ザ・ダークスカイ

るかじま・いらみ

第1話 ジュブナイル 1

 命とは何だろう。

 生き物と、それ以外のものとの差はどこにあるのだろう。

 命を亡くせば、物と同じ。

 砕けて、崩れて、朽ちていく。

 それは自然の摂理。

 ならば、命あるものはどうやって姿を永らえるのか。

 そこにこそ、先の問いの答えがあるのかも知れない。

 例えるなら――、

 命とは、諸行無常のことわりに流されず、逆らわず、

 ぼうっと灯される炎のようなもの。

 それはきっと見た目の儚さとは裏腹に、

 

 ……大きなエネルギーを秘めている。



 七月の早朝、午前五時頃にユウは駅へと歩いていた。

 朝霧が出て、視界は悪い。夏とは言え、少し肌寒い。

 雲を掻き分けるような感覚で、歩を進めた。

 街灯の淡い光が白い霧の中に滲んでいる。

 陽はもう昇っているはずなのに妙に薄暗い。

 首を動かして左右を見ても、ほかに誰の姿も見えない。ただ、何か黒っぽい人型が二、三、現れては消えていく。

 それをなにか気味の悪いものでも見るような思いで見た。

 行く手に横断歩道の信号が、霧のなか青く浮かんでいる。小走りで渡った。

 ユウは心配だった。

 果たしてうまくいくだろうか。

 彼らは、約束通り来てくれるだろうか。

 せめて一人だけでも来てくれないと困る。

 霧の向こう側に駅のターミナルが見えてきた。この辺りではそこそこ大きな駅だった。

 一階部分には改札を挟んで、ファーストフード店やベーカリーなどの飲食店が並ぶ。二階には隣のビルへ通じる幅の広い歩行者専用通路がある。そこを渡れば直接ビルの中に入ることができ、中にあるデパートでショッピングが楽しめるようになっている。

 この駅は、都市部と山間部を繋ぐ路線の途中にある。

 位置としてはやや都市部寄りで、おおよそ路線の端、四分の一くらいの場所に存在する。

 早朝の駅構内には、まだ誰もいないように思われた。しんとして、静かだった。

 外から白い霧が流れ込んできて、渦を巻いている。時折、ホームから電子音が鳴る。音は霧に吸い込まれて虚しく消えていく。

 改札のそばに、うずくまっている人影があった。

 ユウが目を凝らすと、一際小柄な女子がしゃがんでいるのが見えた。赤いナップサックを背負い、物憂げに下を向いている。

 ユウは少し信じられなかった。

 誘ったメンバーのうち、あの女子は来てくれる可能性が一番低いと思っていたからだ。

 自分の見立てでは、彼女には嫌われているはずだ。

 その女子はこちらに気付くと、ゆっくりと立ち上がった。

 小学生のように小さい。なのに顔は妙に大人びていてちぐはぐな印象を受ける。きつい目つきでじっと見つめてくる。シャープな眼鏡をかけているので余計に視線が痛い。


「おはよう。来て、くれたんだ」


 挨拶すると、女子は一瞬、はあ? と困惑の色を浮かべた。


「来ちゃいけなかったの?」


 険のある言い方だった。

 まずい。折角来てくれたのに、ここで臍を曲げられては困る。

 ユウは取り繕うために弁解をすることにした。


「その、急だったし。一応、受験生だし。来てくれなくても、しょうがないかなって思ってたんだ」


 返事の代わりとばかりに、静かなため息を吐かれた。目線は斜め下に向いて、ユウの顔を見ようともしない。

 そのまま、改札前で黙ったまま、二人でたたずんだ。

 気付かれないよう、横目でその子の様子を見てみた。

 睫毛が瞼の縁に沿って流れるように生え、その先端がわずかばかり上に跳ねている。その周りを囲むようにして眼鏡のフレームが見える。鼻筋が通って、唇は小さくまとまり、顎は綺麗なラインを描いている。

