第6話『デイビッド君の事は、必ず私が護るからね』

今日は二週間ぶりにデイビッド君が帰ってくるという事で、アリスちゃんは朝からニコニコと天使の様な笑顔を浮かべながら楽しそうに過ごしていた。


デイビッド君と言えば、私がイービルサイド家に引き取られた時とほぼ同時期に分家から引き取られた子で、とても真面目な良い子だ。


しかし……イービルサイド家の闇とでも言うべきか。この子もご当主様同様悲しい勘違いをされている子である。


「アリス姉様。エリカ姉様。ただいま戻りました」


「デイヴ!! おかえりなさい!」


隣国である獣人の国から帰還したデイビッド君が、一緒に獣人の国へ向かったメイドのフェリシーさんに上着を預け、飛びついてきたアリスちゃんを抱き留める。


実に感動的な光景だ。


ただ、事情を知らない人が見ると、純粋無垢をそのまま人の形にした様なアリスちゃんを、狐の様に細められた目と、口角を怪しく吊り上げた胡散臭い笑顔で見つめるデイビッド君という、何とも言えない姿になってしまうのだ。


無論、デイビッド君にアリスちゃんへの悪意など微塵もない。


むしろ分家で酷い扱いをされていたらしく、この家に来てからはアリスちゃんの想いを全身に受けてすっかりアリスちゃん大好きッ子になってしまった。


そんなデイビッド君がアリスちゃんに害意なんて抱くわけが無いのだけれど、見た目がアレ過ぎて殆どの人にはそれが分からないのだ。


悲しい事である。


しかもご当主様への風評被害同様、私がどれだけデイビッド君が良い子なんだとアピールしても、騙されている。エリカちゃんは純粋だから。とまるで相手にして貰えない。


せめて家の人には分かって貰いたいと思うのだけれど、今のところあまり理解は得られていないのだ。


「デイビッド君。おかえりなさい。獣人の国では大丈夫だった?」


「はい。フェリシーにも大分助けられました」


「そうなんだね。フェリシーさん。ありがとうございます」


「いえいえ。私はデイビッド様のお手伝いをしただけですから。それにデイビッド様なら私が居なくても問題なく交渉を進められたでしょう」


「ふふん。流石はデイヴだね! 私の自慢の弟だよ! いい子いい子」


「あ、ありがとう、ございます。アリス姉様」


精一杯背伸びしたアリスちゃんがデイビッド君の頭を撫でている。実に微笑ましい光景だ。


そして私もアリスちゃんに便乗してデイビッド君をいい子いい子と撫でようとした。


しかし、そこで私は気づいてしまう。


「あれ? デイビッド君。背、のびた?」


「はい。ここ数日でかなり伸びて、エリカ姉様にもこれで追い付けました!」


「……ふぅーん」


「あれ? エリカ姉様?」


身長が伸びたと笑うデイビッド君を見て、私は胸の奥でモヤモヤとした気持ちを感じていた。


面白くない。


少し前までアリスちゃんと同じくらいの身長で、可愛い弟だと思っていたのに。


何だか急に男の子って感じになってしまった。


このまま成長して、いつか私の身長も超えていくんだろうなと思うと、寂しさも感じる。


何でだろうか。


同じ時期にイービルサイド家に引き取られたから、同族意識とかを持っているのかな。


……分からない。


分からないけれど、面白くないという感情だけは確かに私の中にあるのだった。


「まぁ、良いけどね」


「エリカ姉様!? 僕、何かしてしまったのでしょうか!?」


「デイビッド君は、何もしてないよ」


私はニッコリと笑って、一歩デイビッド君から下がる。


視線は相変わらず同じ高さにあり、私は何となく背を伸ばしてつま先立ちをバレない様にしてみる。


「エリカ姉様?」


不安そうな顔で私の目の前まで移動してきたデイビッド君は先ほどまでとは違い、ちゃんと目線の下にあり、可愛い弟に戻っていた。


うん。良かった。


私は満面の笑みで、デイビッド君の頭を撫でて笑う。


安心出来る位置だ。


「えへへ……って、あれ? エリカ姉様? 何か、先ほどよりも身長が」


「気のせいじゃないかな」


