第3話 飛ばされるなんて聞いてないっ!
「本当に、一体どこへ……?」
ジョシュアは軽く汗ばんだ金髪を搔き上げ、忌々しげな眼で呟いた。
この街はセツの住んでいた領地とジョシュアの伯爵家との中間地点。双方、土地勘のない街である。だが、生粋の御貴族様な伯爵令息らと違い、元々市井暮らしなセツにとっては知らない土地であっても慣れた街並みだ。
大抵の街や村には似たような法則で建物や店が設えられていた。馴染みがなくとも看板や標識でセツは目的を持って動くことが出来る。
「……こっちに酒場なら、あっちが市場のはず。……だよね? なら乗り合い馬車は……」
何かに確認を取りながらジョシュア達の隙をついて、セツはコソコソ移動していく。僅かずつだが、確実に彼らと距離を取っていった。
反面、虱潰しに捜索するしかないジョシュアらは疲労が色濃くなっていく。心なしか共に捜索する従者達にも疲れが見え始めていた。
……が、そこでエドワードが顔を上げる。
神妙な面持ちで何かを探る彼。ぼんやりと宙を凝視していた弟が、すうっと指を動かすのを見て、ジョシュアは固唾を呑んだ。
これはエドワードの魔力酔いの症状である。
「……風が動いています。こんな田舎町にあり得ない」
ゆらりと波打つエドワードの髪。
王侯貴族の中でも飛び抜けて魔力の高い彼は、体内に蓄えきれない魔力を髪に蓄えていた。髪の長さは魔力の高さ。セツは知らなかったが、王侯貴族という生き物らは身体の構造が庶民と違う。
彼等は生まれてから一度も髪を切らない。髪に宿る魔力が神経と同じ機能を持っており、痛覚、触覚もあるのだ。そのため、髪に触れられるのは本人か、よほど信頼をおいた家族や専任の侍従のみ。
そんな中でも特出した長さの髪を持つエドワードは、人ならざる何かの気配を感じ取った。
酒に溺れる人間がソレの匂いや気配を目敏く見つけ出すように、魔力に酔ったエドワードは自我が失われ夢見がちに強大な魔力へと吸い寄せられる。
「大きな力を持つモノが…… ああ、遠ざかる?」
胡乱げな眼差しで呟く弟を凝視ししつつ、ジョシュアは当てもない捜索を打ち切り、その力とやらを追う。
その力は、ふよふよ漂いながらセツに付き従っていた。淡く光る小さな生き物。
必死に逃げ惑うセツを誘導して、きゃっきゃ、うふふと楽しげに舞い踊りながら。
「えっと…… 実家に戻るのは不味いかなぁ。アタシ、重罪人らしいし」
乗り合い馬車の看板を見上げ、困惑げにセツは頭を掻いた。
戻りたくはあるものの、あの連中が追ってくるのは目に見えている。家族にも咎がかかるかもしれない。そんなことになったら、セツは悔やんでも悔やみきれないのだ。
だから彼女は流浪の道を選ぶ。
幸い基本的な常識はこれまでの人生で学んでいた。全くの見知らぬ世界に投げ込まれたわけではない。
この世界で生まれ育ったのだ。さらには前世だろう地球の知識もある。今年十六になるセツなら、どこでも生きていけよう。
お父さん、お兄ちゃん、ごめんね。帰れないや。
家族の安全のため、セツは生まれ故郷と逆の馬車を選んだ。まだ動いていないが値段を確かめ、彼女はテオドアから貰った革袋の中身を調べる。
……そして絶句。
なんと袋の中には神々しい光を放つ金貨が、ぎっしりと詰まっていた。しかも幾つかのアクセサリーも入っている。
どうやらあの少年、手持ちのありったけを集めてきたらしい。この金額からするに、金髪三兄弟の路銀も掠めてきたのではなかろうか。
「ちょ……っ、待ってよ、これって」
中にある指輪やカフスを指で摘み、セツは凍った眼差しで見る。
……ひょっとして、これが発覚したら、アタシ盗人にされない?
たとえテオドアがくれたのだとしても、これの持ち主があの三兄弟であったなら、どのような言いがかりをつけられるか分かったものではない。
少年にとっては純然たる厚意であろうと、これは不味い状況である。
……どうしようぅぅぅ
うわあ……っと血の気を下げて、セツは革袋を上着に仕舞った。すると何かが袋に纏わりつく感触がする。
訝しげに革袋に視線を落とした彼女は、そこに漂うモヤと、そのモヤを吸うように飛び回る何かを見た。
《……不味い》
《贅沢を言うな。これでも無いよりマシだ》
……喋ったっ?!
