嘘の亡者

シチメンチョウ

第1話 幼い記憶と嘘

「習い事は、英会話、塾、水泳、バレエ、ピアノ、そろばん、習字だよ」


私の中の一番古い記憶は、幼稚園でついた嘘だった。



「春桜(はるか)はいい子だね」 

「うん」

「これからもお母さんを支えてね」

「うん」

幼い私でも分かることはあった。

母は忙しい。母は大変。母は可哀想。

女で一つで、子供を4人育てている母は、

朝から晩まで仕事を掛け持ちをして、働きに出ているので、幼稚園に送ってくれる時だけが、母を独り占めできる時間だった。


「いきたくない。いっしょにおうちかえろう」


毎朝ぐずって、通園の時間を稼ぎ、母を困らせていたらしい。


幼いながら、母が働かなくては生きていけないことは分かっていたので、それ以上我儘は言わなかった。

困らなせないよう、悩ませないよう、いい子に振る舞った。


「友達はたくさん出来た?」

「うん。たくさんいるよ。はなちゃん、みづきちゃん、のぞみちゃん、のりこちゃん、はやとくん、みんなともだちだよ」


嘘。

口数の少ない、根暗な私に友だちは出来なかった。


お父さんから逃れる為に、夜逃げしてきた私たちは、引っ越しを繰り返してきた。

母もその度に仕事を変えてきた。

その上、12個上の兄は引きこもり、ゲーム三昧。2番目の10個上の兄は家を出て、音信不通。

幼い2つ上の姉は、自由奔放な問題児。

末っ子の私は、そんな兄姉を横目に、母になるべく迷惑をかけないよう、静かに過ごしていた。



春から小学二年生になる私は、5度目の引越しで、8年ほど住むことになる見渡す限り畑ばかりの田舎に引っ越してきた。


転校先の学校では、転校生が珍しいらしく、物珍しさに私にも友だちが出来た。

毎日学校から帰ってきても、母は仕事で家に居らず、兄の奏でるゲーム音のみが響いている。

私は毎日遊びに出かけた。


夕方、腹が減って遊びから帰ってきても、夕飯はカップ麺のみ。

風呂は3日に一回。

小学生4年生の姉と、私しかいなかったので、ゴミは散乱し、荒れ放題だった。


家の中はそんな状態だったにも関わらず、美人だった母には、いつも彼氏がいた。

金銭面もきっと助けを得ていたのではないかと思う。


やがて、仕事と育児と恋愛で心身ともに疲れ果てた母は、酒に逃げるようになった。


「もうお酒飲むのやめてよ」

「じゃあ春桜が働いて。お母さんが働かなきゃ春桜も生きていけないんだよ!!」


着物を着た女性の絵が描かれた紙パックに入った日本酒を、毎晩2リットル程飲んでいた母は、私の知っている美人で優しい母ではなかった。


シワは増え、毎日手入れしていた髪も、白髪が混じり、別人のような見た目。タバコも1日に何箱も吸うようになり、酒に酔えば、暴言を吐くようになった。



そんな生活が2年ほど続き、小学四年生の夏。

母は仕事を辞め、朝から酒を飲み、一日中寝ているようになった。

夜になるとそんな自分を責め、私たちの前で自傷行為をして、姉と私は泣きながらそれを止めた。


とうとうトイレにも歩いて行けなくなった母の肌は、黄色かった。


母は入院した。


アルコール中毒だった。


引きこもりの兄は家を出て、母の入院している期間私たち姉妹は祖父母に引き取られ、存分に甘やかされ過ごした。


「このままジジとババといっしょにいたい!」

それだけで祖父母は笑顔になった。

そして、夕飯が豪華になった。


嘘。わたしは母が好きだった。


祖父母に敷いてもらった布団の中で、姉と泣いた。

「ママ、いつよくなるかな」

「またいっしょに暮らせるよね」

「退院したら前のママに戻ってるかな」

「もうお酒のまないよね」


私の過去。

誰にも言えない心の底の暗い部分。

夏が来ると毎年思い出す、暑さで籠った排尿と腐敗したカップ麺の匂いが、今年も鼻先を霞める。

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