第3話

 甘粕正彦は、大杉達三人の殺害裁判で自ら罪を認め、10年の懲役刑をくらったが、模範囚として刑期を圧縮され、さらにそこに恩赦が加わることで、わずか二年と十か月の刑期で仮出獄することができた。多分、そこには別のところからの大きな力が働いていたのだろう。そして、出獄すると、獄中の彼を支え、刑が終えるのを今か今かと待っていた許嫁と結婚したかと思うと、二人、手を携えてフランスで暮らすために出国してしまう。

 ここでも、その費用は、何処から出ていたのか、疑問が残る。しかし、言葉も不自由な上、何としてもなじむことができない異国の土地で、二人の生活は過酷そのものだった。そうこうするうち金銭的にも苦しくなり、日々無為な生活にも嫌気がさして、わずか1年半で帰国することになった。

 もちろん、日本に帰ってからも所詮人殺しだ。甘粕元憲兵大尉殿は好奇の的。家族ともども世間の目に苛められ、気の安まることがなかったのだろう。逃げ隠れするような生活が続いた。

 そんな男が、次に現れたのが満洲だったのは、当時の世相から言っても当然のことだった。


 ロシア人も多い北満ハルピンの町で破壊活動を展開する組織の中にその男はいた。昭和6年、柳条湖事件に端を発し、日本軍の満洲一帯への進軍と占領が始まった時だった。甘粕は、右翼グループの一員として軍の謀略を担っていたのだ。


 そのころの満州は、日本の生命線と呼ばれていた。そして、そこは、日露戦争で勝ち取った権益を守るための関東軍が満蒙の馬賊やロシア軍と覇権をめぐってにらみ合うカオスそのものであった。

 そんなところに甘粕は、水を得た魚のように生きいきと活躍の場を得ていたのだった。とはいえ彼の行動は、必ずしもまともなものとは限らない。もともと軍人としての教育を受け、洗脳されてきた彼は、骨の髄から、国のため、天皇陛下のためにと身を捧げ、それを本能にまで昇華させていた。

 さらに、満洲に彼の活路を開いてくれたのは、かつての軍事教官であった東条英機だった。フランスへの逃亡とその生活援助をはじめ、東條の甘粕に対する目の掛け方は特別のものがあったようだ。その恩にもむくいたいという気持ちも働いていたのだろう。


 彼の隠密的行動は、満蒙領有戦線拡大の援護となり、作戦の首謀者、石原莞爾や板垣征四郎の信頼をも買っていったのだ。そしてその後も幾多の活躍により、満州国建国の謀略家、陰の立役者としてのイメージが定着していくことになる。

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