2 お菓子の街――sweet memory――

2 お菓子の街――sweet memory――(1)

 外は快晴だった。


 見渡す限り一面の白い砂が、遥か遠くまで続いている。


 砂が陽光を反射して、容赦なくセールたちの身体を焼いた。


「これが砂漠というものか」


 セールは感慨深げに言った。


「確かに砂漠ね。これを砂漠と言うのは、蠅を見て『これが虫だ』というくらい不自然だけど」


「つまり、この砂漠は特殊だと?」


「砂糖でできた砂漠よ。他に聞いたことがある?」


「……いや」


 そもそもセールは、『恋人』とエイク以外の声を聞いたことがなかった。頭の中にある知識で一番近いものを、目の前の光景に当てはめただけだ。


「そんなことより、さっそく仕事を手伝ってもらうわ。そのソリを街までひいてくれる?」


 疑問形ではあるが、セールの返答を待つつもりはないようで、エイクはもう歩きはじめていた。


「わかった」


 セールは律儀に答えて、二本のスキー板が取り付けられたソリの手綱を握った。ソリには青いビニールのような材質のずだ袋が載せられていて、上に日光を遮るベージュ色の覆いがかけられている。


「この中身はなんだ?」


「主に砂糖よ」


 エイクは興味なさそうに答えた。鋏をボードのように使って、ガラスの靴を履いた足で地面を蹴って、滑るように先に進んでいく。


 セールも一歩踏み出す。


 熱を帯びた黒い脚は、自分でも予想だにしなかった強い感触を返してきた。


 あっという間にエイクを追い抜く。


「さすがね。あなたの足の原料のココノハを提供した人もきっと喜んでいると思うわ」


 エイクは一蹴りでセールに追いついてきた。


「わかるのか?」


「ココノテだもの。あなたのその黒曜石の脚のココノハは『諦め知らぬ男の闘志』。最上級品」


「そうか……」


 『諦め知らぬ男』なら心を手放すことはないはずだ。それでもここにあるということは、男が自らの心をココノテに譲り渡したということを示している。


 セールは男の人生を漠然と思った。


 脚は陽光を躊躇なく吸収し、熱を帯びる。


 溶けた砂糖が男の涙のようにふくらはぎに張り付いた。


                   *


 その村はコの字型のオアシスに囲まれていた。


 砂糖を固めて作られた看板には、『お菓子の街』と書かれている。


 外の砂漠と村とを隔てるように、道は色とりどりの飴玉のブロックで舗装されていた。


 家はどれも大体同じ大きさで、壁には薄茶色のチョコレートが土壁のように塗りたくられている。


「いらっしゃい旅人さん。それから、人形さんも」


 村の入り口から一番近い人家の店先で、砂糖を掃き掃除していた女性が親しげに話しかけてきた。


「こんにちは」


 セールが腕を曲げて、丁寧にお辞儀をする。


「ねえ、あなた。パン屋さん?」


 エイクは唐突に尋ねた。


 その視線が家の屋根に向いている。


 そこには、パンを一斤丸ごと模した風向計が突き立っていた。


「そうよ。とってもおいしいの。あなたもお一ついかが?」


 商売っけのない声で、女性はエイクへ店先に並べたメロンパンを勧めた。


「そうね。考えておくわ。今は私の持ってきた商品を買ってくれる人を探しているの」


 エイクはソリの布をめくって、そこにあった袋のうちの一つの口を開き、中身を見せびらかした。焦げ茶色の結晶の山が顔を覗かせる。


「あら! 珍しい。黒砂糖じゃない。最近、運んでくれる商人さんが少なくなって困っていたのよ。これがあればおいしい黒パンが作れる。よければ私が買わせてもらうわ」


 女性は手を合わせて、破顔した。


「ありがとう。でも、全部は多過ぎるでしょ? この商品を欲しがるような人を集めてもらえないかしら。私、とっても急いでいるの」


「それは大変ね! ちょっと先の広場で待っていてくれるかしら」


 女性が店を放置したまま駆け出す。


「随分、素直な人たちだな」


 セールが親しみを込めて言った。


「あら、セールも大概だと思うけど」


 二人は言われるがままに広場に向かう。


 中心では、甘い匂いのするオレンジジュースの噴水が湧き出していた。


「豊かな街だ……そう思っていいのかな?」


「そうね……『世界』によって基準は異なるけれど、豊かだと言っていいわ」


「砂糖という資源を無尽蔵に使えるからだろうか」


「それもあるけど、一番はその管理が上手くいっているからでしょうね」


 エイクがそう付け加えた。


 セールたちがオレンジジュースで唇を湿らせながらしばらく待っていると、慌てたように街の方々から人が集まってきた。


 皆が口々に歓迎の言葉を述べてくる。


「皆さん。ご足労頂きありがとう。みなさんに私の商品を買って頂きたいの。とっても、質の良い黒砂糖を。値段は――」


 エイクの提示した値段に、街の人たちは気まずそうに顔を見合した。


「ごめんなさいね。ご希望通りにしてあげたいのは山々なのだけれど、黒砂糖の仕入れの値段は街のみんなで取り決めているの」


 先ほどの女性が、ポケットから紙を取り出して広げ、エイクの視界に入る位置まで進み出た。


 セールもそれを見る。内蔵された知識が時代遅れでなければ、それは妥当な金額と言えた。いや、むしろ良心的とさえ言っていいだろう。


「そうなの……でも、困るわ。私たちは世界を偽物の救世主から救うために旅をしているの。そのためにはたくさんお金がいるのよ」


 エイクが平然と言ってのけた。


 セールが咎めるようにエイクの横顔を睨みつける。


 もっとも、やはり、表情を作ることはできないから、非難の意思が伝わったかは怪しい。


「それは大変だ」


「ねえ、何とかならないの?」


「規定を曲げることはできないよ。不公平になってしまう」


 がやがや言っていたが、やがてオーケストラが終わるかのように議論は自然に収束していった。


「買い取り額自体には上乗せすることはできないけど、あなたたちへの募金と言うことで、お望みの分だけ支払うわ」


 パン屋の女性がお茶目にウインクして申し出た。


「ありがとう」


 エイクは満面の笑みを浮かべて答える。


 エイクが次々と黒砂糖を受け渡していく、後には片手で持てる程の小さな透明の袋が一つだけ残った。


「それはうちの砂糖かしら?」


 中の白い粉を見て言う。


「これは、砂漠から採ってきた普通の砂糖よ。記念に持って行きたくて。規定の料金はお支払いさせて頂くわ」


 砂糖か、たしか『恋人』は甘いものが好きだったはずだ。自分もちょっと、採集してくれば良かっただろうか。二人のやりとりを見ながら、セールは考える。


「その程度なら構わないわ。記念に持って行きたいと思う人は多いから、いちいちお金をもらっていたら大変よ」


 女性は遠慮するように手をしきりに振った。


「そう。重ね重ねありがとう。お礼といってはなんだけどあなたのところのおいしいパンを売ってくれる? できるだけたくさん。あ、袋にきちんと賞味期限の日付を入れてね。お友達にプレゼントするから」


 エイクが友好的の手を差し出す。


「喜んで」


 セールはエイクのその態度に怪しげなものを感じたが、女性は疑うことなく間髪入れずに手を握り返した。


 そして、エイクは一日かけて街中の食料品店を回り、日持ちする菓子をソリに載せられるだけしこたま買い込んだ。

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