第8話『俺はジェイド。お前が癒しの聖女か?』

この世界に来て二年目の秋。


とんでもない大事件が起こった。


始まりが何だったか、それは分からない。


でも、気が付いたらソレはイービルサイド家の領地全域に広がっていたのだ。


「感染症、ですか?」


「あぁ。どうやらアリスや私がかかった病気と同じ物が、領地のあらゆる場所で広がっているらしい」


「……そんな」


「お前も知っている通り、あの病気には特効薬も無いし、普通の魔術では癒せない。強力な癒しの魔術が必要だ。隣国に現れたという聖女ならば癒す事も可能だろうが、聖国がかの聖女を国外に向かわせるとも思えん」


「なら!」


「駄目だ」


「っ」


「この病は今、我が領地だけでなくヴェルクモント王国全体に広がっている。もしお前がその病を癒せると知れば、国中から救いを求めて人が殺到する事になる。そうなれば、私では守り切れん。隣国の聖女の様に国に飼殺される事になるぞ」


「……」


「今は大人しくしておけ。時間は掛かるが、お前の行った事とはバレぬ様に調整し、進める。それまでは部屋にいろ。以上だ」


私はご当主様に執務室から出て行くように言われ、部屋を出る。


そして、部屋の外で待っていたアリスちゃんに抱き着かれ、私は一緒に部屋へ帰るのだった。


力を持っているのに、それを使えないという苦しみを感じながら。




「恵梨香お姉様。大丈夫?」


「……私は大丈夫だよ。アリスちゃん」


「そっか」


いつもの様にアリスちゃんと手を繋いでベッドに眠る。


そしてアリスちゃんが小さく寝息を立てながら眠り始めたのを確認して、私はベッドから離れた。


大きなベランダへ繋がるガラス張りのドアから外へ出て、空に浮かぶ月を見上げる。


「……」


両手を握り合わせ、どうかみんなの病気が治ります様にと神様へ祈り、目を閉じた。


今、私に出来る事はこれくらいしか無いから……。


「おい」


「っ!?」


私以外は誰も居ないハズのベランダで聞こえてきた声に、私は目を見開いて部屋に後ずさりながら声の主を探した。


そして、見つけたのは大きな耳を頭から生やし、尻尾を揺れさせている一人の男性。


鋭い目は肉食獣を思わせて、その鍛えられた体は私よりもずっと大きな物だった。


「あ、あなたは」


「俺はジェイド。お前が癒しの聖女か?」


「わ、私は聖女などでは」


「嘘を吐くな! お前があのクソったれな病気を治せる事は知ってるんだ!」


男の人は人間の手から、毛むくじゃらのより大きな獣の様な手に右手を変化させると、そのまま私の首を捕まえる。


息苦しくはない。


けれど、その右手の大きな爪が私の首に刺さり、チクりとした痛みを発していた。


そして狼の様な顔になった男性が、大きな口から私の肌など容易く噛みちぎってしまえるだろう牙を覗かせて、怒りのままに叫んだ。


「チビ共が! 何日も咳が止まらねぇ! 熱も下がらねぇ! 苦しいって訴えてんのに、俺には何も出来ねぇ! お前なら、治せるんだろ!? なぁ、金が欲しいなら、時間は掛かるが必ず用意する。まだ子供なんだ。アイツらを! ゴホッ! ゴホッ!」


苦しそうに咳をしながら、それでも子供たちを助けたいと訴えるその人に、私は心の奥で燃える様な気持ちが湧き上がるのを感じた。


何を悲劇のヒロインの様な顔をしていたのだろうか。


もう生涯日の下を歩けないかもしれないからなんだ。


命や力を狙われるかもしれないから、なんだ!


苦しんでいる人がいる。助けを求めている人がいる!!


私にも、出来る事がある!!!


