第18話 混戦

 一瞬前までロスロナスが浮かんでいた空間を、根っこから引きはがされた若木わかぎがぐるぐると回りながら横切る。


 若木はそのまま、一組のヴァンパイア・ガールとマッド・ゴーレムが戦っている場所を直撃し、地面をえぐりながら転がっていった。


 ゴーレムとの闘いに気を取られていたヴァンパイア・ガールはその直撃をくらった。傷つき押され気味であったゴーレムはその機を逃さず、両の手で拳をつくり、木の下敷きとなった哀れな吸血少女にとどめをさした。


 一瞬の隙をつかれた出来事に、ロスロナスは悔しそうに舌打ちをした。そして速やかにゴーレムに火の球をぶつけ、破壊した。


 息つく間もなく、ロスロナスにトレントの触手が襲い掛かった。


「化け物め、森をめちゃくちゃにしよって……殺してやる」


 憎しみに満ちた言葉をレビックは投げかけ、そして視線をフィラーゲンに向けた。吸血鬼を葬ったあと、異国の魔法使いも血祭りだ。


 レビックの念をうけ、トレントも他に例を見ないほどに狂暴化していた。


 むちのように振るわれる無数の枝木を、人間のときよりも遥かに強化された動体視力で華麗にかわし続けたロスロナスだったが、巨大なトレント相手に攻めあぐねていた……というよりは、時を待っていた。


 怒りと憎しみにとらわれ、視野は狭く、視界は血の色ににじんでいたレビックであったが、ふと気が付くと、一匹のちょうが目の前を舞っていた。


 目まぐるしく進行する激しい戦いのなかの、ほんのひとこまの出来事に過ぎないはずであったが、レビックの目には蝶の動きがとてもゆっくりと、はっきりと見えた。まるで何十年もの時をそこに凝集したかのように……


 夜の戦場を華麗に舞うピンク色の蝶を目で追うレビックの耳に、聞き覚えのあるささやき声がした。


「ドルヴ・レビック、<黒い森>のドルイドの長よ……いままでおつとめごくろうさま」


 振り返ろうとした刹那せつな、首元に強い痛みを覚えた。


 <蝶のドルイド>であった男が、彼の首元にかみついていた。


「……カイ・エモ?」


 事態の推移を理解することができぬまま、ドルイド長が最後に見たのは青白い美青年の冷たい顔であった。


 ドルヴ・レビックは吸血され、干からびて死んだ。


 からからになってしまったドルイド長の死体を投げ捨て、口元をぬぐいながらカイ・エモはつぶやいた。


「すごく美味しいかというとそうでもないけど……ドルイドならではの貴重な力を感じる」


 ヴァンパイアとなったカイ・エモの背に、蝶のような美しい羽が生えた。白とピンクと黒が混じり幾何学模様きかがくもようを描く大きな羽だ。


「……たしかに力がみなぎるよ、ロスロナス卿」


 そうして、両掌りょうてのひらを広げると、そこから無数の蝶たちが現れた。


 蝶たちは周囲を舞いながら、興奮して暴れるトレントを幻惑した。怒れるトレントの顔が一瞬、とろんと眠たそうになる。


 枝木を鞭のようにふるいロスロナスに襲い掛かっていたトレントは、その動きを止めた。


「いい子だ」


 カイ・エモは満足そうにつぶやいた。


「僕たちの新しい敵は、あの魔法使いだ」


 トレントに再び活気が戻る。その怒れる表情はフィラーゲンに向けられた。


 カイ・エモと、その支配下となったトレントの横に、ロスロナスが空を舞いながら並ぶ。そして、ゴーレムたちとの死闘を経て、傷つきながらも敵を倒した三体のヴァンパイア・ガールも再びロスロナスの周囲に舞い戻った。


 六対一ろくたいいちだ。


 圧倒的優位を確信して、ロスロナスは勝ち誇ったようなまなざしで、旧友を見下ろした。


「さあ、最終局面だぞ、フィラーゲン」


「ううむ……」


 フィラーゲンは困ったように頭をかいた。


 彼が相対するのは、ヴァンパイアの主たるボレフ・ロスロナス、それに仕える三体のヴァンパイア・ガール。さらにドルイドを捨てヴァンパイアとなったカイ・エモに、その支配下にある怒れるトレント……。一体一体が、強力な魔物である。


「これはさすがにちょっとしんどいかな」


 愚痴ぐちるようにつぶやく。


 しばしの沈黙。


「……一人ではちょっと苦戦するかも」


 じれったそうに、改めてつぶやく。


 再び沈黙が流れる。


「勝てるにしても、ずいぶんと時間がかかってしまいそうだなぁ……」


 とぼけるように繰り返す。

 

