冷雨の東海道線

@Tomokichi-novel

第1話 乗組員

 秋の終わりの激しい冷雨が、無機質な電車の車体を濡らす。


「レピーター・点よし。時機よし。」

ホーム係員の掛け声とともに、一斉に電車のドアが閉まる。


「車側灯、滅。 後方・ホームよし。」

流れるように、運転手の確認作業が進んでいく。


 私の乗った電車は、始発であるJR東海道線・小田原駅を定時に出発した。



 JR東日本の各線の乗組員として働き始めて、もう2年と半年が経とうとしている。私は幼い頃から電車を見たり、写真に撮ったりすることが大好きな、いわゆる「女子鉄」というやつだった。


 夢は小学校の頃から変わらず、「車掌さん。」しかし、それが実際に叶ってJRの職員として働くようになってからは、不思議なことに電車への執念のようなものは少しずつ薄れていくように感じていた。


 それはおそらく、娯楽として関わっていた鉄道が、今度は実際に職業としての関わりに変わったことで、心の中でもその興味や関心が、徐々に責任感や義務感へと転化したためであると思われる。


 もちろん、職員となった今も変わらず電車は好きなのであるが、日々の業務も2年経つとどうしても代わり映えないルーティンとなるものである。私は今日も、4か月ほど前から異動となったJR東海道線~宇都宮線をつなぐ電車に乗り、淡々と業務をこなしていた。


 私が現在乗っているのは、鉄色の車体の真ん中を橙と緑の線が貫いている、15両編成の電車である。神奈川県西部の小田原駅から東京・上野を経由し、終点は栃木県の小金井駅までを南北に長く繋いでいる。


 今日は運転手ではなく、乗組員としての業務を行うことになっていた。内容はさほど複雑なものはない。まず第一には、電車の発着時に運転手と共に行う安全確認の作業。そして、主にカメラでの電車内の巡回と、「グリーン車の点検作業」であった。


 小田原駅から小金井駅を長く結ぶこの電車内には、15両の内2両分だけ、「グリーン車」が存在する。そこに乗車するためには当然、通常の乗車券に加えて「グリーン券」を購入する必要がある。料金は距離や曜日によって異なるが、だいたい700円から1200円くらいの間である。


 グリーン車の点検作業は主に2つの内容に分かれている。1つは、車内でグリーン券を購入したい乗客を対応すること。(事前にホームなどで購入した方が安くはあるが、最悪時間がない場合などは車内で購入することも認められている。)そしてもう1つは、グリーン券を購入せずにグリーン車の席に座っている者、またはグリーン車のデッキに立っている者(デッキに立っているだけの場合でもグリーン券の購入が必須である)を見つけ、グリーン券の購入を促したり、場合によっては注意喚起をすることである。


 特にこの「グリーン車の点検作業」については最近、上層部から特に注意をもって行うようにと、車内メールを通してお達しが来ていたのであった。悪意のある・なしに関わらず、最近はグリーン券なしでデッキに立っている乗客が多くなっているのだという。もっとも、現場の私から見ると、その人数が増えたようにも減ったようにも感じることはなかったのだが。


 乗組員にとって、この「グリーン車の点検作業」は少し億劫なものであった。それもそのはず、主に不正に乗車をしている乗客に対して注意喚起を行うのであるから、多少の小言を言われることもしばしばあるわけである。


 「ええ!? 別に私、席に座ってないじゃない。ドアの前の通路に立ってるだけよ。それで別のお金を取るの?」

「大変申し訳ございませんが、こちらに記載の通り、デッキや通路にお立ちの場合もグリーン車内では料金を頂戴しております。」

「まったく、融通も何もあったもんじゃないわね。」


 とまあ、こんな具合である。


 そして今日も一人、この「点検作業」に引っかかった乗客が現れたのだった。



「佐貝さん、これ、見て。6号車デッキだ。行ってきてくれる?」

先輩社員の車掌が私に声をかける。その視線の先には6号車デッキのカメラの映像。


 カメラに写っているのは、ベビーカーを連れた、おそらく30台半ばくらいの、比較的若めの男性であった。先ほど到着した横浜駅からグリーン車両へ到着したものと思われる。


 ベビーカーを連れているということは、結婚もして、子どももいるような男性であるということだ。悪意があって無断乗車をしている線はかなり薄いように思える。間違って乗ってしまったのであろうか。ぼんやりと思考を巡らせる。



 

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