第8話 生活防衛資金

 生活防衛資金とは、三ヶ月から半年分の生活費を指す。


 それくらい現金を置いておけば、ケガや病気などで働けなくなっても過ごしていける。


「ところでリアンさん、今どれくらい貯金がありますか?」


 ウチは、通帳を見せる。


「残高、九四円……」


 ギャラ発生まであと一日にして、この金額よ。


「誕生日配信がなかったら、餓死していたかも」


「まあ人間は、一週間くらいなら水だけでも生きていけますが。水道光熱費などは、大丈夫なんですよね?」


「それは大丈夫。ガチャとかも、ムリはしてないし」


 ガチャを回す人の中には、家賃ギリギリでやってる人もいる。

 ウチはそんなこと、マネはできない。

 酒を飲みたいからね。でも、酒ガチャだったらやってしまうかも。


「あっ! 待っててや。掃除してるときに、通帳が二、三通出てきたわ」


 小学校のときに貯めていたお年玉が、まだ残っていたはず。


 ゆうちょ銀行の定期預金に入れていたのだ。

 

「あるある! 三〇万! これがウチの虎の子やねん」


「……!? ちょっと貸してください!」


 突然むつみちゃんが、ウチから通帳をひったくった。

 青ざめる。


「明日までに、急いで引き出してください! もしくは、ネット銀行に移してください! なるべく早く!」


 むつみちゃんが【平成一九年九月三〇日以前にお預け入れいただいた定額郵便貯金、定期郵便貯金、積立郵便貯金】の欄を、見せてきた。

 

「えっとなになに……『満期後二〇年二か月を経過してもなお、払い戻しのご請求等がない場合は、旧郵便貯金法の規定により、お客さまの権利が消滅し、払い戻しが受けられなくなります』……やとぉ!?」


 アカンアカン! はよ引き出さんと!

 

「そっちは、まだいいほうですよ。【平成一九年一〇月一日以後にお預け入れいただいた貯金】なんて、もっとひどいですよ。満期一〇年で取り扱いがなかったら、権利消失ですから」


 危なかった。二〇歳までお年玉を入れていたから、ギリギリやんけ。


「それはネット銀行に移しましょう。ついでに投資用の口座を開設すればいいですね」


「レクチャーお願いします」


「はい。今日はもう遅いので、明日またうかがいますね」



 

 

 で、翌朝を迎えた。


 うう。なにもやる気が起きない。

 昨日、特に飲みすぎたわけじゃないのに。

 頭が、とにかく痛かった。

 戸棚から頭痛薬を取って、飲む。

 薬で胃に負担をかけないように、朝はコーンフレークをちょっとだけにしておいた。


 ああ、まだ眠い。


 むつみちゃんが、朝早くから来てくれた。 


 すぐに、ゆうちょの定期を移す。

 預金は無事、メインバンクであるネット銀行へ。


 危なかった。まさか、ゆうちょにそんな罠があったとは。


「ゆうちょが、悪いわけじゃないんです。どこでも仕組みは、ほぼ同じなので。ゆうちょ銀行をメインバンクにしていたら、こういう事態は起きないのですが。うっかりしてしまうと、こうなるんですよね」

 

 次に、口座を開設しようとした。


「ふわああ。しんどいけど、辛抱やね」


「待ってください。今日はここまでにしましょう」


 むつみちゃんから、ストップがかかる。

 

「ええの?」


「はい。今は四月末です。投資をするにも、中途半端なので」


 なので、今日はオフにすることにした。 

 

「せやな。頭が沸騰するくらい疲れてるし」


 なんか、なにかしたくてもダルい。

 正直な話、何も手につかなかった。


「それは、脳疲労です」


 脳を使いすぎて、オーバーヒートしている状態を脳疲労という。

 現代人はスマホやPCの使いすぎで、脳が休まるヒマがない。

 なので、デジタルデトックスも必要らしい。


「サプリやエナドリを飲んでも、ダメです。元気の前借りをしているだけで、疲労は飛びません」


「どないしたらいい?」


 このまま、なにもしないほうがいいのか?