 これが大人の女性なら、さぞかし美人なのだろうなと思えた。

 ただ、それも小学生かと見まがうような体にくっ付いているとなると奇異なだけだった。

 服装を見ると、キャミソールにスカートという出で立ちだった。

 靴がウォーキングシューズというのは許せるが、山に入ると前もって言っておいたのを聞いていなかったのだろうか。

 まあ、でもかまいやしない。『入口』まで来てくれたらそれでいいのだから。

 あとは無理にでも進めさせる。


「ふよーちゃん」


 突然、気が抜けるような声がかけられた。

 蚊の鳴くような、かろうじて聞き取れるか細い声だった。

 眼鏡の女子と一緒に振り向くと、霧の中から二つの人影が現れた。

 声をかけてきたのは、くすんだ金髪と碧い瞳の女性だった。

 この子もまた誘ったメンバーの一人だった。

 彼女はハーフということだが、どう見ても純粋な欧米人にしか見えない。東洋人の要素は容姿にほとんど伝えられていない。体付きも大人と比べて何ら遜色なかった。

 しかし中身はいたって普通の、気の小さな女の子であるのを知っている。声の調子からしてそうなのだった。


「リースちゃん、おっそいよ~」


 芙蓉(ふよう)と呼ばれた眼鏡の女子は親しげに微笑んで、挨拶を交わした。ユウに見せるのとは正反対の表情だ。

 もう一人はと言うと、リースの後ろに立って駅の構内を見回していた。

 ユウが手を上げて挨拶すると、屈託なく笑った。


「ユウくん、おはよう」


「おはよう、虎ちゃん」


 ほかの女子二名はともかくとして、虎ちゃんは必ず来てくれると信じていた。

 彼のことを信じていたのではなく、彼の性格というか、性質を信じていた。

 約束を違えるような人間性ではない。

 今日誘ったメンバーのなかで彼だけが唯一、昔から知っている人間だった。名前が虎太郎(こたろう)なのでみんなから虎ちゃんと呼ばれている。

 ユウは正直驚きを禁じ得なかった。

 まさか誘った三人が三人とも、全員来てくれるとは思わなかったからだ。

 もちろん、ちゃんと来てくれるように心が動くような話を作って説得した。

 興味を引くように美しいところだけを伝えた。

 警戒心を抱かないような工夫も怠らなかった。

 それでもこの心の通わないクラスメート達を連れて行けるかはほとんど賭けだった。

 これでもう、計画の半分は成功したようなものである。

 ユウは内心、ほくそ笑んだ。

 ここでリースと虎ちゃん二人の服装を確認してみる。

 リースはぴったりとしたジーンズにTシャツ、長袖のパーカーを羽織っている。荷物は少ないようで、編み込みのカゴバッグだけを持っている。合成革の取っ手が付いていて、入口がきちんとチャックで閉じられている。

