変えられない過去、変えられる未来
目の前のローテーブルに、シヴェルナ王国と思われる大きな地図が目一杯広げてあった。
そこへ数か所、赤でバツ印が書き込まれてる。
「それらは危険種が現れた場所だ。 最近数が多いから気になってな」
顔を上げると閣下がすぐ側まで来ていた。
近い、近過ぎですよ閣下。
でも閣下はそのまま私の隣りに腰掛け、難しい顔で地図を眺める。
「危険種って、刀剣狼みたいなのが他にもいたんですか?」
「あぁ。 中には暴徒化している魔物もいてな。 だから今、武闘祭の開催を検討している所だ」
「武闘祭……?」
「知らないのか? 昔ルカス殿も出場していただろう」
「もしかして、大きな闘技場で戦っていたのがそうですか?」
「あぁ。 昔は一般参加が多かったんだが、最近は騎士達の昇格試験の場になってる。 確かルカス殿も優勝経験者だったな」
「そうです! ……って、閣下はその頃から父をご存知だったのですか?」
「あぁ。 実は俺達も、その年の武闘祭で一度会ってる」
「え……」
どうしよう、全然記憶にない。
確かあれは八年前。
優勝して上機嫌な父に肩車をしてもらって、色んな所に連れて行ってもらった事ぐらいしか覚えてない。
「何も思い出せずに申し訳ありません……」
「まぁ仕方ない。 挨拶が済むとすぐに追い返されたからな」
「何故です?」
「ルカス殿が君に近づく男は年齢関係なく排除していたからだ」
「は、はは……」
「まぁ、おかげで変な虫がつかずに済んだがな」
虫?
何の話かよくわからないけど、とりあえず父は私を守ってくれてたのはよく分かった。
私の父ルカス・アルバートは、熊のような巨体で長剣を振るう剣士だった。
閣下の様に魔法を使わず敵を薙ぎ倒していくタイプだったから、間近に迫られると我が父ながら畏怖してしまう事もあった。
顔に傷があったけど、豪快に笑う人。
剣術だけでなく生きていく知恵を私に沢山教えてくれた。
「あの、因みにどんな指導を受けてたんですか?」
「ちょっと休んでたら水を吹っかけられてた」
「日常にですか?!」
「あぁ。 しかも殺気立って打ち込んで来るからなかなか恐ろしかったな」
あぁ、閣下が遠い目をしてる。
あれだけの実力があるんだから、相当しごかれたんだろうな。
「あとは『俺の娘は世界一可愛いんだ』って散々言いまわっていたな」
「え……」
確かにそれは浴びるように聞かされていた。
でもそれを他でも言い回ってたという事は……。
「まさか自分の娘が
「いや。 バラした上で『娘に手を出したら承知しない』って牽制された」
「嘘……」
普通だったら『
それでも父は私の事を……。
胸の奥で温かいものが込み上げてくる。
そして閣下も、フッと顔を綻ばせた。
「『魔力があろうがなかろうが、俺にとっては大事な娘だ』といつも言っていた。 周囲の目などもろともしないから、子どもながらに格好いいと思ったよ。 心から尊敬している」
閣下が知ってる、もう一つの父の顔。
それを聞くことが出来て本当に良かった。
そう感傷に浸っていると、突然閣下の表情からスッと笑みが消えた。
「それだけ俺にとっても、君にとっても大切な人だった。 なのに、俺はルカス殿を救えなかった」
「え……?」
「ルカス殿は七年前の厄災で、俺を生かす為に命を落としたんだ」
閣下は膝に置いていた両手にグッと力を込め、苦しげに呟いた。
七年前。
後に『魔物の暴徒化事件』と呼ばれる大規模な厄災で父は命を落としたと聞いた。
その場に閣下もいたってことなの?