「寝ていたほうが、いいですね。本当は運動のほうが、いいんですが」


 脳を休めるのに最適な方法は、実は運動らしい。

 血流を良くするのが、いいのだとか。


 頭を使うときは、長時間同じ姿勢でいることが多い。

 自律神経も常にオンの状態が続くため、脳が悲鳴を上げる。


 そこで、二〇分の散歩やストレッチを、日常に含めるのだ。

 少しキツめくらいの運動が、脳にいいらしい。


 ただ、ウチはちょっとダメかも。

 

「ちょっと、横になるわー。お昼がてら、散歩でもしよか?」


「いいですね。今日は、外が暖かいですし」

 

 少し眠ってから、一〇時前に外でブランチを取ることにした。


 ジョッキのアイスコーヒーが出る店で、サンドイッチをガブリと貪る。

 

「配信も、おやすみしますか?」


「いや。夜にゲームだけする」


「じゃあ、リスナーと対戦しますか」


「せやな」


 お昼以降、むつみちゃんは他のVの面倒をみるという。


「ふーっ。これで投資人生の第一歩が始まるんやね」


「いえ。今月以降は、口座開設だけで充分です」


「そうなん?」


「先日も言いましたが、今は、生活防衛資金の確保に専念しましょう。お金をためている間に、投資プランを立てておきます」


「プラン、とは?」


「将来、どのように生活したいかを、具体的に考えます」


 将来設計を考えずに投資を始めてしまうと、なんのために投資をするかわからなくなってしまう。

 結果どうなるかというと、『ムダ遣い』をする。逆に過剰に投資をして、『金が溜まった頃には老人』に。一番若い頃を、雑に過ごしてしまうのだ。

 

「わたしは、リアンさんの配信企画を立てたに過ぎません。リアンさんが、ご自身のライフプランを考えておくことが重要です」

 

 人生には、予想外のイベントが多い。結婚や子育て、マイホーム購入など。

 だが孤独を好み、自分の趣味だけに生きる人もいる。

 自分がどの道を進みたいのか、あらかじめ考えなければならない。

 なんのプランもないのに備えだけしていても、モチベーションは上がらないのだ。


「どのような価値観を大事にしていて、どう生きていきたいのか。お金の貯め方は、人によって変わるのです」


「そのための、『ほしいも管理』やったと?」


「正解です」

 

 投資の前に、自身の金の使い道を把握する。

 どこに価値観を置いているか、なにがしたいのか。

 目的さえハッキリとしていれば、最適な投資法が見つかる。


「投資って、いろんなタイプがあるってわけ?」


「そうですね。今は、口座開設のことだけ考えましょうよ」


 今は下手に、情報を入れないほうがいいみたい。

 

 ウチは再び、家でまったり過ごすことにした。

 とはいえ、デジタルデトックスは怠らないようにと、釘を刺される。


「エゴサのし過ぎで、長期休養を余儀なくされたVもいますので、注意してくださいね」


「わかった。スマホの電源、切っとくわ」


「それがいいでしょうね。夜までは、電子機器は触らないように」


「せやね。ほなねー」


 むつみちゃんと別れて、ウチは少し眠った。

 二〇分だけ仮眠を取って、その後は街を歩く。

 

 特に欲しいものはない。

 いつもなら、化粧品やバッグをサーチしているのに。


 夕方、外でアルコールと唐揚げをキメて、コンビニへ。


(せや。配信で食べるお菓子を買っとこ……か……あれ?)


 いつもなら、お菓子コーナーに手が伸びる。

 しかし、ウチの手が止まった。


(そういえば、お菓子もらっとったやん。お酒も家にリスナーからもらった梅酒が残ってるし。今日は、ええか)


 翌朝用の菓子パンだけを買って、コンビニを出る。

 

 普段だと、欲しいものがなくてもコンビニへ入っていた。

 

 結構、物欲が制御されている。

 コンビニでも、本当に欲しいものしか手に取らない。

 これが、投資する人の感覚なのかな?


 

 夜はリスナーと、壁を塗りつぶすゲームでハッスル。

 気がつけば、寝落ちしていた。


 翌日のお昼、ウチの配信は強制終了になっていて、切り抜きでイビキが全世界に配信される羽目に。


 むつみちゃんが、一四時過ぎに我が家へ。


「おはようさん。よっしゃ。生活防衛資金を貯める宣言を」


「それなんですが、貯まりました。イビキ動画がバズったので」


 一晩でかよ!?

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