 虎ちゃんは用意周到に上下とも濃い紺のジャージを着込んでいる。背中には大きめのリュックを背負っている。

 彼は芙蓉と変わらない程小柄なのに、体の芯はしっかりとしていて、いかにも重そうな荷物も苦にする様子は見られない。

 足に履いているものに関しては、どちらもスニーカーだった。登山靴ではないが、これなら問題なく山道を歩けるだろう。

 ふと、今度は自分が観察されていることに気付いた。

 芙蓉が眼鏡ごしにいぶかしげに見ている。別段、自分の服装におかしな点はないはずだった。こちらは黒い長袖長ズボンに、山岳シューズを履いている。

 芙蓉の目線をたどると、その視線の先はどうも自分の右手にあるようだった。

 ああそうか、と思う。

 この長い棒状のものが気になるのだ。


「なんなの、それ」


 こっちが視線に気付いたと分かるや、芙蓉は遠慮なく聞いてきた。

 口調はあくまで冷淡だ。


「これは杖だよ。杖を使うと、山道を歩くときに楽なんだ。前に富士山登ったときに買ったんだ。それを持ってきたの」


 特に用意していたわけではないのに、すらすらと嘘が口をついてきた。


「なんか、かっこわるい」


「まあ、格好の善し悪しはどうでもいいじゃん」


 やや離れたところで虎ちゃんがふう~んとつぶいた。


「布の袋に入ってて、長いし、なんか剣道に使う竹刀みたいだね」


 ぎくりとする。

 目元がぴくりと勝手に動く。

 まったく、勘がいい。

 ユウは押し黙った。

 彼の視線から逃げるように改札口のほうへ向くと、電光掲示版に下りの始発が表示されていた。

 そろそろホームの中へ入ったほうがいいだろう。

 誤魔化しついでに言った。


「みんなそろったしさ、行こうよ」


 切符を人数分まとめて買い、改札を通り抜ける。霧はホームにまで流れ込んでいる。

 駅員が何やら不審そうにこちらを見ている。

 確かに奇妙な組み合わせの四人組だと思う。あの駅員には是非とも、自分たちのことを覚えておいてもらいたい。

 あとで警察に証言してもらうことになるかも知れないのだから。

 ホームで始発の列車が来るまで、ユウはこれからのことを頭の中でシミュレーションした。

 初めてのことだが、できる。多分、できる。

 できるかどうかは、自分の心が割り切れるかどうかが鍵だ。

 霧の流れが薄くなる部分を見ると、自分たち以外にもまばらに人影があった。

 子供を連れた家族や、自分たちとさほど変わらない年頃の少年少女、スーツ姿のサラリーマン。

 みな、こっちをちらとだけ見てまた目を逸らした。

 下りの始発列車が来て、ユウたちは四人揃ってその中へ入った。

 ちょうど四人がけの向かい合わせのボックス席が空いていたのでみんなして座る。ユウは虎ちゃんと隣同士に、もう一方に芙蓉とリースが座った。

 ユウの正面には芙蓉が座ることになり、一瞬だけ目が合うとひと睨みされた。

 どうにもこの女子には好かれないらしい。

 あるいは本性を見抜かれているのだろうか。

 一見、友達同士のように思える四人だが、実際はお互いのことをほどんど知らない。

 虎ちゃんは単に昔からの知り合いというだけだし、芙蓉とリースも親しそうにしているが、別にプライベートで一緒に遊んだりすることはないようだ。

 男子メンバーと女子メンバーの間に至っては、全くと言っていいほど交流がなかった。

 ユウ達はクラスからあぶれてまとめられた存在だった。『はぐれ組』と仇名されていた。

 もともと友達でもなんでもないのだ。それぞれがそれぞれの理由で、クラス数十人のなかで誰とも上手く付き合えなかった人間達だった。

 はじまりは体育の授業でのチーム編成だった。

 四月の初め、まだ同じクラスになって間もない頃に、ユウ達と似たような雰囲気の男子女子が余った。

 そのときは七、八人はいたと思う。誰もが他人とのコミュニケーションを苦手としていた。もしくは自ら望んでコミュニケーションを取ろうとしていなかった。

 それが体育や実技の授業、学校行事のたびに一人また一人と他のグループに溶け込んでいなくなった。

 そして最終的に残ったのがこの四人だった。

 この四人で、今年の五月下旬、修学旅行に行った。

 ほかは一班六人で、ユウ達の班だけ四人だった。どこかの班からひとり出して五人の班を二つ作るという考えは、クラスメートはおろか担任の教師にもなかったようだ。

 そのことだけでも、この四人のクラスでの扱われ方を如実に物語っていると言える。


 乗り込んだ列車が動き出した。窓の外を見るとようやく霧が晴れてきている。

 ホームの景色が横へゆっくりと滑り出し、加速度をつけて消え去っていく。

 高いビル群を過ぎると、やがて街路樹が並ぶ街並みが見えてくる。

 薄くなった霧を通して、遠くから黄色い朝陽が差し込んでくる。その眩しさに目をつむる。

 発車しても、四人とも誰も喋ろうとしなかった。銘々が好きなことをしていた。

 虎ちゃんはイヤホンを片耳に入れて音楽を聴いている。リースは携帯の画面を食い入るように見ている。芙蓉は持参した文庫本を読み始めている。

 全員が、自分だけの世界に入っていた。

 向かい合わせの座席は、列車の中においてある種閉じられた空間に思える。

 仮に誰かがたった一人でそこに座っていたとしたら、よほど混雑していない限り、敢えて向かいに座る気はしないだろう。

 早朝の空いた車内で同じ年頃の四人が向かい合わせの座席に座っていたら、きっと外側から見た人は学校の仲良しグループが一緒に遊びに行くのかと思うはずだ。

 そんな空間で、しかし四人の心はバラバラだった。

 列車はじきに次の駅に到着し、すぐにまた発車した。それを何度も繰り返すのを窓を通して見ていた。

 日差しが強く、明るくなっていく一方で、街の様相は閑散とし、さびれていく。

 駅の周辺以外は開発が進んでいないような辺鄙な地域に変わっていく。

 下り列車は確実に田舎町へと進んでいた。


 ユウは以前より何人かの人間を、ある場所へ連れだそうと目論んでいた。

 しかし、自分のような人間の誘いにひょいひょい乗るようなお人好しがクラスにいるとは思えなかった。

 可能性が出てきたのは、修学旅行でのことだった。

 ほんの少しだけ、この三人とは同じ時間を共有し、多少なりとも仲良くなることができた気がした。

 普通の同年代の人間関係に比べたら全く知らないも同然だったが、それでもほかのクラスメートよりはましに思えた。

 もう少し時間をかけて仲良くなってから行動に移すことも考えたが、もうユウは待つのが限界だった。

 日増しに膨張する復讐心を、最早抑えられなくなっていた。

 最初は普通に遊びに誘おうかと考えたが、すぐにそれは無理だと分かった。

 修学旅行が終わったらまた四人は素っ気なくなったからだ。

 近くのカラオケやゲーセンならまだしも、一緒に遠出などとても不可能に思えた。

 次に考えたのは脅すことだった。

 決して恐い面構えではないので、態度で脅しても効かないだろう。

 何か弱みでも握れないかと探ってみたが、関係が深くない相手に弱点を見せるほど、三人はゆるい性格をしていなかった。ルーズそうに見えるリースでさえもそうだった。ちょっとした質問にも敏感に拒絶反応を示した。

