4章 いばら探し
17 柏田玲紀
ストーカー、みたいなもの、と、那都希は病院のベッドで枕にしがみつきながら、歯切れ悪く口にした。
「ストーカーって」
「はっきりとそうって訳じゃないのよ。去年の夏まで、六年くらい姿は見なかったし、夏の時だって、私の方が一方的に見かけただけだったんだから。声をかけたわけでもないのに、私が見つけたことを知られてるのが気持ち悪すぎて吐きそうになって」
「ストーカーかどうかというのは置いておいて、それは十分に危ないと思う」
一方的にお互い見かけただけを「再会」と表現するのは正直怖い。このまま、那都希があのアパートに帰るのはまずい気がした。
「六年前は? 大丈夫だったの?」
「……まあ。その時もちょっと、変、くらいの印象で。別につきまとわれたとか何かされたとかはない。印象としては気持ち悪かったけど、ぱったり見なくなったから」
「名前は? 知ってる人なの?」
「
手紙を押しつけられたことも何度かあった、と那都希は眉間に皺を寄せて枕に突っ伏した。
顔色は先ほどよりも大分良くなっていたが、表情は相変わらず硬かった。口調だけは元気だけれど、さっきから枕を手放そうとしない。何かを抱いていないと不安な子どものようだった。
「ねえ、なっちゃん」
「何」
「退院したらそのまま樋野宮家に戻って」
那都希は答えなかった。自分でも、それを考えていたからだろう。
「家、知られてるってことだよね」
「……全部、私の思い違いかも知れないわよ?」
「用心するに超したことないでしょ。様子見するにしたって、とりあえず避難しておくのが良いと思う」
その間に、新しく部屋を探して引っ越すこともできる。出会いが六年前なら実家も知られているかもしれないが、女子の二人暮らしより、ずっと安全ではあるはずだ。
那都希は溜息をついて、頷いた。
「そうね、分かった。もうすぐ母さんたち来るし、そのまま一緒に荷物取りに行ってもらいましょ。侑李も必要なもの取ってこなきゃ」
「え?」
「は?」
ベッドサイドテーブルから、携帯を引き寄せようとしていた那都希の手が止まる。
じ、と私を睨んできた。
「……侑李もうちに来るでしょ?」
「え、いや、私はいいよ。とりあえずあのアパートに帰る」
「はあ!?」
珍しく、那都希が怒鳴るように言って眉を吊り上げた。携帯に伸ばそうとしていた手の向きを変え、私の肩を思い切り強く掴む。ぐ、と、顔を近づけられた。
「何言ってんの。私が避難するなら侑李だって避難するのよ、住所が同じなんだから。私がいなくなったら、同じ部屋に出入りしている侑李に接触してくるのが当然じゃない」
……それは、まあ、そうだろうけれど。
「だから、私があの部屋で様子見すれば良くない? ついでに荷物もまとめつつ、とりあえず共通テストくらいまでは」
どちらにせよ、那都希が引っ越すとなったら、私も今後の身の振り方を考える必要がある。そのためにも、荷物の整理は必要だ。とりあえず共通テストまではあの部屋にいて、引っ越しの作業をしつつ様子見をし、テストが終わったら私は祖父母の家にでもお世話になろうか、ぐらいに考えていたのだけれど。
試験会場に行くには祖父母の家は遠いし、今、住環境を変えるのも、正直試験が目の前なので避けたい。目当ては那都希なのだから、私まで樋野宮家のお世話になるのは――と考えて、ふと思い出した。
「そう言えば」
「そう言えば?」
「私のバイト先に訪ねてきた男の人って、もしかして、私じゃなくて那都希が目当てだったのかな」
「はあ!?」
再び、那都希が大声を上げた。肩を掴む指先が、震えているのが分かった。
「何それ、聞いてない。柏田が? 侑李を訪ねてきたの?」
「いや、その人かどうかは。一ヶ月くらい前に、そういう人が来たって聞いただけ。また来ますって言ってたらしいけど、そのあと何もなかったから私も忘れてた。でも、目当てが私じゃなくて那都希だったなら、それも納得できるかなって」
「……侑李、やっぱり今すぐ移動して」
那都希は携帯を取り、ものすごい速さでメッセージを打ち始める。
「お父さんも来てるから、一緒に荷物取りに行って。満弦にも来るように言うから」
「え、今から? ちょっと待って」
私は窓の外を見る。昼過ぎにアパートに帰ってきて、そこから病院とアパートを往復して、今はもう夕方だった。オレンジ色の太陽が病院の窓から光を投げている。
「満弦君の都合も聞いてあげて」
「どうせ今日も昼過ぎまで寝てたわよ」
私が止める間もなく、那都希はメッセージを送信し終わったらしかった。文字を入力するのが速いと常々思っていたけれど、間近で見ていてもどうやっているのか良く分からない。いや、それより、この短時間でどう説明したのか。那都希が体調を崩した原因だって今本人から聞いたばかりだというのに、まだ、入院の連絡しかしていない樋野宮家に、突然、お世話になりたいだなんて。図々しくて非常にいたたまれない。
「やっぱり、私までお世話になるのは気にしすぎじゃ」
「試験のこと考えても、うちがベストでしょ。受験前に引っ越し作業なんてさせられないし、ましてやストーカーの様子見なんてあり得ない。うちなら試験会場とだって侑李のお祖母さんちほど離れてないし、いざとなれば、車も出せる」
あ、返信、と那都希が呟いた。
「全然オッケーって。るかさんにも知らせておくわね。侑李からも、るかさんとお祖母さんたちに連絡しなさいよ」
「……分かった」
確かに、安全を取るならそれが一番ではあった。
ありがとう、お世話になります、と、私は頭を下げる。
「――侑李が頭を下げることじゃない」
那都希は、ベッドのシーツを強く握り締めていた。
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