第13話 穏やかではいられない

 長いと思っていた謹慎生活も、残り一週間を切った。

 敷地内に演習場があるから身体は鈍らずに済んだけど、分厚い本を前にして机にかじりつくはかなり苦痛だった。

 でもそれだけだったら、こんなにも日が経つのが早いと思うことはなかった。


「ほらロゼ様、もう少し足を閉じて歩いて下さい!」

「ロゼ様、ゆっくり歩きましょう。 そうしたら自然と歩幅も小さくなりますから!」


 謹慎中というのをいいことに、侍女長さん監修の元、私の令嬢化計画が施行されてしまったのだ。

 先ずは屋敷内では鍛錬時以外ドレス着用を義務化。

 気を抜くとすぐ大股で歩いてしまうので、その度次女長さんに叱られている。

 

「貴女様はキアノス様の隣に立つお人です。 これを機に礼儀作法もキチンと習得していただきますからね!」

「だから私は婚約者になるつもりは……」

「これは矯正です! 軍服姿でも礼儀作法がなっていなければ、恥をかくのはキアノス様ですよ!」

「うぐっ……」


 その件については反論の余地もなかった。

 不本意ながらも既に三件もトラブルを起こしてしまったのだから、これ以上閣下に恥をかかせる訳にはいかない。 

 なのでここは割り切って踏ん張らなきゃだ。

 それに爵位を取り戻したら子爵令嬢に戻るんだし、全く必要ない訳じゃない。

 なので課題だけでなく、教養やマナー、刺繍やお菓子作りまで勉強する事になり、月日はあっという間に過ぎていったのだ。




「今日のクッキーは美味しく焼けると良いですね!」

「そうだね……この前は焦がしちゃったもんね……」


 そろそろおやつ用のクッキーが焼き上がる頃なので、私とエルマーは厨房に向かっていた。

 お菓子作りはなかなか繊細で、表記通りに作らないと成功しない。

 だからといって表記通りに作っても上手くいかなくて失敗続きだった。

 お菓子作りって本当に奥が深い。


「ロゼ」


 背後から低くも穏やかな声で呼ばれ、ドキリと心臓が鳴った。


「あ……、閣下、おかえりなさいませ」

「ただいま」


 振り返ると、閣下が薄く笑みを浮かべてこちらに向かって歩いてきた。

 私がずっと屋敷にいるという事もあって、最近は屋敷に戻ると必ずと言っていいほど私を探し、会いにきている。


「今日は早かったんですね。 お迎えにも出ずに申し訳ありません」

「いや、君も忙しいんだろう。 で、今日もドレスなのか」

「……お見苦しいところをお見せしてしまい申し訳ありません」

「そんな事はない。 初めて屋敷に来た時も思ったが、そんな君も良い」

「も、勿体ないお言葉で……」


 思わず顔がボッと熱くなり、フイッと顔を背けた。


 リリアナ様との決闘したあの日から、閣下の様子が何だかおかしい。

 今だってエルマーがいるというのに、こうして甘い言葉をかけてくる。

 何のつもりだろう。


「そうだ、仕事の件で君に相談したいことがある。 後で書斎室まで来れるか?」


 私は仕事と聞いて思わず胸が踊った。

 長期に渡る令嬢化計画から早く脱出して騎士生活に戻りたいのだ。 


「はい。 ではクッキーが焼き上がり次第向かいます!」

「クッキー?」


 しまった。

 閣下は私の令嬢化計画が遂行されている事を知らない。

 だから何故私がドレスを着ているのか、お菓子を作っている理由も知らないんだった。

 これは閣下の部下として恥ずかしくないような人間になる為の修行だけど、周りは婚約者としてふさわしい令嬢になる為だという認識らしく、間違った情報を流さないよう全員に口止めをしてる。

 ここまできて自分からボロを出すわけにはいかない。


「じ、時間もあるのでやってみたんです! なかなか上手くはいかないんですけど……」

「食べてみたい」

「え?」

「仕事の話も急がないし、折角だから休憩がてらそのクッキーを分けてくれないか?」

「それなら料理人さんが作ったもののほうが……」


 すると閣下が突然私の耳元に顔を近づけ、スゥッと軽く息を吸った。


「……甘い匂い」

「え」

「ロゼが作ったのを食べたいんだ。 いいだろう?」

「ダメダメ、絶対駄目ですっ!!」


 私は全力で閣下を押しのけ、猛ダッシュで厨房へと向かった。

 悪ふざけにも程がある!