 ユウは頭をひねって、策略を巡らせた。

 あまり回りくどいことをするより、まずは正直に用件を話そうと思った。

 三人に今度一緒に遊びに行きたい意向を伝え、そしてこれからも友情を育みたいといった趣旨の説明をした。

 虎ちゃんはにっこり笑ってくれたが、女子二人の反応はあまり芳しくなかった。

 目的地はかつて自分が住んでいた田舎町だということにした。

 そこにあまり人に知られていない絶景スポットがある、秘境と言ってもいい風光明媚なところだと言っておいた。

 あながち嘘ではないと思う。あれは美しい景色だった。

 決行は七月の祝日に定めて、三人にお誘いのメールを送っておいた。

 一応、返事は全員オーケーだったが、無理に頼んだも同然なのでドタキャンされるのも覚悟の上だった。

 最低でも、虎ちゃん一人だけ来てくれればいいと思っていた。

 もし誰も来なかったら、そのときは帰ればいいだけだ。

 そう思っていたからこそ、女子が二人とも来てくれたことに心から驚いていた。

 そして喜んだ。

 ほんのちょっぴりだけ良心が痛んだが、それは気にしないよう努めた。


 列車がトンネルに入った。

 山をくり抜いたトンネルで、これを何本も通過して目的地のある駅へ着くことになる。

 トンネルに入ると、窓が急に黒い鏡のようになる。そこへ映る自分と目が合う。

 トンネルを抜けると鏡は消え、次のトンネルに入ると再び黒い鏡は生じる。

 一瞬、ユウは鏡ごしの視線を感じてぎくりとした。また鏡は消える。

 さらにまたトンネルに入ったとき、黒い鏡のなかで芙蓉が本から顔を上げてこちらを見ていた。

 シャープなフレームの眼鏡から視線が飛んでくる。いつもの冷たい目ではなかった。

 思わず振り返ると、彼女はもう本へ目を戻していた。

 さっきの視線はなんだったのだろうか。

 単なる勘違いかも知れないが、親しみが込められているように見えた。

 今日来てくれたことといい、案外思っているほど嫌われていないのかも知れない。


 五十分ほどかかり、ようやく列車は目的の駅へと到着した。

 崖の途中に建てられたような駅だった。

 向かいのホームの柵から渓谷が見えた。

 そのさらに向こう側には細い道路を挟んで大きく広い山々が腰を下ろしている。

 駅にはやる気のなさそうな初老の駅員が一人いるだけだった。

 ほかの乗客もいない。

 改札は自動ではなく、単なる狭い通路だった。

 構内はユウの部屋くらいの広さしかない。

 手入れはされていないようで木製の柱もベンチもペンキが剥げている。

 ジュースの自動販売機は泥で汚れ、所々茶色く錆びている。

 駅を出ると何十年も立っているような腐りかけの看板があって、近くの旅館の名前が書いてある。

 その上を伸びすぎた木の枝葉がおおっていて、看板は半分しか読めない。

 明らかに三人のテンションが下がったのを感じた。

 こんな場所でも、春は桜で目覚めるような美しさを誇り、秋は紅葉で山々が赤や黄色の絨毯をひいたかの如く染まる。

 できれば三人とはそんな季節に来てみたかったと思う。

 ユウは早くもげんなりした空気の彼らを先導して歩き出した。

 明るい声を出して、盛り上げてみようと試みた。

 あと、もう少し、付いてきてもらわなければいけないのだ。


 あっという間に陽は昇り、気温も高くなっていた。ユウと三人はとぼとぼと歩き出した。

 風が緩やかに吹いている。

 セミの鳴き声がジージーと聞こえてくる。

 かろうじて舗装されている道を歩いて崖を下り、渓谷にかかる橋を渡る。

 欄干からは下の河が見えた。ごつごつと無骨な岩がむき出して、その間を飛沫ながら水が流れている。

 橋を歩いているのはユウたち四人だけで、地元の人も見当たらない。

 時々、軽トラや四輪自動車がアスファルトをかりかりと擦りながら走っていく。

 先を歩くユウに、三人は黙々と付いてきた。

 一人だけユウが喋り、それに対し虎ちゃんがおざなりな笑顔を返してくれるだけで、ほかの二人は何も口から発しない。

 リースはすでに疲れた表情を見せ、芙蓉は来るんじゃなかったという後悔の念が顔に出ていた。

 橋を渡って細い道路を横断し、山道に入る。

 ここからは登りになる。

 彼らにはもう少しだけ我慢してもらいたい。

 山に入ると木陰になり、意外と涼しい。木々を通して渓谷の水の音が遠くに聞こえる。

 それをおおい隠すようにしてセミが合唱している。

 舗装された道路から外れ、本格的な登山道に入る。

 芙蓉が暗い声でえ~っとうなったのが聞こえてくる。

 山の土を踏み、道と言えるかどうか微妙な道を進む。

 膝まで伸びた草がほうぼうに生えている。その細い枝葉が歩く足を引っ掻く。

 草は多く、避けて歩くのは難しい。

 小石が何気に邪魔だ。

 高い樹に挟まれて、陽があまり差し込んでいない。

 おかげで涼しいが、不安をかきたてるような暗さになっている。

 そのせいか、ただの雑草が奇怪に見えて不気味さを覚える。

 ひとけは全くない。そもそも、普段人が通っているのかどうかも怪しい。

