35:金の指輪
会場内は緊張が極限まで高まり、呼吸の音さえ聞こえないほど静まり返っていた。
スペイドは全員から注目される中、冷静に状況を分析していた。
賊の方を見据えたまま、声をひそめてクロヴァの背中に言う。
「奴ら、会場まで辿り着いたにしては動きが雑だな。――引き入れた裏切者がいる」
「私も同様の考えです。ブルーダー公爵が見当たらないかと」
クロヴァは賊に警戒の目を向けながら返答した。スペイドは背後の貴族集団を、表向きは心配そうに見やりながら、ひとりひとりの顔を確かめる。
その中にはクロヴァの言う通り、ブルーダー公爵の顔がない。
公爵は先王の弟、スペイドの叔父にあたり、宰相を務めている。スペイドに子がいないため、現在は彼が王位継承権第1位となっている。
スペイドは口角を上げて喉の奥で笑う。
「なるほど、玉座を忘れていない、というわけか。しかしなんとも、行動力と決断力だけはある公爵らしい計画だな。我が騎士団長が王都から離れた隙を突いたつもりだろう。……どう守る、騎士団長殿」
スペイドが楽しそうな声で問うと、クロヴァは肩越しに真剣な声で報告する。
「相手は少なくとも30人、会場内の騎士は10人、貴族は50人。狭い会場で混戦になると守る側が不利になります。特にこのような円形の陣で、敵が放射状にいるとなると、全員の命の保証ができません」
絶望的な回答に、スペイドはわざとらしく困った声を出す。
「貴族がひとりでも傷付けば、俺を玉座から引きずり下ろす材料になる。先程ジルコニアから守った『評判』が、またも危機だ」
「この状況では陛下と聖女様の避難が最優先です。それでよろしいですね?」
「それは嫌だな。敵前逃亡は『評判』が下がるだろう」
ダンッ
壇上の賊は大きく足を打ち鳴らした。
「こそこそと何を話している! さっさと答えろ!」
賊はいらだちを隠さずに剣を前に構え、力強く言い放った。
「王の命か、貴族たちの命か、選べ! これ以上沈黙するのなら両方の命を奪う!」
スペイドは賊の言葉が聞こえていないかのように、悠長な動作で懐に手を入れる。取り出したのは細かな装飾のついた金の指輪だった。
それを指にはめ、目の前に立つクロヴァを押しのけながら言う。
「あとは頼んだぞ、クロヴァ」
「何を――」
前を向いていたクロヴァは、すれ違いざまにスペイドの指にはめられている指輪を見て、瞬時に意図を悟った。
スペイドは数歩前に歩み出た。会場内の全員の視線が彼に集中する。
指輪をはめた手を高々と掲げ、指を鳴らすと、黄金でできた立方体が空中に現れた。
スペイドはそれを掴み、良く通る声で言った。
「これが我が国の
表面に細かな装飾のある立方体は、会場の明かりを反射して輝く。
スペイドは振り返り、周囲にいる賊の注目が自分に集まったことを確認して続ける。
「さあ来い、早い者勝ちだ。玉座の座り心地を知りたくはないか?」
わずかな間を置いて、近くにいた賊がスペイドへと飛びかかった。それを皮切りに、賊が一斉にスペイドめがけて突進した。
凶刃がまさに彼に届こうとしたその瞬間、刃ごと腕が切り落とされて空中を舞った。直後、複数の賊が悲鳴を上げながら血を噴き出した。
クロヴァが剣を振るい、スペイドへと襲いかかる賊を次々と斬り伏せていった。スペイドはクロヴァの剣さばきに巻き込まれぬよう、彼の動きに合わせて素早く位置を変えて避けた。
10人倒れたところで、圧倒的な力量差に賊の勢いがそがれた。
スペイドは再び金の立方体を突き出し、手をひらひらさせて挑発する。
「なぜためらう? 国を手に入れたくはないのか?」
残った賊たちは雄たけびを上げて、再びスペイドに向かって襲いかかった。しかしそれらの攻撃は、クロヴァの剣技によって次々と防がれ、賊は1人また1人と床に伏せていった。