 初めて会った時は仏頂面で使用人達から一線引かれてるような人だったのに、あんな一面を隠していたなんて。

 しかも私に優しく声をかけるから、その場に出くわした若い侍女達の間で閣下の好感度が上がっているらしい。


 なによ、ついこないだまで閣下に近づこうともしなかったくせに。

 何だか心の奥がモヤモヤしてくる。

 スッキリしないしこのまま鍛錬に行ってこようかな。


「ロゼ様ぁ……、待って、下さい……」


 すると後ろからハァハァと真っ赤な顔をしてエルマーが走ってきた。


「ロゼ様、早すぎます……」

「ごめんね! 何だか恥ずかしくて……」

「いえ、あの様な不意打ちは誰だって逃げたくなりますよ」

「はは……」

「実は私、正直心配していたんです。 ロゼ様みたいな優しい方をここに留めておいて良いのかなって。 キアノス様ではなく、もっと他に良いお相手がいるんじゃないかって」

「エルマー……」

「でも杞憂でした。 キアノス様はちゃんとロゼ様を大切に思っている筈です。 ですからロゼ様も、少しずつキアノス様と向き合ってあげて下さい」

「……」


 とうとうエルマーも、私に婚約者候補への道を勧めるようになってしまった。

 そもそも私と閣下は上司と部下の関係だ。

 それ以上に何があるというんだろう。

 とにかく閣下の態度が紛らわしいから誤解を招くんだし、節度を守って接してもらわなきゃだ。

 こんなのが続けば私の心臓だってもたない。


 オーブンから焼き上がったクッキーを出すと、香ばしくて甘い香りが鼻を擽る。

 見た感じ、三分の二は食べられそうだ。

 成功率が上がったことでエルマーも顔を綻ばせる。


「ロゼ様、これだけ上手く焼けたんですから、キアノス様にも食べて頂きましょう!」

「え?! でもダメってもう言ったんだし……」

「尚の事、喜んで頂ける筈です。 ロゼ様もご自身が婚約者候補だなんて意識しなければきっと大丈夫ですよ!」


 エルマーは天使のような微笑みで食い下がった。

 最近のエルマーは侍女長さんとはタイプが違えど、私を丸め込むのがうまくなった気がする。

 確かにエルマーの言う通り、私が意識しなければいいだけの話だ。

 仕事の話をしに行くついでに食べ物を持っていくなんてよくある話だ。

 私はパン、と頬を叩き、食べてもらえそうなクッキーを選別し始めた。

 

◇◇◇◇


「あぁ、来てくれたか。 そこに座って待っててくれ」

「……はい」


 仕事モードらしく、仏頂面の閣下で一安心だ。

 私は小さな缶に詰めたクッキーを背中に隠しつつ、勧められたソファに腰を下ろした。

 その前にはローテーブルを覆う程の大きなシヴェルナ王国の地図が置かれていた。

 そして赤のバツ印が何箇所にも記されている。

 

「その印は、とある魔物が出没した所だ」


 ふと顔を上げると、閣下が隣に立っていた。

 そしてバツ印の所を一つ一つ指さしていく。

 その殆どが、私が以前討伐をしていたオールナード領内だ。


「最近気になる報告があってな。 今度視察に行こうと思うんだが、その前に君に聞きたい事がある」

「私にですか?」

「あぁ、実は妙な報告を数件上がっている。 君は人型の魔物を見たことがあるか?」

「人型の魔物……?」


 魔物とは動物が魔力を含む薬草などを食べることによって進化した生物の事を言う。

 なので森の多いオールナードには多種多様な魔物が住んでいて、危険種や珍種も多い。 

 でもそれは『動物』での話。

 人間には元々魔力が備わっているのだから、魔物になるとは思えない。

 現に莫大な魔力を持っているというエメレンス様だって人間なんだから。

                                                          

「ちなみにその魔物はどうなったんですか?」

「それがまだ見つかっていない」

「えぇ?! それって危険じゃないですか!」

「あぁ、だから俺達が出向く事になったんだ」

 

 オールナードの森は深く複雑なのに、そこへ得体の知れない魔物を探しに行くなんてかなり危険な事だ。

 胸の奥がザワザワする。

 

「閣下、視察に行くのっていつ頃ですか?」

「聞いてどうする」

「私も同行します!」

「そう言うと思って君の謹慎が明けてない内に行ってくる」


 見抜かれてたか。

 私はがっくりと肩を落とした。

 

「オールナードなら色々とご案内できるのに……」 

「有り難い申し出だが、見習いの君を連れて行く訳にはいかない。それに……」


 すると閣下はソファの背もたれに手をかけ、私の方へ身を寄せた。


「君を危険な目にあわせたくない」


 突然閣下の表情がガラリと変わった。

 私を追い詰めるような紺青の瞳に目が離せなって、思わずゴクリと息を呑んだ。


「……そんな事言ったって、騎士になるのを許可したのは閣下ですよ。 甘やかさないでください」


 よく言ったぞ私!

 顔が熱くなってる事には気づかないふりして反撃に出ると、閣下は苦笑いを浮かべた。


「確かにそうだな。 だが君は無防備に飛び込もうとするから心配なんだ」


 そう言って私の首に掛けてある魔晶石付きのネックレスに指を引っ掛けた。


「これがあっても、また俺の前からいなくなるんじゃないかと不安に煽られる。 君がいなくなったら俺は……」

「閣下! 私は絶対にいなくなりません!」


 気づけば私は閣下の手を握り、自分でも驚くほどの声で叫んでた。

 不安を吐露する閣下の表情がすごく苦しそうで見ていられなかった。

 そんな顔させたくない。

 今度は私が閣下を真っ直ぐと見据えた。

 

「私は貴方に忠誠を誓ったんです。 だから貴方を置いてどこかに行ったりしませんから!」 

「ロゼ……」

 

 すると閣下は私の手を引き、逃がさないと言わんばかりに力強く私を抱きしめた。

 

 

  


 

 

 

 

   

 

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公爵閣下、貴方に忠誠を誓います〜ですが話がややこしくなるので寵愛は不要ですよ〜 夢屋 @-yumeya-

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