった。テレビ局で働いていたパパと出会って、仕事を辞めたらしい。

 若くて綺麗なママは、お姉ちゃんが生まれた途端都会を離れて、東京のテレビ局で働くパパは単身赴任になった。でも別に離婚しているわけじゃないし、一年に一度は帰ってくる。私もお姉ちゃんも小学生になったくらいから、ママも月に一度はパパのところに行くようになったし、夫婦仲はいいと思う。ただ、ふたりの仲が良ければ完璧な家族になれるって、そういう考えの人だったんだと思う、ふたりとも。

『要領が悪い』の意味を本当の意味で知ったのは小学生になってからだったけれど、辞書で調べなくったってママたちの反応を見れば大体はわかったから、いろんなことを人一倍努力してきた。お姉ちゃんについて行って始めたダンスも、歌も、お芝居も。先生が呆れるくらいたくさん質問して、たくさん練習して、たくさん居残りした。それで、ようやく『周りよりちょっと上手い』レベル。もっともっとやらなきゃ、って頑張れば頑張るほど、怪我をしたり熱を出したりした。

 でも、がむしゃらに頑張っている間は自分の『普通じゃない部分』のことを考えずに済んだ。臭いものには蓋をしろ、とは言い得て妙で、ずっと蓋をして目を背けていれば、匂いを嗅がずに済んだ。匂いがしなければ、目を向ける必要もなかった。


 でも、蓋は簡単なことですぐ開いてしまう。「稲垣、好き。」「なぁお姉さん、付き合ってよ。」「小学生でアイドルってまじ? なぁなぁ、何回マクラした? 」「女の子なんだから、もっと水着とか着て、肌出さないと。」「莉央ちゃんは、どんな男の子がタイプ? 」「莉央ちゃんのためにチョコつくったの。女の子だけど、好きなの。」

 同じ気持ち悪さではない。下卑た性欲込みで見られるのは鳥肌が立って殴りたくなったし、女だからと下に見てくる奴らは死ねばいいのにと思った。でも、向けられるものが純粋な好意だったとしても、嫌なものは嫌だった。

 アイドルのときは、まだお仕事だからと言い聞かせられた。挨拶だのお仕事だの言って身体を触られても、訊かれたくないことを訊かれても、お仕事だからって我慢した。

 でも、なんで学校でも、そうじゃない場所でも「恋愛対象」として見られなきゃいけないの? ダンスも歌もお芝居もしたかったからアイドルになっただけだし、もっと言えばテンプレートのような『女の子』になんかなりたくなかったのに。

 ひらひらした服も、ピンク色もハートマークも、別にテンション上がらない。そんなものを身につけたくてアイドルになったわけじゃない。


「でも、アイドルになるって決めたのは莉央でしょう? どんなに嫌なことがあっても、責任を持ってやりなさい。」弱音を吐くことはほとんどなかったけれど、小学校二年生のとき一度だけ辞めたいと言ったら、ママにそう言われた。

 そのときから、責任って言葉が大嫌いだ。自分が始めたから辞めないことが責任なんて、馬鹿げている。でもそれを口にしたら、またおかしいと思われるんじゃないかって怖くて、口には出さなかった。でも悔しかったから、頑張って頑張ってグループ内で人気投票一位を獲得して、その後すぐに辞めてやった。


 ママは事ある毎に、責任とかさだめっていう言葉を持ち出した。女の子に生まれた責任、次女のさだめ。

 アイドルじゃなくても歌って踊って演じる道はあると知った私は、レッスンや養成所に通って、俳優への道を定めた。責任が大好きなママは、わかりやすく眉をひそめていたけど、これが夢だからどうだってよかった。

 でも、アイドルが俳優になったって、あんまり変わらなかった。

 挨拶だって言われながら身体は触られるし、水着は着させられるし、恋愛関係を演じたらリアルでも恋愛関係を強いられることもあった。演技とリアルの見分けもつかないなんて、プロの風上にも置けないんだね、なんて、そんな大言壮語はさすがに言えなかったけれど、やっぱりイライラした。


 なんでみんな、人と必要以上に関わろうとするんだろう。なんで深く知りたいなんて思うんだろう。恋愛映画も少女漫画も好きなのに、そんなことを思ってしまう自分がなによりも嫌だった。

 私は私に一生懸命で、他に目を向ける余裕がなくて、自分を愛したいって必死なのに、みんなが当たり前にそこを乗り越えて人を好きになれる意味がわからなかった。なんで? 自分を愛するのに必死じゃないの?