それはセツを案内してくれていた謎な何か。
昔からホタルのように煌めき、彼女の周りを飛び回るコレは、他の人に見えない。
洗礼当時、無意識に鼻歌を歌ったセツ。
そこから、この光達は彼女にまとわりつき、ずっと共にあるのだ。家族に説明してみたところ、それは妖精かもしれないと教わった。
『ようせい?』
『そうだ。世界には魔法というものがある。御貴族様らしか使えないが、その魔法と同じ力を使える生き物だと言われているな。子供には時々見えるのだそうだよ』
ふうん? と、何気に父親の説明に納得していたセツ。それからもずっと、この光は彼女と共にあった。
今回も彼女を助けるように動いてくれていた。だから気にもしなかったが、まさかコレが喋るとは。
雑談みたくボソボソと会話する何からから視線が外せず、ぎょっと顔を強張らせて硬直する少女。
だが、憮然と立ち尽くすセツの背後で大きな声が聞こえ、はっと振り返った彼女の視界に最悪が姿を現す。今、ここで一番遭いたくない人間らが。
「……おまえはっ! こんな所にいたのかっ!」
「やっと見つけたぞっ! おい、こっちへ来いっ!」
足早に駆け出し、逃げようとするセツをダニエルが捕まえた。がっちり手首に食込む指の圧力で、セツの顔が苦悶に歪む。
……が、その手が爆ぜるようにセツから離れた。ぱんっという甲高い音と共に大きく揺らぐダニエル。
「え?」
「…っがっ?! なんだ? 今のっ?!」
思わず引っ込めた手を撫でさすりつつ、ダニエルは驚愕に眼を見開く。彼の手は真っ赤に染まりジンジンと痛みを訴えていた。
染みるような鈍い痛み。訳が分からないダニエルの視界の端を何かが掠めていく。
ソレはゆらゆらと揺れる何か。陽炎が立ち上るように不可思議な輪郭を持つソレは、獰猛な雰囲気を醸してダニエルとセツの間に立ち塞がった。
しかし、何かがいるとは感じられるものの、ダニエルの眼には何も見えず、彼は酷く狼狽える。
……なん……だ? 凄まじい圧を感じるのに。
知らず伝う冷や汗に気づきもせず、ダニエルは目玉だけを動かして、その何かを探した。
その何かは、ぷんすこ膨れ、縦に円陣を組み、セツを護っている。
《触れるな、慮外者が》
《そうだ、何千年ぶりの歌姫だと思っているのだ》
《人間が馬鹿なことをして失った至宝が還ってきたのに。……さ、歌おう、セツ》
「え? 歌うの? ここで?」
伯爵家の三兄弟には陽炎のごとき揺らぎにしか見えない何か。ソレはセツを導き、逃走に協力してくれた不思議な生き物達。
《勇猛な歌が良いな。こやつらを叩き伏せられるような》
《良いね。さあ、我等に力を》
慣れ親しんだ感覚。この温かな空気をセツは知っている。子供の頃から無意識に口ずさんでいた鼻歌。その度に淡く薫る風がセツの周りに舞っていた。
ここに来るまで、突然現れたこの光達に同じ薫る風を感じ、昔から一緒だった何かだと直感した彼女は、この光達の案内で逃げ出した。
漂うようにフワフワしていた光達。それが今は小さな人間のような姿を形どっている。相変わらず光ってはいるが、見た目、可愛らしい幼児のような。
彼女にだけ見えているらしい不思議な生き物ら。にっこり笑う光達に首を傾げながら、セツは彼等の望むとおり歌った。タイトルは『航空百日祭』
大空を縦横無尽に羽ばたくイメージで。彼女は自身が自由に飛び立つ思いを込め高らかに歌った。
……逃げたい。お願いします、神様っ!! アタシをどこかに連れて行ってくださいっ!!
途端に、ぶわりと逆巻く暴風。まるで竜巻のごとくセツを囲い込み荒れ狂う風に視界を奪われ、ジョシュアらは狼狽える。
「これが、歌かっ! やはり魔女だったのだな、おまえはーっ!!」
身体ごと持っていかれそうな突風が駆け巡り、夢現だったエドワードが店頭に叩きつけられて昏倒。ダニエルも吹き飛ばされたが、辛うじて柱にしがみつき飛ばされるのを防いだ。
唯一その場で堪えたジョシュアだが、さすがの彼も立っておれず、態勢を低くして地面を掴んでいる。
《ああ、なんて心地好い》
《この旋律、この調べ。幾久しく感じられなかった世界の息吹が戻ってきたようだ》
《さなり、さなり。これこそが我等の本領》
あはは、うふふと嗤い狂い、淡く発光する何か達は、逆巻く突風で包んだセツを竜巻に乗せた。無我夢中で歌う彼女は気づいていない。
砂塵で曇る視界に苦戦しつつもセツを睨みつけていたジョシュアは、彼女の身体が浮かび上がり、竜巻に運ばれていくのを忌々しげに見送った。見送るしかなかった。
竜巻とはいえつむじ風が大きくなった程度のモノだったのに、その突風は軽々と少女を持ち上げて運んでしまったのだ。
「……まさか。あんな風程度で人間を運べるわけが……」
吹っ飛ばされはしてもほんの数メートル。とても人間を浮かび上がらせる規模のモノではない。
いきなりの事態に呆然とするジョシュア。
こうして数千年ぶりに復活した『歌う』魔女は、忽然と姿を晦ましたのである。
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