新生活

「そんなに酷い会社なのかい」

 日曜日である。表通りは街を闊歩するカップルが、幸せそうに歩いている。夏海は再会した時からますますどんよりしている。

「もう会社やめたい!」

 泣き顔で聡に訴えかける。聡もここ何ヶ月真剣に考えていた。聡は意を決して夏海に言う。

「これから一緒に住まないか」

 夏海はこの言葉を待っていたのだ。

「いいの?」

「ああ、二人で住めばそっちもアパート代がいらないだろう。これからまた一からやり直そうよ。そんな仕事辞めてしまえ!仕事がしたいんなら、もっと楽な仕事なんかいくらでもあるよ。仕事がしたくないんならおれが養ってやるし」

「本当に?約束よ」

 指切りをされた。

「とりあえずしばらく休みたい。何もかも忘れて自由になりたい」

「まずは辞表の提出だ。けじめはきっちりつけないとな」

「分かった」

「それに引っ越しだ。おれのお師匠さんがワゴン車を持っている。それを1日借りよう。荷物はそんなにないんだろう」

「衣装ばっかりよ」


 2日後、聡はいつもの店に夏海をつれて入っていった。カズは珍しく現金投資をしている。

「きのうスマホで言ってた夏海といいます。車を貸してくれるんですよね」

 カズがふりむく。

「可愛い彼女じゃないか」

「よろしくお願いいたします」

 夏海が丁寧に挨拶をする。

 カズは車の鍵を聡に渡す。

「ありがとうございます」

「まあ、郊外店に行くとき以外使わないからな」

 カズが笑って二人を見送った。

 問題の駐車場はグーグルマップですぐに見つかった。茶色のワゴン車に乗り込みエンジンをかけ、スタートする。まずは夏海の部屋に行き、荷物を運び出す。衣装ケースが6つと段ボール箱が4つ。本や雑貨などは捨ててきたと言う。簡素なものだ。2往復して引っ越しは終わった。

 車の鍵をカズに返しにいく。今日は調子が悪いのか、いまだに現金投資である。

「朝から1300オーバーだよ」

 カズが苦笑をしている。

「ほんと助かりましたよ。ありがとうございました」

「いいんだよ。いる時はいつでも言いな」


 聡と夏海は再度挨拶をし、聡のアパートへ戻る。六畳一間で4万8000円の狭い部屋だ。寝るときは二人とも床に布団を敷く派だ。押し入れに布団を突っ込む。

「これからよろしく頼むよ」

「こちらこそよろしくお願いいたします」

 夏海がようやく笑顔を見せた。

「今日は料理とかいいから飯食いに行こう」

「こんなに早くから?まずは荷物を片付けたいわ」

「分かった。手伝うよ」

 衣装ケースを押し入れにしまってやる。台所用品もシンプルなものだ。皿やコップやどんぶりなどしか持ってきてはいない。

「これで料理は作れるのかい」

「フライパンやお鍋なんかは捨ててきたわ」

「じゃあ、おれのを使うといい。少し古いけどな」

 夏海は聡の台所用品を品定めしている。

「大きめなお鍋がほしいわね。あとお玉とかこまごましたもの」

「それじゃあいまから買いに行こうか」

「うん!」

 二人は連れだって出かけていく。これからの新生活に二人ともうきうきしている。聡が冗談を言うと夏海が笑う。昔の恋人同士だった日々にようやく戻ったのだ。

 デパートの金物のコーナーに行くと、お鍋がずらりと並んでいる。夏海が探しているのはカレーやシチューを作る鍋だ。

「これがいいわね」

 ようやく決まったようだ。3800円である。フリーター時代ならとてもじゃないが手が出ない金額だ。しかしいまは安く感じる。金銭感覚が違っていることに自分でも驚く。

 あとはお玉とかレンゲ、箸やスプーンなどのこまごましたもの。夏海が財布を取り出すと、聡が右手で押さえる。

「いいよ、おれが払うから」

 と言い、財布から金を取り出した。

 帰り道にあるレストランで二人は久しぶりに一緒に食事をとる。

「これでやっと新生活が始まるな」

「うん。しばらく休みたい」

「十分に休むといいよ。もう君を縛るものは何もないんだから」

「ありがとう」

 夏海が少し涙ぐむ。よほどつらい仕事だったんだろう。


 女一人を養っていかなければならない。重圧がのしかかる。


 聡は決意を新たにした。




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