 まぁでも、結局私はずっと周りで『普通に』生きている人たちが羨ましかっただけなんだと思う。他人から干渉されることを楽しめて、好意ひとつを言い訳にして他人に干渉できる人のことが、羨ましくて羨ましくて、仕方がなかったんだと思う。

 セクハラも笑って受け流すことができて、女の子の責任を自覚できて、求められたままに振る舞えて、それを自分の幸せだと思えたら。常にカメラを向けられていると思って、求められる姿を脚本通りに演じることができたなら。

 ないものねだりはぐるぐると円のように回って、でもおいしいバターにはなってくれなくて、ただ自意識だけが高い、生き方が下手くそな人間ができあがった。

「みんないろんなことを我慢してるの。ママだって、モデルを続けたかったけど我慢したの。莉央も我慢して、女の子らしくしなさい。」傍から見ても、私の生き方は下手くそだったらしく、ママは口を酸っぱくして私にそう言った。その言葉は、道無き道を必死に歩いて自分を愛そうとしている私の心を折るには十分すぎる威力で、そのたびに全部を諦めようと思った。


 だって私の望みはいつだって曖昧だったから。男の子になりたいわけじゃない。恋愛が嫌いなわけじゃない。人が嫌いなわけでもない。

 レディースのファッションを可愛い、着たいとは思うし、恋愛映画や小説はきゅんきゅんする。この人と仲良くなりたいとも思うし、面白い人だなと思うこともある。映画を観て、素敵な恋だなと思うこともあるし、私が演じるならこう演じてみたい、と想像のカメラの前で演技することだってある。

 でも、それは私じゃない。リアルの稲垣莉央の生活にはいらない、ほしくない。私にとってそれはわがままじゃなくて、この色の服は心惹かれないし似合わないから着ないとか、レストランに行ったとき気分じゃないものは頼まないみたいなことなのに、周りからしたら違うみたいだった。周りからしたら「恋愛をしたくない」という選択はわがままで、校則に抗って制服を着ていないとか、好き嫌いをして残しものをするみたいな部類に入るらしい。

 別に死にたいほどじゃないけど、ずっとそうやって「あーあ、嫌だなぁ」って気持ちがあった。中学生になって、モデルや俳優の仕事をちょこちょこしながらも大成はしなくて、ママはモデル一本で将来を掴みつつあるお姉ちゃんに付きっきりになるようになって、ひとりでご飯を食べることが増えた。


 ひとりで食べるご飯は味がしないけど、完璧なプロポーションを維持し続けるためには必要だから欠かせなくて、でも全然楽しめなくて、むしろ苦痛だった。その苦痛は食事以外でも侵食してきて、眠りも浅くなったり、なんかイマイチ集中し切れないことが増えた。

 一番怒られた回数が多かったのも、中学生の頃だと思う。体重も増えたし、肌も荒れた。保健室の先生なんかは、「思春期の勲章よ」なんてドヤ顔で言っていたけれど、お姉ちゃんにはないものだったから、勲章なんてただの言い訳だと思う。

 あぁ、ていうか、中学の頃は思い出すだけで寒気がする。忘れたい、なかったことにしたい。

 告白してきた同級生と試しに付き合ってみたこともあった。そうするのが普通と言われたから、下校も一緒にした。周りからはやし立てられるのは嫌だと言えば、次の日には根も葉もない噂が黒板にでかでかと書かれていた。

 そのとき、ようやく「人と関わりたくないならできる限り関わらない方がいい」っていう当たり前のことに気付いた。不毛な人間関係なんて、未来の足枷にしかならないだろうし、くだらない腹の探り合いが役作りに繋がるとも思えない。そんなことに時間を割くくらいなら、名優たちの名演技を目に焼き付けておいた方が絶対身になる。


 自分が普通じゃないってわかっていたから、ひとりの殻に閉じこもっているのは楽だった。日常生活では芸能人もどきだから一線引いてるって思われて嫌われたり、お仕事では二世だから高飛車だって思われて距離を取られたりしたけど、無理に踏み込んで踏み込まれて汚されるよりはマシだった。