 そろそろ不審に思われているかも知れないと心配になった。

 そんなときだった。


「ねえ、いったいどこへ行くの?」


 とうとう、聞かれてしまった。

 質問してきたのがリースだったことに、ユウは意表を突かれた。

 最初に聞いてくるのは、自分を信用していないであろう芙蓉か、頭が回る虎ちゃんのどちらかだと思っていたからだ。

 リースは見た目が派手で快活そうなのに対し、中身のほうは極めて内気でおとなしい女の子だと思っていた。


「この先にね、大昔に建てられたお社があるんだ。そこから見る山の景色が素晴らしいんだ」


「ここらへんって、あなたが昔住んでいた場所なんでしょ? 本当なの?」


 芙蓉が、口を挟んできた。


「本当だよ」


「こんな、何もないところに……?」


 それは、あんまりだろう。さすがに人は住んでいるはずだ。


「まだ小さい頃だったから、実を言うとよく覚えてない。でも、道はちゃんと前もって確認してあるから大丈夫だよ」


 それで納得してもらえたかどうかは分からない。

 踵を返して帰り始めるといったことはなかったので、とりあえず安心はした。


 山の道はいっそう歩きにくくなり、さらにちょっとした獣道にも入らなければならなくなった。

 これはしょうがないことだった。

 ほかに道はなく、ここを通らないと目的地まで辿り着けない。

 ずっと以前に一度だけ、一番奥まで行ったことがあるのだが、あれから時間が経ちすぎていた。

 計画は確実でなくてはならない。

 道を事前に確認して下調べしておいたのは本当だった。ここへは去年の十月と今年の三月にも来ている。

 いつか誰かを連れてくるための予行演習だった。

 同時にそれは、初心を忘れないようにするためでもあったのだが。


 山に入って一時間が経過していた。

 すでに列車に乗っていた時間を越えている。

 三人の表情からは疲労と強い困惑の色が読み取れた。

 これで何もなかったらどんな非難を受けるか分かったものではない。

 あの景色に三人が感動を覚えてくれることを期待する。

 そのうち靴に固い感触を感じるようになった。

 柔らかい土から、苔のむした平たい岩が垣間見える。

 なだらかではあるがいくつもが段になっている。

 次第にそれらはっきりと階段状になっていった。

 細長い雑草が茂って分かりづらいが、紛れもなく人工物の名残だった。

 四人は山歩きから一転して、今度は石段を登ることになった。

 後ろを見て三人の顔色を見てみる。

 階段になったことで多少、不安は和らいだように見えた。

 得体の知れない山の中を歩くより、かつて人がいた形跡を辿ったほうが安心するのだろう。

 階段の上方、最後の段のところに高い鳥居が建っているのが見える。

 もう少しだった。

 かなり息が切れる。段は中程から急勾配になり、一歩を進めるのにも力を要した。

 それに階段は木陰から外れているため、これまで通ってきた山道とは違い、初夏の日差しが直に照りつけてとても暑い。

 汗が首や頬を流れる。

 立ち止まって三人を見ると、芙蓉はかなり呼吸が速くなって苦しそうだった。

 リースも汗でTシャツがべたべたになっている。

 虎ちゃんはさすがと言うか、大きなリュックを背負いながらもまだまだ余裕はありそうに見える。

 ユウは試しに、芙蓉に手を差し伸べてみた。

 本当は美人でグラマーなリースのほうが良かったが、自分の近くにいたのがたまたま芙蓉だった。

 芙蓉はユウの掌を見て、眉根を寄せた。

 暑さと歩きで上気した頬が、いっそう赤くなった。

 怒ったのかも知れない。

 プライドを傷つけたのだろうか。

 そして一旦息を整えると、ユウの手を無視してまた階段を登り出した。

 気の強い彼女らしいと思った。

 単に自分なんかと手を繋ぎたくないだけかも知れない。

 リースのほうにも手を差し伸べようとしたが、意外にも頑張って自力で昇る意志が感じられたのでやめておいた。

 また無視されるのが癪だった、という理由もあったりする。

 その後ろでは密かに見守るようにして、虎ちゃんがさりげなくスピードを落として歩いている。

 そう言えばずっと彼は最後尾を歩いていた。

 その気になれば多分、自分よりも早く進めるだろう。それをあえてセーブして、女子を追い抜かないようにしている。

 彼なりの気遣いだろうが、女子二人はおそらく気付いていない。

 こういったことはやっぱり、曲がりなりにも昔からの知り合いだからこそ気付けるのだと思う。


 一行はようやっと頂上に着いた。

 息を切らせ、汗を流してきた甲斐はあったと思う。

 そこには見事なお社が建っていた。

 手水場に水はなかったが、大きな鳥居とその脇に控える狛犬、綺麗に敷き詰められた玉砂利、注連縄の巻かれた巨木、それに翼のように屋根を広げた煌びやかな拝殿があった。

 どこか違和感を覚えるのは掲示版や絵札、おみくじの結ばれた低木など、人の気配を感じさせるものが何もないせいだろう。