「どうして、ですか……?」
「前国王陛下が倒れたと聞いて、遠征先から王都へ戻る途中で危険種の魔物達に囲まれてしまってな。 ルカス殿は俺を馬車に押し込んで、そのまま王都へ転移させたんだ」
「そんな……何故皆で逃げなかったんです?!」
「あの時はクーデターも起きてシヴェルナ政権も追い込まれていた。 だからあの場で俺を死なす訳にはいかないと、皆が俺を逃がしたんだ」
「逃がしたって……、なぜ閣下だけなんですか?」
「俺がまだ第二王子の立場に居たからだ。 現国王ウィラード陛下が血の繋がった俺の兄になる」
「第二王子?!」
衝撃の事実に思わず大声を上げてしまった。
ウィラード陛下は確か閣下の様に美しい人で、傾きかけた国政を再建させた若き賢者だと聞いた。
年も近そうだし、閣下も公爵家の人間だから確かに有り得るのかも……。
「彼らのおかげで俺は兄の王位継承を見届け、こうして生き延びている。 だが……あの時の俺にもっと力があれば、彼らは命を落とす事はなかった。 目の前にいたのに大事な仲間を守れなかった。 だからもう王子を名乗る資格はない。 それで俺は陛下の臣下に下り、騎士として生きることを選んだんだ」
「……」
「ロゼ、君の大事な家族を奪ったのは俺だ。 そのせいで君はザクセンに連れ去られ、苦しませてしまった。 本当にすまなかった」
深々と頭を下げる閣下に、私は声がでなかった。
確かに両親の加護が無くなった私は伯父の格好の餌食になった。
日々繰り返される虐待や理不尽な仕打ち。
無慈悲なこの世界を恨んだし、生きる事も何度も諦めそうになった。
あの苦しみに落としたのが閣下だったなんて。
言葉で表せない感情に体が震え、涙がどんどん溢れてくる。
いつの間にか、嗚咽を上げて泣いていた。
「……今、すごく父に会いたいです」
「……そうだな」
「でも、もう会えないんですよね」
「……あぁ」
やるせない気持ちで胸が張り裂けそうになる。
でも頭に浮かんできたのは、大口を開けて笑う父の姿だった。
今の私を見たらどう思うだろう。
閣下になんて言葉をかけるだろう。
考えてると、少しずつ気持ちが落ち着いてきた。
「閣下も……、父に会いたいと思いますか?」
「勿論だ。 ……叶うなら、今すぐにでも」
小さく震える声にグッと胸が苦しくなった。
私の名前を聞いた時、閣下はすぐに父の名を口にした。
それはこの七年、ずっと贖罪を背負って生きてきたからだ。
七年前の事だし、きっと誰も覚えてない。
しかも娘はセロなんだから、そのまま放置したって問題なかった筈だ。
なのにずっと罪悪感を抱えて生きてきたと思うと、それ以上は責められなかった。
どちらかというと、父の事で苦しむ顔を見る方が辛い。
私を良くしてくれる人が傷つく姿は見たくない。
だからもう過去に囚われないで欲しい。
自分の所為で大事な人を失くしたというのに、こうして私と真摯に向き合ってくれている。
父はまだ、この人の中で生きてる。
そしてこれからもきっと父を覚えていてくれる、過去の苦しみも分かち合える筈だ。
そう思ったら、心の中の靄が少しずつ晴れてきた。
私は涙を拭い、顔を上げた。
「閣下……、話して下さってありがとうございます」
「いや、ずっと黙っていて本当に済まない。 どんな罰でも受ける。 だから……」
「ではこれからも生き続けると、誓って下さい」
「え……」
「父は命を懸けて貴方を生かしたんです。 ですから今後、どんなに苦しくても生き抜く選択肢を選び続けてください」
私が出した答えに、閣下は目を瞬かせた。
そして困惑した表情を見せる。
それでも私は両手でぎゅっとドレスを握り、閣下を見据えた。
「もしも私が父の立場だったら同じ事をしていたと思います。 それだけ閣下がこの国に必要な方ですから」
「だが俺は……」
「後悔してるから、この国を守る『剣』になると決めたんですよね。 そして私を探して救ってくれた。 それでもう充分じゃないですか」
「……」
「このままだと、きっと父は『何やってんだ』って水をかけてきますよ。 それで滾々と叱りつけて……最後には、『お前が無事ならそれでいい』って笑う筈です」
「君は……君は本当にそれでいいのか?」
「はい。 私はアルバート家の人間として父の意思を継ぎ、貴方のその生涯を見届けます。 ですから約束して下さい」
私は右手の小指を閣下の前に差し出した。
「……それは?」
「我が家でよくやってたんです。 互いの小指を絡めて約束して、破ったらその指を切るんです」
「えらく重い罰なんだな……」
「本当にはやりませんよ! でもそれだけ破っちゃいけないと思ってください!」
「……そうか」
「私は貴方に忠誠を誓いました。 それは今でも揺るぎません。 ですから、私を失望させるような事は絶対にしないで下さい」
すると閣下は私の小指を見つめ、暫く黙っていた。
でも少しだけ目を細めて、ゆっくりと私の小指に小指を絡ませた。
「分かった、約束しよう」
互いの小指の先に、そっと力が入る。
あの痛みも苦しみも、一生消えることはない。
でも、それを癒やす方法は絶対にある筈。
閣下が私に騎士の道を示してくれたみたいに。
……それにしても、閣下の手は本当に大きいな。
男の人だから当たり前なんだけど、その節だった長い指を見てたら今更だけど恥ずかしくなってきた。
これって結構大胆な事なんじゃ……。
「小さい指だな」
閣下の優しい声にハッとした。
すると絡めていた小指にフッと柔らかい感触が触れた。
え?
閣下は絡めていた指を自分の口元へ引き寄せ、私の小指にキスをしていた。
でもそれだけにとどまらず、そのまま私の手の向きをくるりと変え、今度は手の甲に唇を当てた。
流れるような自然な仕草にぼーっとしていたら、前髪から覗く紺青の瞳が私を捉えた。
「ヴランディの名にかけてこの約束を生涯守ると誓う。 だからこれからも、君の側に居させてほしい」
閣下の青い瞳が、いつもよりも色濃くなって見えた。
いつの間にか涙も止まり、呼吸さえも忘れてしまっていた。
すると閣下は小さく笑った。
泣きそうな、でも穏やかな表情で。
「君に『騎士の誓い』を捧げたい。 どうか受け取ってくれないか?」
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