 そうやって、まっすぐまっすぐなりふり構わず走っていたら、いつの間にか高校生だった。進学先なんてどこでもよかったけど、自宅から通えるぎりぎりの距離の高校にした。中学時代の私のことなんて、誰も知らない場所に行きたかった。

 大した仕事もできていなくて、ママもパパもお姉ちゃんもいない入学式に出て、好奇の目にさらされて、今ここに透明マントがあればいいのになんて、子どもの頃からずっと思っている願いをまた星に向かって投げつけた。



「すきッ!」でもやっぱり、神様なんていないらしい。私はあのとき、どんな照明より眩しい目に映された。今まで私を照らしてきた照明より明るくて、どんな愛の台詞より無垢な言葉が、私を強制的に舞台へと駆り立てた。

 恋の舞台という、上がりたくもなかった舞台に。「お、おれ、あなたが好きです! 」教室のど真ん中で、脇目も振らずにバカみたいな大声で言うこいつは、昭和のトレンディドラマから這い出てきたのかと神経を疑った。今どき、恋愛映画でも大声で愛を叫ぶなんてチープな表現のひとつとされる。なのによりによってリアルで、しかも初対面で。

 いよいよ本気でヤバいやつも引き当ててしまったのか。酢谷の第一印象は間違いなく、健やかなまでの嫌悪だった。

 周りが色めき立つのがわかる。こいつには見えていないのか? 恋をすると周りが見えなくなると言うけれど、こいつもそうなのか? じゃあこの場に立たされていることを嫌がる私の顔も見えていないのか? なんなの、ほんと、まじで、最ッ悪。

「友だち……に、なってくれたら、嬉しいです。」最ッ悪……だったのに、少し拍子抜けしちゃったのは、そいつがそんな腑抜けたことを言うから。付き合ってください、とか、デートしてください、じゃなくて、『友だち』。しかも許可制。なんで? 初対面の相手に大声で告白するくらいの盲目さがあるのに、なんでいきなり相手を思いやるみたいな振りするの?


 怖い、と思った。こいつの言動は理解できない、わからない。わからないのは怖い。私が自分のことに精一杯なのも、怖いから。こんなに悩んでいても、わからなくて怖いから。

 わからなくて怖いものからは、距離を取って他のことに熱中して忘れるのが一番。今までの人生からそう学んでいたから、酢谷とはできる限り距離を取った。でも酢谷はしつこくて、毎日私の視界に入り込んできては愛を告白してきた。名前を呼んで、きらきらと輝いた目に私を押し込んで閉じ込めた。

 そんな純粋で綺麗な好意に溢れた視線よりも、私は暗く澱んだまとわりつくような視線の方が気になっていた。


 伊藤夏生。太陽みたいに輝く視線の後ろで、じっとこちらを睨みつける蛇みたいな視線が、私にとっては心地よかった。

 だって、生まれて初めてだったから。この人は私にほんのちょっとの好意も向けていない。それどころか、異性として意識すらしていない。

 幼い頃から『一線を引きながらも、イメージ維持のために他人に好かれるように』生きてきた私にとって、伊藤の視線は新鮮そのものだった。「恋愛映画なんて、安っぽい感動的な音楽とキスシーンを織り交ぜただけの、女優の顔面と胸だけを撮ったご都合主義動画だろ。あんな映画とも呼べない代物の、どこに魅力を感じてんだ。」

 ゾクゾクした、高揚した。カメラを向けられて役に入り切った、ある種のゾーンに入ったときよりも、ずっとずっと鳥肌が立った。

 でも同じくらい、寒気もした。こいつは容赦なく場を壊せる人だ。自分を通すために、場の空気を踏み荒らせる人だ。「は? 」そうありたいとどこかで願いながらも、やっぱりそれをしたらこうなるのだという現実が周りに漂っていて、ひどく足がすくんだ。

「なにそれ。教室の空気ぶち壊しておいて、クソみたいな自論垂れるために起きたの? 」それなのに、口から出た言葉は自分から出たとは思えないほど汚くて素直な言葉だった。感化されている、すぐにそう理解し、高揚が更に増した。

 ときめき、なんて感情、今までこれっぽっちも理解できなかったけれど、初めて片鱗を掴んだ気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る