第19話 蝶のヴァンパイア 対 サントエルマの影の使い手

「あなたたちは、こっちへ来なさい」


 ポーリンはささやくようにそう言うと、古代の失われた強力な呪文を口にした。フィラーゲンにも理解できない、彼女のみに許された“影の魔法”を操る呪文である。


 地をう獣のように素早く、彼女の影がトレントとカイ・エモの方へ伸びた。それは、発光体によって作り出される影とは明らかに異なる、自然ならざる影だった。


 ポーリンの影がトレントの足元まで届くと、とぷん、と闇に飲み込まれたかのようにトレントとカイ・エモの姿が消えた。


 ポーリンは振り返り、影を全然別の場所へと伸ばす。そして、彼らの存在を引きずり出そうと念じた。


 ほどなく、彼女の影が大きく膨張して立体化し、そこに巨大なトレントが姿を現した。


 何が起きたのか全く理解できない化け物たちをしり目に、ポーリンは炎を操る魔法の呪文を口にした。


 トレントのふところで炎がさく裂し、そのまま後方へと吹き飛んだ。


 トレントの肩に乗っていたカイ・エモも、いま起きたことの全貌ぜんぼうが理解できないままにトレントから振り落とされた。


「何……?」


 恐るべき女魔法使いの姿を視認しようと振り返ると、つい先ほどまでいたはずの場所に、ポーリンはもういなかった。


 樹幹じゅかんに炎が燃え移り、悲鳴を上げるトレントのすぐ足元の影から、音もなくポーリンは姿を現した。


「あなたに恨みはないけれど、こうするしかないと思う。ごめんね」


 ポーリンはさらに強力な灼熱の炎を呼び出す呪文を口にし、トレントの全身は炎に包まれた。トレントの苦悶くもんは長く続くことはなく、その強力な火力によってあっという間に炭化していた。


 まだ火の残るトレントの亡骸なきがらから炎を踏み分けて、ラザラ・ポーリンが姿を現した。


 そして、蝶の羽によって空に舞っていたカイ・エモをにらむ。


 ほとんどの場合において無表情であるカイ・エモも、このときばかりは驚きに目を見開いていた。


「サントエルマの森の魔法使いというのは、こんなに強いのか……あるいは、あいつが特別なのか」


 ぶつぶつとつぶやく。


「……だが、注意すべきは、『影』だな」


 彼は自らの影を確認した。


 沼の上で白く光る発光体とほぼ同じ高さに浮遊しているため、地上に映る彼の影はない。この高さにいる限りは、影を操るあの不思議な術もきっと無力だろう。


 カイ・エモはその場にとどまり、数百匹からなる蝶の一群を召喚した。


「世にも珍しい、吸血蝶。行くがいい」


 血に飢えた化け物蝶たちは、渦を巻きながら獲物を求めてポーリンへと襲いかかった。


 その大きな頭と、牙のようなものを見たポーリンは、汚らわしいものを見るような冷たい目になった。


「蝶にしては、品がないわね」


 複雑な呪文を流れるように唱え、目の前に炎の壁を生み出す。


 炎に飲まれた吸血蝶たちは、あっという間に全滅した。


「おお……」


 カイ・エモは、その華麗で力強い技に目を見開いた。


「直接近づけば、影を捕らえられ、蝶を送り込めば、炎で焼かれる」


 彼にとって絶望的な状況であるはずだったが、どういうわけか彼の目はうるんでいた。


「完璧なる攻防一体じゃないか……美しい」


 炎の壁が引いたあと、争いの中にも気品を感じるたたずまいを直視し、突然の胸の高まりを感じていた。彼よりいくらか年上のようだが、まじまじと見れば美しい女性だ。


「なんだ、この息が詰まるような感覚は……これが、恋なのか?」


 人間的な感情をめったに感じることがなかったカイ・エモにとって、それは新鮮な感覚であった・・・すでに人間であることをやめてはいるが。


 うっとりと、ポーリンを見つめる。


「ああ……あの人の血は、本当に美味しそうだ。ぜひ食事したいなあ……」




 ラザラ・ポーリンが”影の魔法”を持ち帰って、七年のときが過ぎていた。


 彼女もいまや30歳―――魔法使いとしての力は、その絶頂期に向かおうとしていた。影の魔法ではもちろんのこと、今では火の魔法でも彼女に敵うものはいない。次代のサントエルマの森の長の、最有力候補でもあった。