「こんなところに、神社があるなんて……!」


 芙蓉が珍しく興奮気味に喋った。

 眼鏡の向こうにある瞳が見開かれ、唇が少し開いたままで驚きの表情を浮かべている。

 彼女には稀少な顔だ。

 ほかの二人はと探すと、リースは階段の最上段に座り込んで空を仰ぎ、苦しそうに深呼吸を繰り返している。

 虎ちゃんは疲れなど微塵も見せず、離れたところできょろきょろと興味深げに境内を観察している。

 ユウは、神社の様子に何か嫌な感覚を覚えた。

 前回、前々回、下見に来たときはこんなに整っていただろうか。

 一回目ははるか昔に入ったときの恐怖心が勝って階段を登りきったところで帰ってしまったが、二回目は勇気を出して神社の中まで入り、下への入口も確認した。

 あのときはもうちょっと荒れていたように思う。


「ね、写真、撮ろうよ」


 虎ちゃんがユウたちに提案してきた。

 そう言えば、彼の趣味はたしかカメラだった。この遠出にカメラを持ってきていないはずがない。

 ユウが短く首を縦にふると、虎ちゃんは大きなリュックを背中から下ろして、中から愛用のカメラと折りたたみ式の三脚を取り出した。

 あんなものを入れているから、大荷物なのかと納得する。

 彼はそれを鳥居の真下にセットし始めた。

 それを見て芙蓉とリースがユウのもとへやってきた。

 なんとなく三人集まって彼が準備を終えるのを待っている。

 少しは話せばいいのに、無言で待つ辺りに自分たちの微妙な距離感を感じる。

 虎ちゃんが使うカメラは今どき珍しい、フィルムを使うアナログなものだ。こういう面倒な機械も彼の好むところである。

 撮影の準備が整った。

 三脚の上にカメラが乗せられ、タイマーがセットされる。

 虎ちゃんがカメラから駆けてくる。

 シャッターが切られる直前、ユウは横からぐいと芙蓉に体を押しつけられた。

 自分の肩ほどの位置にある彼女の顔を見ると、渋い表情だった。

 どうもリースに向こう側から押されたせいで、ユウに寄り添ってしまう形になったようだ。

 たしか修学旅行のときにも同じことが何度かあった。

 気の弱いリースは険悪なムードに耐えられないのか、ユウと芙蓉を仲良くさせようとして、写真を撮るときに二人を並べるよう画策してきたのだった。

 気を配ってくれるリースには悪いが、芙蓉は迷惑しているし、こっちも迷惑だ。

 ともあれ、ユウたちは四人並んで集合写真を撮った。

 神社を背景にして、夏の青空のもと、きっといい写真が撮れたことだろう。

 みんなが笑顔ならという条件つきだが。

 確認せずとも、ぎこちないのは分かっていた。


「いい記念になるね」


 ただ一人、虎ちゃんだけが無邪気に喜んでいた。


「うん、たしかに。いい記念になると思う」



 写真を撮り終えて、一段落ついたところでユウは自分の計画を第二段階へ移行することにした。

 自分で自分に、気合いを入れ直す。

 色々悩んだが、ここまで来た。

 来てしまったのだ。

 さあ、ここからが本番だ。

 ユウは大きく息を吸い、ゆっくりと鼻腔から吐き出した。


「ね、みんな」


 三人に呼びかけた。

 悟られないよう、そっと登ってきた階段のほうへ回り込んで立った。

 三人の立ち位置と自分との距離を確認する。

 右手側に芙蓉、真正面にリース、やや距離を置いて左手側に虎ちゃんがいる。


「スマホ、出して。ここに置いていくから」


 三人とも、突然何を言い出すのかと呆気に取られていた。

 無論、誰も言うとおりにスマホを出そうとはしない。


「こんな山奥だと携帯通じないと思うけど、万が一とかあるし、ここに置いていってもらいたいんだ」


「はあ? なに言ってるの」


 芙蓉が色をなした。

 ほかの二人は見るからに戸惑っている。

 ユウが考えた策略とは、まずは正直に自分の気持ちを伝えることだった。

 一緒に遊びに行こう、友情を育もう、と。

 そうして誘い出したら、ある程度進んだところで今度は脅して言うことをきかせる。

 最初から脅すではなく、途中で態度を変えるわけだ。

 これなら上手くいくと考えた。

 ここから先はどんなに言葉を尽くしても一緒に進んでくれないと思う。

 無理強いするしかない。

 どこで態度を変えるかタイミングが重要だった。おそらくお社まで来たところで行うのがベストだと考えていた。

 ユウは、手にしていた長い布の袋をめくり、中から棒状の得物を取りだした。

 黒く長く、わずかに反っている。

 布の袋は落ちるにまかせ、しゅるりと中身を引き出す。足元に先端を置けば、自分の肩ほどまでの長さがある。

 芙蓉がユウの持つ物体を見て、怪訝な目つきになり、次に呆れた表情に変わる。


「何それ、修学旅行のお土産?」


 言って彼女は乾いた声で嗤った。

 確かに似たようなものは旅行先で売っていた。定番のお土産の一つで小学生がよく買っていた。

 もちろん彼女とは同じ班として一緒に行ったのだから、ユウがそんなものを買っていないのは知っているはずだ。とてもこっそり買えるような大きさではない。