「でも」


「気のせいだよ。デイビッド君。きっと長旅で疲れてるんだね」


「そう、でしょうか?」


「うん。そうだよ」


ごり押しもたまには重要だ。


こんなの私の我儘だって分かってるけど、デイビッド君にはまだ可愛い弟で居て欲しいのだ。


だって、大人の男の人になっちゃったら、何処かへ行ってしまうかもしれないし。


「んー? あー! エリカちゃん、背伸びしてるー! ズルだー! 私だって、伸ばしちゃうもんね!」


「いい子いい子」


「アリス姉様。いい子いい子」


「むー! 私だってお姉ちゃんなのに!」


「ふふっ」


ぴょんぴょんと跳ねながら背が高いアピールをするアリスちゃんの頭を私とデイビッド君が撫でて、場は温かい空気になった。


アリスちゃんは怒っているけれど、それでも時間が経てば楽しそうな笑顔に変わり、やはり和やかな空気に変わっていく。


しかし、そんな空気を吹き飛ばす様な重く、威圧感のある息苦しい声が廊下の向こうから聞こえた事で、私は背筋を伸ばしながら笑顔を引っ込めるのだった。


「随分と騒がしいな」


「あ、お父様! デイヴが帰って来ましたよ!」


「その様だな。デイビッド。獣人の国はどうだった?」


「はい。問題なく友好関係を深めております」


また仕事のし過ぎだろうか。いつもよりも眉間に皺を寄せながら睨みつける様に冷たく言い放つご当主様と、笑顔でありながら何かを企んでいる様な笑顔で言葉を返すデイビッド君。


さながら何かの悪だくみをしているようだが、普通に仕事の話をしているだけである。


だというのに、こんな光景になってしまうなんて……。


しかも最悪な事に、ちょうど視界の向こうにある廊下を歩いていたメイドさんが、二人の姿を見て青ざめたまま何処かへ急いで移動するのが見えた。


多分またいつもの噂話をするのだろう。


良くないなぁ。


同じお屋敷の中に居るんだし。せめてメイドさんたちは偏見の目を向けないで欲しい。


私はそう考えて、今日こそは誤解を解こうとこの場を離れた。


そしてイービルサイド家で、使用人さん達がよく集まっている裏手の倉庫に向かう。




「それ、本当なのか?」


「そう! 見たのよ! やっぱり噂は本当だったんだわ。獣人の国を支配する為にデイビッド様が潜入してるっていう噂は!」


「あ、あの!」


「……! エリカ様!!」


お屋敷の裏手にある外からは見えにくい倉庫の影に執事さんやメイドさんたちが何人か集まり、先ほどの話をしているのを発見した私は、勢いのまま飛び込んで声を掛けた。


そして私の存在に気づいた皆さんが何故か私に頭を下げる。


「え、っと?」


「大変申し訳ございません!! この様な所で、仕事もせず!」


「あ、いえ。そちらは。あまり良くないかもしれませんけど、お仕事ばかりでは疲れちゃいますし。休憩しながらで良いと思います。あっ、でも。良くないって思う人も居るかもしれないので、私は何も見なかった事にしておきますね」


「ありがとうございます!」


「では、我々はまた仕事に戻ります。ご迷惑をおかけしました!」


「はいー。って、そうでは無くて!」


「はい? なんでしょうか?」


「あの、先ほど話していた事なんですけど!」


怒ってます。と分かりやすく示す為に腰に手を当てて、怖い声を出す。


出せてるか分からないけど、いつもより低い声だし。多分怖い声だ。


「先ほどの話?」


「デイビッド君の事です」


「デイビッド様の事? 何のことだ?」


「分からないわ」


「悪く言ってたじゃ無いですか! 良くないですよ! そういう風に、見た目で人を悪く言うのは!」


「あー」


私が声を荒げたことで、皆さんは何を話しているのか分かったと頷いてくれた。


ありがたい。これでようやく話が出来る。


「デイビッド君は、とってもいい子なんです。確かに、見た目はあんまり良くないかもしれないですけど、でもお姉ちゃん想いのいい子なんですよ。だから、あまり嫌わないで欲しいです」


