第一章 エクソダス
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釘宮裕久総理が「文元8(2060)年阿蘇山中岳噴火」被災地の視察に赴いたのは、7月18日のことだった。
7月6日、阿蘇山――阿蘇カルデラの中央火口丘である中岳が、近年にない規模の噴火を起こした。
早朝のことだった。前日から続いた火山性微動が大きくなり、火口から立ち上る噴煙の量が増えていった。やがて火山ガスは火口の蓋を突き破って、火山灰と火山弾を高く噴き上げた。
噴煙の高さは一万メートルを超し、火口からは大量の溶岩が溢れた。溶岩はカルデラ内に拡がる阿蘇市の草原や牧場を埋め尽くし、いくつかの集落を焼き払った。火山灰は風下に当たる大分県の竹田市、豊後大野市などに降り積もり、甚大な被害を与えた。
高く吹き上げられた火山灰は偏西風に乗り、首都圏にまで降った。灰で白くなった車のボンネットやアスファルトの道路は、東京のひとびとを驚かせたのだ。
火山灰や溶岩の噴出量は、江戸時代一八世紀に発生した「天明の浅間山大噴火」に匹敵すると推定された。
折悪しく、噴火直後に梅雨末期の豪雨が九州を襲い、山肌に降り積もった火山灰を流出させた。火山灰の
市街地になだれ込んだ大規模な土石流などで、噴火後数日で三百人もの死者が発生した。火山災害の規模としては、二一世紀の日本では最大クラスのものである。
朝方、総理はリニア新幹線で東京を発った。大阪より西、淡路島と四国を経由して豊予海峡を通り、博多に至るまでの路線が開業したばかりである。
2時間後、大分駅に到着した総理は、駅近くの発着所に待機していたティルトローター機で被災地上空まで飛んだ。気象庁の平川知美火山機動観測管理官に案内されて、南阿蘇村の溶岩で埋め尽くされた集落と、豊後竹田市の土石流被災地を上空から巡察した。
かつては牛が放牧されていた高原は、あたり一面ゴツゴツした溶岩に埋め尽くされ、いまだにあちこちから水蒸気が上がっている。
浅間山の天明噴火で地上に現れた「鬼押出」が、この阿蘇山にも出現していた。
泥流が流れ下った流域を見る。流失した鉄橋や黒灰色の火山泥流に埋まった家々。建物を押しつぶして、あたりに点在する大きな岩や根こそぎされた木々は、土石流とともに上流から流れてきたものだ。
中岳火口から昇る噴煙は、低く垂れ込める雨雲に隠されて見えないが、いまだに阿蘇山の外輪山内部は立ち入り禁止区域になっている。
豊後竹田で作業服姿の総理は、県知事や防災担当大臣と合流した。
「ようこそ、おいでくださいました」
同行するクワシ県知事は、ティルトローター機から降りてきた総理へ手を差し出した。彼はカメルーン系。サッカー選手だった父に連れられて来日したことが縁で日本に定住、帰化し、政治家への道を歩んだ。釘宮は応援演説などで何度か顔を合わせていた。有権者には気さくな人気者であると同時に、なかなかの政治手腕の持ち主だというのは知っている。
「ありがとう」
手を握り返す。釘宮は態度には出さなかったものの、黒い肌の首長にそこはかとない違和感を覚えてしまう。しかしそれは、自分が古い人間であることを自白するようなものだ。
いまや政治家になるには肌の色や出自、ましてや家系ではなく「RA」がものを言う、というのは分かっていたが――。
ワゴンに乗り込み被災地へ向かう。すでに自動運転車が普及していたが、VIPが乗車する車は人間が運転する。「不測の事態」を警戒してのことだ。
「酷いな」
走り出すと、車窓に目を遣って、総理はぽつりと言った。
市街地だったところは、泥と岩石の荒野がいちめんに広がり、その面影はまったくない。所々に突き出た鉄骨や、土砂に混ざった木材や家具の残骸だけが、ここがかつてひとが住んでいたところであることを物語っている。
「膨大な火山灰が山肌に降り積もり、一気に流れ出ました。その厚さはところにより数メートルに達しています。土石流の発生は、今後数年間は続くと思われます」
同行した伊沢玲子防災担当大臣は首相に話しかける。
伊沢は東京工業大学で地球科学を専攻し研究者への道を歩んでいたが、政治家である父が急死し、後援会に乞われて政界入りした。一貫して文教畑を歩み、前の内閣では文部科学大臣を、いまの内閣では防災担当大臣として入閣している。この国の政界には珍しく科学技術に明るい人物という定評がある。
「この地域での、集落の再建は困難かと思われます」
「うむ……これでまた、立ち退きをせねばならないか」
総理は厳しい表情をした。
二一世紀中盤になって温暖化はいよいよ進行し、気候変動は甚だしくなっていった。梅雨末期の集中豪雨や夏場のゲリラ豪雨、大型台風の襲来により、日本列島は毎年のように災害に見舞われた。そのたび道路や鉄道路線のような地方のインフラはダメージを受け、修復は追いつかない。破壊されたまま放置されている鉄道路線や道路が、地方では珍しくない。
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