私は首を掴んでいる男性の腕に手を当て、癒しの魔術を使って男性の病気を癒した。


「なっ、なんだ? これは……」


「案内してください。その子供たちの所へ」


私がこの世界に来た意味から目を逸らさない為にも。


私は自らが歩むべき道を歩む覚悟を決めるのだった。




そして、大きな狼の姿になった男の人の背に乗って、私はイービルサイド家のお屋敷から離れ、町に向かった。


町の人たちが驚いているけれど、男の人は気にした様子も見せず、一つの小さな家の前に私を下ろして、中へと案内する。


家の中では二人の女の子が苦しそうに胸を押さえながらベッドの上で眠っており、いくつかある窓からは先ほどの目立った行動からか、多くの人が家の中を覗いていた。


「コゼット、リゼット。医者だ。すぐに痛いのも苦しいのも、治るからな」


「……じぇ、いど?」


「ほんとうに?」


「あぁ! 間違いない。もう大丈夫だ!」


先ほどの怖い顔とは違い、まるで捨てられた子の様に私を見つめる男の人に私は強く頷いた。


そしてより苦しそうな子の手を取って、癒しの魔術を使う。


ただ男の人より症状がかなり重いのかすぐには治らない。


「わ、たしより、コゼットを」


「大丈夫。二人ともすぐに治しますからね」


不安そうに瞳を揺らしている女の子の額を撫でて、微笑みながら全力で魔力を注ぎ込んだ。


こんな時の為に、私はずっと魔術を練習してきたのだ。


「はぁ……はぁ……。あれ? くるしく、ない」


「リゼット!!」


男の人の叫ぶような声と同時に周囲の人々から歓声が沸いた。


私はそのままもう一人の目を見開いている女の子の所へ向かい、先ほどの子と同じ様に手を握った。


「わ、わたしは、いい。おかね、ないから」


「お金なんて要りません。ただ私が貴女を治したいから魔術を使うんです」


「……っ」


私は先ほどと同じ様に魔力を注ぎ込んで、少女の病気を治してゆく。


今度はコツを掴んだからか、先ほどよりも短時間で少女を治す事が出来たのだった。


「いたく、ない。苦しくない! ジェイド! リゼット!」


「コゼット!!」


抱き合いながら泣く三人を見ながら私は大きく息を吐いて、近くにあった椅子に座った。


しかし、どうやら休む事は出来ないらしい。


「聖女様!! ウチの子も!」


「エリカ様! 妻をお願いします!」


「聖女様!!」


「あの、大丈夫です。全員の家に行きますから、順番に案内して下さい」


再び歓声が周囲を包む。


私はそれに不思議な心地よさを感じながら、一軒一軒病気で寝込んでいる人を治しに行くのだった。




どれくらい時間が経っただろうか。


私は最後の一人を治して、多くの人にもみくちゃにされながら意識を失ってしまった。


そして、次に目を覚ました時は、多くの毛布に包まれながら、ここへ連れて来てくれた男の人に寄りかかり目を覚ましたのだった。


「……あれ? ここは」


「起きたか」


「えっと、これは」


「お前が倒れてからな。聖女様が風邪を引いたら大変だってんで、どいつもこいつも家から一番綺麗な奴だって引っ張て来たんだよ」


「……温かい、ですね」


「そうか。それなら良かったよ」


「……」


私はゆっくりと上がっていく朝陽が町を白く染めていくのを見ながら目を細めた。


視界の中には嬉しそうに、楽しそうに笑う人たちがいる。


みんなが幸せの中にいるという顔をしていた。


「……なぁ」


「はい。なんでしょうか」


「お前の名前を聞いても良いか?」


「はい。私はエリカと言います」


「そうか。俺はジェイドって言うんだ」


互いに名前を名乗って、無言。


私は動きにくい体で寄りかかっているジェイドさんを見つめた。


そして彼は、先ほどまでの私と同じ様に遠い空の向こうを見ながら、小さく呟く。


「悪かったな」


「何がですか?」


「いや……その、首の事とか、無理矢理連れてきた事とか、色々あっただろ」


「そういえば、そんな事もありましたね」


「そんな事もって、お前はあの家のお嬢様だろ!? 怒りは無いのか」


「そんなもの、ありませんよ。むしろジェイドさんには感謝しています」


「……感謝か」


「はい」


「変な奴だな。お前は」


「そうでしょうか」


「あぁ、そうだよ」


「そうですか……」


「でも、助かった。お前のお陰で、コゼットもリゼットも、助かった。感謝している。どんな風に礼を伝えれば良いか分からないが、礼をさせて欲しい」


「なら」


私はまたジェイドさんから町の人たちに視線を移して、みんなを治しながら考えていた事を口にした。


「私に、他の町への移動方法を教えてください」


「はぁ? どういう事だ」


「この町と同じ様に、苦しんでいる人が他の町にも居ると聞きました。私はそこへ行きたいのです」


「……」


「駄目、でしょうか」


「あぁ」


「そう、ですか」


ジェイドさんが駄目だったのなら、別の人に聞くしか無いかと私は町を歩く人達を見ながら考えていたのだが、不意にジェイドさんが予想外な行動に出た。


「お前を一人で向かわせたら、ろくでもない奴に騙されそうだ。俺が連れて行ってやる」


「え?」


「ちょうどコゼットとリゼットが旅行に行きたがってたからな。ちょうどいい」


「……ありがとうございます」


「礼を言うのはこっちの方だ」


ぶっきらぼうに、そう言いながら私よりもずっと大きな手で頭を撫でられる。


それが何だか心地よくて私はまたジェイドさんに寄りかかりながら眠りにつくのだった。

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