 カイ・エモがぞくぞくするような感覚を覚えながら熱い視線を送っているとき、ポーリンは勝つための方策を頭に巡らせつつ冷たい視線を返していた。


「空を飛んでいるところが少しやっかいね―――と、ふつうだったら思うのでしょうけど」


 彼女は戦い方を決めた。


「はやく終わらせようかな」


 ポーリンは再び流れるように複雑な魔法の呪文を唱えた。全く知らないものが聞けば、異国の歌のように聞こえるかもしれない。


 手のひらに大きめの火の球が現れ、それは轟音ごうおんとともにカイ・エモの方へ投げつけられた。


 カイ・エモは不意を打たれたが、俊敏しゅんびんな動きで滑らかに攻撃をかわした。


「こんなもの―――」


 どうということはない、と言おうとした矢先、彼を通り過ぎて空高く舞い上がった火の球が爆発した。カイ・エモは手で目元に影を作りながら、火の球が爆発した方へ視線を向けた。そこには、まるで新しい太陽のように燦然さんぜんと輝く光があった。


 黒い沼全体にまばゆい光が降り注ぐ。


 その圧倒的光量に目がくらんだカイ・エモだったが、次の瞬間敗北を確信した。新たな太陽は、彼の影をしっかりと大地に焼き付けているだろう。


「捕まえた」


 ポーリンの影が走り、カイ・エモの影を捕らえた。


 そしてさらに難度の高い呪文によって、カイ・エモの本体を影へ移動させ、地上へ引きずり出した。


「そろそろ”太陽”が消えるから、じゃあね。吸血鬼さん」


 完全なる敗北であったが、不思議と心は安らかだった。


 再生を許さぬ業火ごうかがカイ・エモを焼き、かつて<蝶のドルイド>と呼ばれた存在は炭となって消えた。



◆◆◆◆◆


<主な登場人物>

クレイ・フィラーゲン 人間離れした竜のような風貌の男。<白髪の美丈竜>の異名を持つサントエルマの森の魔法使い。


コノル 村を襲撃され、姉を連れ去れれた少年。襲撃者を目撃した者。ドルイド見習い。


ドルヴ・レビック <黒い森>を管理する七人のドルイドの長。厳めしい表情そのままの、厳格で頑固な性格をしている。樹木のドルイドの異名を持つ。<黒い森>の探索に、ひとり向かった。現在に至るまで、消息不明だったが、黒い沼での戦いのなかでカイ・エモに血を吸われ死亡。


カイ・エモ 第二階位のドルイド。亜麻色の髪を持つ若い青年。蝶のドルイドの異名を持つ。ロスロナスに心酔し、人間としての道を捨てた。


アビー・カーディン 第三階位のドルイド。レビックと同年代の古参。コノルの祖父。苔のドルイドの異名を持つ。


ニカ・マルフォイ 第五階位のドルイド。唯一の女性ドルイド。独特の上目づかいが特徴。キノコのドルイドの異名を持つ。若いころ、魔法使いに憧れていたこともあり、ドルイドたちの中では最も魔法に詳しい。フィラーゲン、コノルとともに<黒い森>へ入る。


ヴァンパイア・ロード ヴァンパイアたちの主。人間のころの名をロスロナスという。かつてサントエルマの森でフィラーゲンと共に学びし者。


ラザラ・ポーリン サントエルマの影の使い手の異名を持つ女性魔法使い。

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