ココノテ
穂積潜@12/20 新作発売!
1 人形とココノテ
1 人形とココノテ
円い空が生まれる。
人形はそれを眺めていた。
刹那に人形が認識したのは、たった三つだけの厳然たる事実。
今、この瞬間に自意識が発生したこと。
自分が、黒光りする金属でできた四角い箱の中で横たわっていること。
そして、『恋人』を愛していること。
「思ったよりもいいものが入っていたわね」
自分以外の誰かが独り言のように呟いた。
それは『恋人』ではなかった。
巨大な錆びた鋏だった。
もしくは長い髪の白いワンピースを着た少女だった。
少女が鋏を持っているのか、鋏に少女がくっついているのか、人形には区別ができない。ただ、それが天井に円い穴を開けて、人形のいる部屋へ侵入を試みていることだけはわかった。
少女――鋏は屈んでこちらを覗き込んでいたが、やがて立ち上がった。
ためらいなく天井がから飛び降りて、鋏を床に突き刺すようにして着地する。
その顔は飄々として、何の感情も読み取れない。
「目玉は虹瑪瑙、胴体は琥珀、下半身は黒曜石、血管は紫水晶。極上の『ココノハ』から造れられた宝石たち」
鋏――少女は、数え上げるようにそう言った。
人形は、彼女の言うものが、自分の身体を構成している物質を指しているのだと気付いた。
そう。自分は『ココノハ』でできている。
人の心を取り出して固めた物質で。
しかし、彼女は一つだけ間違いを犯していた。
誤りを正してやるのは良いことだ。
経験ではなく、『恋人』から人形へ生まれつき与えられた倫理感という絶対的基準が、その直観的な結論を肯定している。
「それは違う」
だから、人形は口を開く。
少女は鋏を構え、警戒したようにこちらを見つめた。
「胴体は琥珀、下半身は黒曜石、血管は紫水晶。しかし、目玉はガラス玉。傷ついたガラス玉」
人形は『恋人』がくれたパーツ一つ一つに愛おしさを込めて発音する。
「知っているわ」
少女は構えをといて言った。声音に弁解のニュアンスは含まれていない。本当に知っていたらしい。
「なら、なぜ?」
「そういうことにしておいた方が高く売れるから」
人形の問いに、少女は淡々と答える。
彼女は騙そうとしているらしい。
商売相手と。
自分自身を。
「俺を売ることはできない。俺はあなたのものではなく、『恋人』のものだから」
人形は即座に反論する。
「いいえ。見つけたのは私。だから、私のもの。ばらばらに分解してもっていくわ」
少女は再び鋏を構える。
人形は反動なく立ちあがった。
全長2mはあろうかという長身が壁に映し出される。
美しい宝石の『ココノハ』で造られた自分の身体が。
「戦いたくはない。しかし、俺には『恋人』を守るための力が与えられている。おそらく、あなたには負けない」
人形は腰を引き、拳を握って構えの姿勢をとる。
それから、自負も驕りもなく、冷静かつ客観的に、戦力の彼我を検討した結果を述べた。
『恋人』に会うまで、人形は精神と肉体の純潔を守り続けなければならない。
それは、彼が『恋人』から与えられた、前提であり、命令であり、公理だった。
しかし、だからといって、好き好んで目の前の少女に暴力を振るいたい訳ではないこともまた事実だ。
ハラ、ハラ、ハラ、と。
円い穴から、何かの白い粉が雪みたいに降り注いて、飴色な人形の頭を白髪のように飾った。
しばし、二人はにらみ合う。
「わかったわ」
やがて、少女は鋏をそっとおろした。
「では帰ってくれ。天井を直して」
人形もそれに合わせて構えを解く。
「帰る。でも、直すのは無理ね。私は『ココノテ』だけれど、こんな特殊な金属をつなぎ合わせられるような鋳物師ではないから」
「……それは困った。この箱の中でなくては、眠りながら『恋人』を待ち続けることができない。私は劣化してしまう」
特に少女を責めるでもなく、人形は腕を組んで、悩める彫像のように考え込んだ。
「なら、あなたから会いに行けばいいんじゃない?」
何気ない調子でそう呟いた少女はすでに人形に背を向け、壁にもう一つ穴を開けようとしていた。
「ふむ……」
彼女の提案はもっともに思えた。
目覚めてしまった以上、『恋人』を想いながらただ時を過ごすのはあまりにも辛い。
早く『恋人』に会いたいという思いが、一刻、一刻、加速度的に膨らんでいた。
「提案を受け入れよう。できれば、一緒に連れて行ってもらえないだろうか。俺は外の世界を知らないから」
言葉は喋れる。目の前にいるのが、人間で『ココノテ』の少女であることは初めから頭の中に入っていた知識で判別できた。しかし、それらは何の実感の伴わない他人事のように思える。
今の自分の状況を表すのに一番ふさわしい言葉を選ぶなら、『世間知らず』ということになるだろう。
「あなた、ごはんは食べる?」
少女はスマイルマークのような半円を描く手を止めて振り向いた。
「いや」
人形は首を横に振る。
「動力源は?」
「ココノハと『恋人』への思い」
人形は切なさと誇りをかき混ぜたような口調で答える。
「そう。だったら、ついてきてもいいわ。私の旅を手伝ってくれるなら」
少女はあっさりと承諾した。
「もちろん、いいとも」
人形はすぐに頷き、友好的に手を差し出した。
「交渉成立ね。お互い自己紹介しましょう。私はエイク。『ココノテ』をしながら、『はさみとぎ』を探す旅をしているの」
エイクと名乗る少女は、触れるか触れないかの強さで人形の手を握った。
ココノテ――人の中から、心を取り出してココノハを造りだす人間たち。『恋人』と同じく、人間の根幹に手を加えることが許された者。
人形は自分の知識を反芻する。
「俺は『石の恋人』。『恋人』を愛している」
目的なのか宣言なのか、よくわからない調子で人形は言った。
「『石の恋人』それがあなたの名前? なんだか、とっても呼びにくいわ」
エイクが首を傾げる。彼女の黒い髪が振り子のように揺れた。
「名前はまだないのだ。『恋人』につけてもらうまで」
人形が悲しげに俯く。
もっとも、表情を作れない石造りの顔では、エイクに感情が伝わるか怪しいものだが。
「そうね……じゃあ、あなたをセールと呼ぶわ。私にとって今日からあなたはセール」
「申し訳ないが、エイクに俺を名づける権利はない」
セールは頑なに言い張る。
それが許されているのは、この世でたった一人、愛しい『恋人』だけだから。
「名前じゃないわ。あだ名よ。あだ名はね。自分自身で決めることができないの。他人が勝手に決めるのよ」
エイクは異議を差し挟めないような強い口調でそう断言する。
「……ならば。仕方がない」
セールは渋々そう頷いて、エイクに歩みよる。
「じゃあ、セール。行きましょう。ああ、言い忘れてた――」
壁に向き直り完全な円弧を描くと、エイクはそれを蹴とばした。
ゆっくりと、円が外へと倒れ込む。
「あなたの『恋人』は、きっとろくでもない奴よ」
エイクは穴から跳ねるように飛び出すと、後ろ手のポーズでセールの方へと振り向く。
「なぜそんなことを言うんだ」
セールは不機嫌さも露わに呟く。
「だって、あなたの目は真実を映さないガラス玉だもの」
エイクは興味なさげに宣う。
セールの目玉に、エイクの冷酷な笑みが逆さまに映った。
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