 三度の冷ややかな沈黙。フィラーゲンは深くため息をついた。


「……わかった、わかった」


 彼は自らが作り出した発光体はっこうたいからの光によって生じる自身の影を振り返り、わざとらしくみじめな声を作って言った。


「すいませんが、手伝ってもらえませんか?」


 しばしの間をおいて、フィラーゲンの影が膨張を始めた。


 それは立体的となり、人間の形を作り出した。


 そこに現れたのは、黒いローブを着た女性だった。袖口には、フィラーゲンが着る白いローブと類似したルーン文字の刺繍ししゅうがされている。セピア色の髪は、黄金色の髪留めで美しくまとめられていた。とび色の大きな瞳と美しい顔立ちには気品が宿る。


「ひとりで全部片づけるのじゃなかったかな」


 面白がるように明朗めいろうな声が夜気をつんざく。


 フィラーゲンの影のなかから現れたその人物を見て、ロスロナスは目を細め渋い顔を作った。


「やはり来ていたか、ラザラ・ポーリン。サントエルマの影の使い手」


 影の中から姿を現したラザラ・ポーリンは、フィラーゲンの隣に並ぶと、ロスロナスを指さしてずけずけとものを言い始めた。


「まったくあなたは、いい歳をして……少女をさらって化け物に変えてはべらせるなんて、恥を知りなさい」


 その言葉に、ロスロナスは調子を狂わされたかのように戸惑とまどった表情を浮かべた。ポーリンの非難は止まらない。


「フィラーゲンは言わないと言っていたけど、私が言うわね、いい? はい」


 少し間を開け、息を吸い込んで大きな声で言う。


「『草場くわばかげで、お母さんが情けない思いをして泣いている』」


「……あんたも変わらないな、ラザラ・ポーリン」


 不快そうに眉をひそめながらロスロナスが言った。


「ちなみに母も世界を憎んでいた。『あなたは、思うがままに、全てを取り戻しなさい』。それが、母の遺言ゆいごんだったよ」

「だから?」


 ポーリンは冷たく突き放す。怒っているときは、その品のある立ち振る舞いとはことなり暴れる炎のようだ。


「せっかくのあなたの半生の善行は、ここ二、三年の悪行で全部消え去ったからね。今やあなたは立派な“悪人”よ」


 罵声ばせいを浴びせられるロスロナスは、うんざりしたようにカイ・エモを見た。


 カイ・エモも肩をすくめた。


「あのひと、いらつきますね」

「そうだろう?」


 ロスロナスは大きくため息をついた。


 フィラーゲンが咳払いをして怒れるポーリンに問いかけた。


「ロスロナスと三体の少女吸血鬼は私がやる。きみは、あの蝶のヴァンパイアと狂暴化したトレントを頼むよ、いいかい?」


 ポーリンは何度か深呼吸をして怒りを収めると、その感情を凝集させたかのような静かな声で答えた。


「……うけたまわった」



◆◆◆◆◆

<主な登場人物>

クレイ・フィラーゲン 人間離れした竜のような風貌の男。<白髪の美丈竜>の異名を持つサントエルマの森の魔法使い。


コノル 村を襲撃され、姉を連れ去れれた少年。襲撃者を目撃した者。ドルイド見習い。


ドルヴ・レビック <黒い森>を管理する七人のドルイドの長。厳めしい表情そのままの、厳格で頑固な性格をしている。樹木のドルイドの異名を持つ。<黒い森>の探索に、ひとり向かい、死滅した木の精霊トレントたちを見つけて正気を失う。


カイ・エモ 第二階位のドルイド。亜麻色の髪を持つ若い青年。蝶のドルイドの異名を持つ。ロスロナスに心酔し、人間としての道を捨てた。


アビー・カーディン 第三階位のドルイド。レビックと同年代の古参。コノルの祖父。苔のドルイドの異名を持つ。


ニカ・マルフォイ 第五階位のドルイド。唯一の女性ドルイド。独特の上目づかいが特徴。キノコのドルイドの異名を持つ。若いころ、魔法使いに憧れていたこともあり、ドルイドたちの中では最も魔法に詳しい。フィラーゲン、コノルとともに<黒い森>へ入る。


ヴァンパイア・ロード ヴァンパイアたちの主。人間のころの名をロスロナスという。フィラーゲンの知己。14歳の美少女をさらい、ヴァンパイア・ガールへと作り変えて仕えさせている。

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