 突然取り出した刀を見て、馬鹿にして皮肉ったようだった。

 リースも、虎ちゃんでさえも、若干のせせら笑いを浮かべていた。

 そのくせこっちを見ようともしない。

 やっぱり舐められている、と感じた。

 どうも、脅されているということが通じていないらしい。

 無理もないと思う。

 これまで一応は仲良くやってきたのだし、それに自分の顔は自分でも無害そうに思える。

 脅すようなキャラクターに見えないのも仕方がない。

 ユウは鯉口を切り、鞘から刀身を抜きだした。

 自身の背丈で扱うにしては長めなので、足を切らないよう充分に注意して抜く。

 音もなく、刃は現れた。

 赤銅色をして、目に似た紋様が浮いている。

 間近に見ないと木製に見えるかも知れないが、れっきとした合金製だ。

 くすっと笑い声が漏れた。

 やっぱり、竹光に見えるらしい。

 同級生がいきなりこんなものを出したらそれは笑うだろう。

 きちんと、本物であることを伝えなくてはいけないと思った。

 鳥居の柱がそばにあったがさすがに罰当たりな気がして、代わりに手水場の隣に置かれた巨石に目を付けた。

 巨石のそばへ歩み寄って、斜め下に刃を当てる。

 軽く力を込めると、すうーっと抜けるような感覚とともに、刃は上へ動いた。

 包丁で果物を切るときと同じくらいの感触だった。

 上へ振り上げると、陽の光が照り返ったのか刃がぎらりと輝いた。

 巨石の上半分を手で押すと、刃の通った線に沿ってずれて、やがてずるっと境内の土の上に落下した。

 土が驚くほど大きな音を立てる。

 その音は思いのほか大きく、切った石の重量がいかに大きいかを物語った。

 割面は磨いたみたいにぴかぴかで、ゼリーかバターでも切ったように見えた。

 ユウはおもむろに後ろを振り返った。

 リースは碧い目を開いて微動だにしない。

 芙蓉は心なし、後ろ側へ下がっているように見える。


「これ、切れるんだよ。すごいでしょ」


 リースが、走り出した。

 ユウは思わず、刀を持った手を振ってしまった。

 しまった、と思ったが遅かった。

 彼女が肩から提げていたアミカゴの下半分が落ちて、中身がばらけた。

 そのなかの小さなピンクのスプレー缶が、リースの足の裏に転がり込んで、彼女は横倒しになった。

 膝から砕けるような転び方だった。

 ユウは体にも傷を付けてしまったのかと心配になり、近寄って血が出ていないか確認してみた。

 彼女の体はどこも赤く濡れていなかった。

 幸いにも、刃は体に届いていないようだ。

 ほおっと、安堵する。

 急に逃げ出すものだからつい反射的に手が動いてしまったが、無事で良かった。

 たとえ無意識の行動であっても、今ここで彼女たちを傷つける気など毛頭ない。ちょっと持ち物でも切って驚かせるだけでいい。

 密かに間合いを練習してきた甲斐があったと嬉しくなる。

 咄嗟に振ってもきちんと目標だけを切ることができた。

 よく見るとリースのふくらはぎが小刻みに動いている。シューズのつま先が細かく振動している。

 白い顔に付いたぽてっとした唇が、血の気を失って半開きになっている。

 震えている、と分かった。

 転んだのはスプレー缶を踏んだためではなく、むしろ震えで足の力が抜けたせいかも知れない。

 ユウは動かないままでいる芙蓉と虎ちゃんを見て、よく聞こえるようはっきりと発音した。


「そうは見えないかも知れないけど、僕は君たちを脅しているんだ」


「あ、え? な、なんて?」


 芙蓉がどもった。


「あのさ、命って、なんだと思う?」


「な、なんなの、なんなのよ、いきなり」


 ユウは倒れたリースのそばで、刀の切っ先を地面に付けてつーっと、円を描いた。


「僕ね、命って、一種の永久機関だと思うんだ」


「は? そんなわけ、あるはずない。し、死んじゃうじゃない」


 命は永遠ではない。そんなことは分かっている。


「うん。でも、生きているうちは」


 ああ言うと、みんな同じことを答える。

 一体どうして、死ばかり考えるのか。


「生きているうちは、半永久的に動く」


 生きていることがどういうことか、何を意味しているのか。

 どうしてもっと深く考えない。


「命って、すごいよね。外から取り込んだものを、自分のものにしちゃうんだよ。そうやって、延々と生き続けるんだ。ぐるぐると、廻り続けるんだ」


 円を、何度もなぞる。


「生きている限り、廻り続ける。そのエネルギーを取り出して、別のことに使おうって考えた人たちが昔、いたんだって」


「それ、今の状況と何の関係があるの」


 これは虎ちゃんだ。

 彼は滅多なことでは動じない。声にも張りがあり、怯えた様子はない。

 さすがだと感心する反面、腹立だしくも思う。


「こっから先、行く場所はね、そういう人たちが大昔に造った建物の残骸なんだ。命をエネルギー源として使っていた異文明の、太古の遺跡。そこを歩くのに一人じゃ心細くて、それでみんなを連れてきたの」


