初恋

黒神

出会って五秒で振られてました

第一話

 

 黒崎要(くろさきかなめ)はいつもの時間、いつもの通学路を通り、正門に立つ風紀委員と思しき生徒に会釈をする。

 朝起きてから学校に辿りつくまで何一つ変わらない。強いて言えば、散り落ちた桜花の嵩が増した程度。些細な変化しか起きない、何度目かの春。

 放課後訪れると敷き詰められたように自転車の並ぶ駐輪場も、今は点々としており圧迫感を感じない。誰ともすれ違うことなく、開けっ広げの両扉から校舎に入った。

 下駄箱には緑のラインが入った上履きがまばらに並んでおり、上の階から聞こえるバスケットボールの音だけが空間を満たす。

 要の背丈より大きい下駄箱のほぼ最上段。少し背伸びをしてようやく届く位置に要のスペースがあり、その二段構造になっている上段へと靴を押し込む。かかと部分を指先で押し込むようにしてスライドすると、どことない違和感を感じた。人から貰ったシャープペンシルの芯が手になじまないような、微かだが気になる違和感。

 違和感の正体を確認するため上段から靴を取り出すと、靴裏の溝に引っかかって何かが滑り落ちてきた。

「紙?」

 むき出しの状態で入っていた一枚の紙。薄いオレンジに、四隅にはデフォルメされた動物のキャラクターが所狭しと並んで描かれていた。紙面積の半分以上を埋め尽くすファンシーな動物に面喰いつつも、本文へと目を向ける。

 表には「先輩へ」、裏には「放課後、屋上で待っています!」と一言。表と裏を使った表裏二面活用で文章は書かれており、そのどちらにもファンシーな動物たちが描かれていた。

 くまなく目を通してみても、差出人の名前は見当たらない。一瞬、動物の並びが暗号になっており、名前の頭文字を数秘術のごとく規則的に並び立て変換すると意味のある文章になる、と最近読んだ小説のトリックに当てはめてもみたが、時間の無駄だった。

「はぁ……、またか」

 文面以上の意味がないことにため息を残す。

 手にした紙を鞄の脇にしまい、教室の方角へと足を進める。

 やはり、今日も彼女の日常に変化は訪れない。


「おはよ」

 背後から聞きなじみのある声が聞こえ、要は読みかけの文庫本に栞を挟んだ。気づけば朝の清々しい静寂はなりを潜め、クラス中に騒がしいぐらいの喧騒が充満している。

 「おはよう」と、いつもの挨拶を交わすと、交わしたクラスメイトは隣の席へと腰掛けた。

「要はいつも早いね、あといっつも本読んでる」

「そういう火花は毎回バラバラね。あとそこはあなたの席じゃない」

 火花は気にした様子もなく、だらしなく身体を丸め机に突っ伏す。顔だけこちらに向けるようにして、眠気交じりに要を覗く。夜更かしでもしたのだろうと、容易に想像ができた。いまにも充電が切れそうなロボット状態だが、くるっと整ったまつ毛を見やると、相変わらず手入れに抜かりがないな、と感心する。細くとがりの少ない腕には淡いオレンジのシュシュ、体躯に合わず一周り大きい白地のカーディガン、校則で指定されている丈長を明らかに下回っている膝上のスカート。

 いつ見ても女子高生らしい女子高生を崩さない、岸本火花(きしもとひばな)の姿がそこにあった。遅刻してきた時でもそのスタイルは崩れなかった。

「……」

 火花の瞳がぱっちりと開かれ、先ほどの眠気が混濁した瞳とは明らかに違う、邪推を含んだ視線を向けてくる。要は何事かと火花に視線で問いかけた。

「また告白された?」

「まだされてない」

「なるほど、じゃあ放課後か」

 火花は納得し、瞼を閉じて頷く。自称名探偵こと火花は、要が告白された後か呼び出される直前に、「告白された?」と問うてくる。そして、それが毎回寸分の狂いなく、出来事の直前か直後のため、要は毎度驚かされていた。要は最初の頃、取り繕うような事もしていたが、今は毅然とした態度で堂々と真実を告げるている。潔くではない。半ばあきらめに近い面持ちだった。