やがて最後の1人が死体の山に沈んだ。
壇上の賊は失敗を悟り、数歩後ずさってから開いたままの扉の方へ走って行く。
「逃すな、追え!」
スペイドの鋭い号令に数人の騎士が一斉に走り出す。ほどなくして、逃げた賊が捕らえられたとの報が届けられた。
スペイドは落ち着いた態度で貴族たちに向き直り、力強い声で語りかけた。
「皆、屈することなく勇敢に耐えたこと、敬意を表する。脅威は完全に排除された」
その言葉に、貴族たちの顔にはほっとした笑顔が広がり、お互いに安堵の気持ちを分かち合った。スペイドは言葉を続けた。
「どのような困難も、我が国は一致団結して乗り越えてきた。今宵、ふたたびそれが証明されたことを誇りに思う。我々が共に立ち向かえば、恐れるべきものなど何もない!」
会場は大きな拍手に包まれ、貴族らの顔には共に乗り越えた試練への達成感が浮かんでいた。スペイドはひとりひとりと目を合わせ、その勇気と結束を讃えるように頷いた。
その後、貴族たちは別室に移された。そしてそこから、それぞれ数名の騎士に守られながら帰路につくこととなった。
スペイドは会場の出入口に立ち、招待客全員が移動したことを確認すると、室内を振り返った。
視線の先には、死体の山の前で数名の騎士と会話するクロヴァの姿があった。片付け作業は朝を待って行われる予定で、その計画を立てている。
スペイドは腕を組んでドア枠にもたれかかり、その様子をぼんやりと見た。今宵はジルコニアによる扇動とその後の襲撃で心身ともに疲弊しており、このまま自室へ帰る前に少し頭を休めたいと思った。
クロヴァはスペイドの視線に気付くと、部下に何かを指示してから彼のもとに行った。彼の服には返り血がべっとりとついていたが誰も気にしていない。
30人を相手にした後のクロヴァはさすがに疲れた様子だったが、彼は真面目な顔をして言った。
「陛下、無茶はおやめください」
「また説教か」
スペイドはうんざりした顔で指輪を再び取り出し、これ見よがしに指へはめて言った。
「やつらの意識がコレに向いて群がってきたから、お前は対処できた。貴族らには傷ひとつない。目論見通りだ」
「目論見そのものが無謀だと言っているのです」
真剣な表情でスペイドをいさめるクロヴァを、スペイドは面倒くさそうな目で見やる。
「あの程度の賊にお前が負けるはずないだろう」
「国王自ら囮になるなど言語道断です」
「まるで忠臣のような口ぶりだな」
スペイドは皮肉を込めて、視線をおおげさにそらし、肩をすくめながら冷ややかに笑った。深い意味はなく、つい口から出た言葉だったが、あるいは彼をさらに傷つけて少しでも何かを得たかったのかもしれない。
怒られるか、軽蔑されるか、いずれにせよ文句のような言葉が返ってくるだろうと期待した。
しかしクロヴァからは何も返事がなかった。
呆れて声も出せないか、と思い見ると、彼は驚きと困惑を隠せない表情でスペイドの方を見ていた。そして、顔をそらして苦笑した。
「……そうですね、私にはもう、あなたへの忠誠心はないのでした」
自嘲、という意外な反応にスペイドは戸惑った。
クロヴァは目を伏せて続ける。
「私はすぐに生き方を変えられるほど器用ではありません。それに……あなたへの小言も私の職務の範囲です」
スペイドはその答えに、「そうか」とだけ答えた。揶揄する気にはなれなかった。
2人の間には、かつて築き上げた絆が、苦痛を伴いながら微かに存在していた。
それが傷跡のように痛々しくも塞がっていくのか、流れる時が流水のごとく溝を削り広げていくのか、それは誰にもわからなかった。
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