 全員を見渡す。一様に聞き入っている。


「そんなとこ行くの、いやだろ。だから、脅してみた」


 そう言って、ようやくここで、ユウは刀を鞘に納めた。

 にっこり、笑った。


「一緒に行って、くれるよね?」


 そこかしこからセミの鳴き声が響いている。夏の陽が照りつけている。

 ほんの数分程度、静寂があった。


「情報を外に漏らしたくないんだ。スマホ、出して。ここにまとめて置いていくから」


「ユウくん……」


 虎ちゃんが眉間に少し皺を寄せて、つぶやくように呼びかけてきた。

 短く、抑揚はほとんどなかったが、ユウの耳には非難に聞こえた。

 それを聞いて思わず、気持ちがぶれそうになる。腹に息を溜め、気合いを入れ直す。

 心を、鬼にしなければ。

 自分にとって一番の目的を思い出してみる。

 大丈夫、もう決めたこと。迷いなんてない。

 あるはずない。

 迷えば、自分が危うい。

 三人は、おとなしくスマホをユウに差し出した。

 まさか二つ持っていることはないだろうと思ったが、念のため聞いてみると虎ちゃんがガラケーとスマホの両方を持っていた。

 どちらも取り上げる。

 もちろん先程使ったカメラも忘れてはいない。

 そして全部まとめてビニール袋に放り込み、境内の土を軽く掘り返してそのなかに埋めた。


「帰りにまた取り出して返すから」


 そう言っておいた。返す気はさらさらない。自分のスマホは当然持ったままだ。

 脅していることは伝わった。

 だが自分でやっておいてなんだが、必要以上に怯えさせてしまったのではないかと不安になる。

 それはそれで困ることだ。途中で必ず、最低一人の協力がいるのだから。

 虎ちゃんはいい。顔は平然としている。ただ唇を少しとんがらせているだけだ。

 女子二人のほうは、ひどい顔色だった。

 気の強い芙蓉も、今日ばかりは表情が強ばり、顔色は青白くなっている。

 リースのほうは特にひどかった。未だ転んだ状態のまま、立ち上がれないでいた。

 彼女は体格が大人並みで、それも大柄な欧米人と同じくらいある。自分も、小柄なほかの二人も、肩を貸して歩かせるのは到底不可能だ。

 悪いが、自力で立って歩いてもらわなければいけない。


 まずいなあ……。


 ユウは伏せった彼女のそばで腰をつき、目線を合わせてから努めて優しい声を出した。


「そんなに、怖がらないで。一緒に来てくれさえすれば僕は何もしないよ。それに一見の価値がある場所なんだ。とっても綺麗なところだよ。絶対、後悔はさせないから」


 手を引いて起こそうとすると、横から芙蓉が飛び出てきて割って入った。

 ユウの代わりにリースの腕を持ってなんとか立ち上がらせる。

 リースの目は涙のせいか充血している。小さく鼻をすすっている。金髪が乱れて額や頬にかかっている。

 不覚にも色っぽいと思ってしまう。

 こんなきれいな女子を泣かせたことに、胸が少し苦しくなった。


「じゃあリースは君にまかせるよ。時間ないし、もう行くよ。ちゃんと連れてきてね」


「……最低」


 胸に刺さる芙蓉の小さなつぶやきは、聞こえないふりをした。

 虎ちゃんが質問してきた。


「行くって、遺跡? でもこれ以上どこへ行くの」


 今いる場は山頂の神社である。見渡す限り、ほかに何もない。


「あの神社。その拝殿の中。奥のほうに入口があるんだ。そこから下へ降りるの。大丈夫、別に恐いものはないよ」


「そんな、神社の建物のなかに勝手に入るなんて」


 芙蓉が抗議の声を上げる。


「ここは神社と言っても、もうご神体はないんだ。それに滅多に人は来ないし。遠慮はいらないよ」


「へー……」


 虎ちゃんの声が少し弾んでいる。

 ぎょっとしてユウは彼の顔を眺めた。


「ここの下に、遺跡があるんだ」


 彼は、場違いなほどに朗らかな笑みをたたえていた。

 ユウはほとんど呆れた。

 なんて嬉しそうな顔をしてるんだ。脅しはまるで通用していない。

 ユウは彼の優秀さと好奇心の強さを知っている。あらかじめスマホを取り上げておいたのは正解だった。ほんの些細なキーワードからネットで検索されたら厄介だ。

 実はこの下にある遺跡は、ネットに載っている。

 信じられない馬鹿馬鹿しい話だが、本当にこのファンタジックな異文明が、ネット上で有志達により詳細な検討、解説がなされているのだ。

 本当、ネットにはなんでもある。

 便利だが、厄介だ。


「説明するより、見た方が早いよ。じゃあ、行こう。さ、さ」


 ユウに促されるまま、三人はその拝殿へと歩を進めた。


 低い段差を上がり、観音開きの扉を開けて中へ入る。

 途端、涼しさを感じる。

 芙蓉が肩をぶるぶるっと震わせた。

 中はことのほか暗かった。光は扉からしか入り込んでいないため、時間は昼近いのに奥は真っ暗な闇に包まれている。

 ほんのり、いい香が漂っている。建物の材料である木の匂いなのか、香なのか、定かではない。

 扉と対称に位置する壁に、木製の格子戸があった。鍵はない。あっても誰にとっても意味がないので取り付けられていないのだろう。

 もし付いていたら、自分なら即座に刀で切って壊してしまう。

 格子戸を上に持ち上げて開けると、その向こうにはさらなる暗闇の深淵が覗いていた。

 ユウは闇のなかに左手を差し込むと、近くの壁を中指で何度かノックした。

 すると街灯のようにぽつぽつと淡い燐光が壁際に灯り始めた。

 ほとんど一定の間隔で、青い光が左右の壁に幾つも点灯する。

 三人は分かるだろうか。これが決して電気の光ではないことを。

 青い光が闇の中に階段を照らし出す。

 先の見えない、下りの階段だった。

 壁に挟まれた幅は二人の人間がかろうじて通れる狭さで、天井の高さはユウならまだ余裕で通れるが、リースはかがまなければいけないほどだった。

 四人は虎ちゃん、芙蓉、リース、そしてユウの順で入った。

 計画どおりだった。

 これで、彼らに遺跡へつながる入口をくぐらせることに成功した。

 内部は壁も、階段も、天井も、直方体の石が隙間なく組み合わさってできている。

 灰色の、滑らかな印象の石材だった。

 虎ちゃんが壁の石に手を触れた。そのまま手の平を押し当て、質感を確かめている。

 あれは見た目よりも弾力がある。

 虎ちゃんは驚いている様子だった。より注意すれば、仄かに暖かみがあるのも感じられるはずだ。

 リースと芙蓉は、石よりも青い光のほうに心奪われているようだった。

 熱源はないので触っても熱くもないし、暖かみも感じない。

 その不思議な蛍光の青を、ふたりは足を止めて取り憑かれたように眺めている。

 どうやら興味を持ってくれたようだ。

 女子たち二人には、先程の自分の態度のせいで怯えさせてしまったが、これで多少は気がまぎれたかも知れない。

 ユウは安堵の息を漏らした。

 この先はもっと凄い光景が待っている。どんな反応が返ってくるか楽しみだ。

 ここから先に実際に入るのは、ユウ自身、何年かぶりになる。

 構造は変わっていないはずだ。決められたコースを通れば、最深部まで何の苦もなく行けるはず。

 青く照らされた階段を降りながら、ユウは以前にこの遺跡に入ったときのことを思い出していた。

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