「嫌いになるだなんて! その様な事はございませんよ! 使用人一同。ちゃんと理解しております。デイビッド様は大変聡明で、未来のイービルサイド領を担う立派な御方だと」


「本当にそう思っていますか?」


「はい。心から」


当然だと言わんばかりの顔でそう言われてしまえば、私はそれ以上何も言う事は出来ず、そのまま分かりましたと立ち去る事しか出来ない。


「皆さんの休憩を邪魔して、申し訳ございませんでした」


「いえいえ!! 我々もすぐに仕事へ戻ります! ご迷惑をおかけしました!」


「いえ。ゆっくりで大丈夫ですよ。お屋敷は皆さんのお陰でいつも綺麗ですし。私もアリスちゃんも十分以上に皆さんに助けられています。どうか、無理をしないでください」


「ありがとうございます!!」


頭を下げ続ける皆さんを見て、これ以上ここに居ても負担をかけるだけだなと、私はお屋敷に戻る事にした。


そして、使用人さんたちの視線が私から外れた瞬間に、光の魔術を使って自分を見えなくして、私に似せた幻を屋敷の方へ向けて歩かせる。


「……行ったか?」


「えぇ。もう遠い」


「ったくよー。メリッサ。周りに注意して話せよ」


「ごめんて」


「アリス様も、エリカ様も、お優しい方なんだからさ。例え騙されているとしても家族の事を悪く言われちゃいい気はしないぜ」


「そうだな」


「しかし上手くやってるもんだぜ。ご当主様もデイビッド様もよ」


「そうよね。アリス様もエリカ様もすっかり騙されてるもんね」


「元々人が良いんだろうな。だから疑うって事をしないんだろうぜ」


「あんなに分かりやすいのにね」


「そこはエリカ様も言ってただろう? 見た目じゃないって事さ。まぁ、エリカ様は平民から貴族になられた方だから俺ら使用人とか見た目で損する連中にもお優しいのかもしれないけどな」


「え? エリカ様って異国のお姫様って話じゃなかったっけ? 所作とか凄く綺麗だし、体とかも指先まで整ってて、少なくとも平民の生活してたとは思えないけど」


「うん。私もそう聞いた。なんか異国で動乱があって、光の精霊と上位契約出来るくらいの力を持っていたエリカ様が命を狙われて、光の精霊が逃げていたエリカ様の事をアリス様に助けて欲しいって願ったとかなんとか」


「俺が聞いた話じゃあ、ここじゃない精霊の世界に居たエリカ様が、人の世界に憧れて光の精霊に導かれてアリス様の所へ来たという事だったが」


「何にせよだ。人を疑うという事を知らない方々なんだ。アリス様もエリカ様も。だからいざという時は俺らが護ってやらなきゃならん」


「そうね」


「まぁ、そのいざ。が来ない事を祈るがな」


「でも最近妙な事が多いらしいわよ。魔物が増えてるとか、空に大きな影を見たとか」


「どうせいつもの噂話だろ? そういうのはさ」


……。


私は使用人さんたちから離れ、また今日も駄目だったとガッカリしてしまった。


どういえば、伝わるのだろうか。


会話というのは難しい。


光の魔術を解いて、お屋敷の廊下を歩きながら、向こうから駆け寄ってくるデイビッド君に視線を向けた。


嬉しそうに笑っている。


笑顔は相変わらず怪しい感じに見えるけど。


「エリカ姉様! 用事は終わりましたか!?」


「うん」


それでも、いつだって人の事を気遣っている優しい子なんだ。


「アリス姉様がお茶会をしようと言ってまして、エリカ姉様も……エリカ姉様?」


私はデイビッド君を抱きしめて、くじけそうな心を強く持ち直す。


「ね、姉様!?」


「デイビッド君の事は、必ず私が護るからね」


「エリカ姉様……」


そして、いつか必ず誤解を解いてみせる!


「……護りたいのは」


「ん?」


「いや、何でもないですよ。エリカ姉様。さ。お茶会に行きましょう」


「うん。そうだね。あんまり待たせちゃうとアリスちゃんが怒っちゃうし」


私はいつも通りデイビッド君と手を繋いで、アリスちゃんが待っているであろう中庭へ向かうのだった。

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