「また無謀な犠牲者が増えるわけか」

「私、加害者側じゃなくて被害者側だと思うけど」

「私は何もしていない。ただ静かに生活しているだけ」

 そんな願いをあざ笑うように、毎日は過ぎてゆくけれど。

 彼らが犠牲者だというのなら、私に原因の一端があって然るべき、と要は思う。

 しかし、告白をしてくる生徒は皆ほぼ初対面と言っていい関係性だった。稀に知り合い、クラスメイトなんてこともあるけれど、知り合い以上の域を出る存在は一度たりともいない。もし仮に、サキュバスがフェロモンでもばら撒くように、要が周囲を魅了するならともかく、名前すら覚えのない生徒にどうこうできる術など、要は持ち合わせていない。

「存在そのものが影響を与えるってこと」

 俳優やスポーツ選手みたいに、と付け加える。

「それは憧れであって、恋愛感情とは違うでしょ?」

 そういうと、火花は肩ひじをつく姿勢に直り、片目をつぶると得意げに口角を吊り上げた。

「恋愛経験ゼロのお姫様が、何をおっしゃいますか」

 火花のからかうような口調の指摘に、要は怪訝な表情を浮かべる。

 こと恋愛において、要は告白どころか好きな相手すら、生まれてこの方いたことがない。得たいとも思わないその経験でも、他から「未経験」とレッテルを張られるのは遺憾であり、癪に障るものがあった。

 こういった話題はあまり気乗りしない。以前、クラスメイトとの雑談中に好きな人の話になった時、といっても初恋すら経験のない要は一言で会話を切り上げたが、どうやら火花には好きな人がいるらしい。深堀はしなかったが、片思いも恋愛の一部と定義されるなら、火花もこと経験者に分類されるのだろうか。

「それにしてもいつからだっけ、あのジンクスが広まったのって」

 あのジンクス、というのは勿論、要とその告白に関係する。

 要は二年生になった今に至るまで、数多の男に告白されてきた。そのどれも実ることなく打ち砕いてきたのだが、いつのことか「黒崎要に振られたら、新しい恋が実る」と噂されるようになったのだ。どこの誰が焚きつけた火種か分からないが、流れ流れに漂う噂を耳にした限りだと、振られた直後に他の意中へと告白したら成功した、と一人の男性が武勇伝がましく語ったのがキッカケだったらしい。

 この一つの成功体験が噂となり、黒崎要への告白が意中の相手に告白する前の通過儀礼となっていた。辟易としながらも、読心術の使い手ではない要には好意の有無を測ることなどできない。「ジンクスなど頼らず玉砕覚悟で突っ込め」なんて叱咤することもできず、すべての告白に誠心誠意のお断りをする。

「要はさ、試しに付き合ってみるとか考えたりはしない訳?」

 火花の質問に要は、「ない」ときっぱりと返答した。

 数々の物語というフィクションに触れてきた要にはこの点、他よりも知見を得ている。昔からの幼馴染に向ける感情が友情から愛情に変わるもの、俗物的な関係から次第に素顔を知っていき心までもが繋がっていくもの。そのすべてには過程があり、ドラマがある。すなわち、恋人に発展するまでには原因、理由、過程が存在し、それを数学の公式のごとく順を追って踏んでいくと、恋人へと導かれるのだ。いきなり現れた男性に惚れてそのまま結婚、なんて箸にも棒にも誰の心にも響かない。なにより、要の心は激動しない。

「ま、要はそうだよね。A=B、B=C、ならA=Cみたいな。型にはめて崩さない感じ。要っぽい。というより、面倒なロマンチスト。男性側からしたらハードルが空高く舞い上がってる感じ」

「融通が利かないって言われてるみたいで、腹が立つ」

 要をからかう火花の表情が優しくほころぶ。

「ごめんごめん、でもさ」

 ゆっくりと席を立ち、おもむろに鞄を持ちあげて後ろの席へと移動しようと背を向ける。

「理屈にならない感情って、自分じゃどうにもならないんだよね」

 それが誰に向けて放たれた言葉か測りかね、要は返答ができずに授業の鐘がなってしまった。

「あ、それと置き土産に一つ、今日は夕方に天気が乱れる予報。用事が終わったら早く帰るべし」

 身体を進行方向に向けたまま、首だけをひねってそう答える。

 いつもの調子で答える火花に、先ほどの陰りはもう見えない。

 その後の授業中も、要は黒板の板書を見やる度、突っ伏して寝入る火花を視界の端で追った。しかし、先ほどのまでの陰りは一切見せず、堂々と睡眠を貪るのを確認し、同時に胸のつかえが消えたのを感じた。

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