第4話『ガーランド様って、優しい人なんですね』

それは何でもない日の昼下がりの事だった。


ちょっとした手伝いで町に来ていた私は、路地裏から伸びてきた手に、暗がりの世界へ引きずり込まれ、ナイフを突き付けられながらフードを被った怪しげな人に怒鳴られていた。


恐怖で動く事が出来ない私は目を閉じて、痛みを耐える様に体を固くしたが、いつまで経っても痛みは来ない。


どうしたのかと恐る恐る目を開けてみれば、フードの人を捕まえている最近よく見慣れた人の顔があるのだった。


「エリカ殿? 大丈夫か?」


「……ぇぁ」


「一応、怪我は無いようだが……立てるか?」


「だ、大丈夫、です」


「とてもそうは見えないが」


私は両手を握り締めて、笑顔を作りながら震える体で問題ないとガーランド様に告げた。


しかし、残念ながらガーランド様は安堵せず、困ったような顔をするばかりであった。


だが、このままではいけないと私は立ち上がり、一歩を大きく踏み出した……が、震えた足で体を支える事など出来ず、横に倒れそうになってしまう。


「っ」


「エリカ殿!」


「……あ、ありがとうございます」


「いや、構わないが。このまま帰すのも心配だな。すまない。私は彼女をイービルサイド伯爵家まで送っていく。後は頼んだ」


「ハッ! 承知いたしました!」


「そんな、ご迷惑を」


「気にしなくても良い。麗しいお嬢さんを護るのも、騎士の仕事だ」


アリスちゃんとは違い、がっしりとした男性の手に体を支えられ、微笑みかけられるという連続技に私は思わず頬を熱くさせながら俯いてしまった。


頬に出来た古傷も、短く揃えられた髪も、鎧の上からでも分かる鍛えられた体も、見慣れないものばかりで、落ち着かずドキドキとしてしまう。


それに、私よりもずっと年上だからか、落ち着いた微笑みは大きな安心感を与えてくれ、思わず頼りたくなってしまうほどであった。


「うむ。まだ歩くのは厳しそうだな。ではどこか喫茶店にでも入ろうか」


「そ、そんな。私、お金を持ってなくて」


「ハハハ。お嬢さんにお金を出して貰う訳にはいかないよ。こんなオジサンに付き合って貰うんだ。是非御馳走させてくれ」


「そんな訳には」


「それにな。これは騎士としての名誉にも関わっているのだ」


「名誉、ですか?」


「そう。実は何を隠そう私は甘いものには目が無くてね。しかし、一人で入るのは気まずいし、噂をされては厄介だ。そこで、お嬢さんを介抱するという名目で私の望みに付き合って貰いたいのさ。どうかな。お嬢さん」


「……そういう事でしたら」


「うむ。それは良かった。助かるよ」


そんなこんなで、私はヴェルクモント王国王都近衛騎士団の騎士団長であるマルク・ヴェイン・ガーランド様と喫茶店でお茶をする事になってしまった。




ガーランド様とお茶をしてすぐに分かった事だが、この人は嘘つきである。


「すまないが、ミルクと砂糖は抜いてくれ。甘いのは苦手なんだ」


「……」


ジッと、注文をするガーランド様を見つめる。


そしてお茶が来てからはそれを飲みつつ、目を細めてガーランド様の姿を目で追い続けた。


「あー。すまない。私が何かしたかな」


「……甘いもの。苦手なんですね」


瞬間、ガーランド様はハッとした顔をして、キョロキョロと周囲を見渡してから大きな体を小さくして、すまないと口にした。


別に謝って欲しい訳では無いのだ。


まともに歩けない私が、落ち着けるまでの時間を過ごせるようにと、喫茶店に連れて来てくれたわけだし。


多分、ガーランド様があぁ言わなければ私は断っていた訳だし。


だから、別にガーランド様が悪いわけじゃ無いのだ。


「本当にすまない!」


「いえ。別に私は怒ってません」


「そうか。ありがたい」


「ガーランド様って、優しい人なんですね」


私は溜息と共にテーブルの中央に置かれたクッキーを口にしてそう呟いた。


まぁ正直、これでもかってくらい言われている言葉だろうが、それでも言ってしまったのは、嫌味の様なものだ。


でも、そんな私の言葉にガーランド様は酷く驚いた様な顔をして私を見つめるのだった。


「どうしたんですか?」


「いや……すまない。少し驚いたものでな」


「驚く? 何がですか?」


「あぁ、優しいと言われた事だよ。これまでの人生。その様な事を言われた事は一度も無いからね」


「え? 一度も?」


「あぁ。まぁ、覚えている限りだな。残念ながら生まれてすぐの記憶は無いものでね」


ハハハと笑い話の様に言いながら、無糖の紅茶を飲んで笑うガーランド様を、私は奇妙なものでも見るような目で見てしまった。


だって、あり得ない。


出会ってから何度も話し、助けられているけれど、お人好しの中のお人好しの様な人なのだ。


「あの。もしかして私の事をからかってますか?」


「からかう? どういう事かな」


「いや、だって、ガーランド様が優しい人じゃなかったら、世界のどこに優しい人が居るんですか?」


「うーむ? どこにと言われれば、少なくとも私の前に一人居るが……」


「っ!」


「君がこのイービルサイド家の領地に現れてから一年と半分過ぎたが、多くの住民が君の事を話しているよ。自らの力を誇示せず弱者の為に躊躇いなく力を使える人だと。君が使う癒しの魔術は心すら癒すと、彼らは話していた。それを考えれば私などとは比べ物にならない程、君は『優しい人』だろう?」


「それは、でも、同じ事はアリス様もやっています」


「あぁ、そうらしいな。ならばイービルサイド伯爵令嬢も君と同じく『優しい人』なのだろう。別に『優しい人』というのは世界に一人だけという訳でも、どちらが偉大という事も無いからね。ただ、同じ様に誰かの為に動ける人なのだろうさ」


「でも、でもそれなら、ガーランド様も同じです。私は、何度も、ガーランド様に助けられました」


「ふむ。確かにそういう機会は多かったが、それは殿下の指示という事もあるし。騎士として当然の事だとも思うね」


「なら、今日の事は? 私が歩けないと知って、こうして喫茶店に連れてきて下さったのは、王太子殿下の指示だったり、騎士としての役目だったりするのですか?」


「それは……確かに。そう言われると盲点だったな。そうか。私にも人を想う気持ちがあったのか」


何だか奇妙な会話になってしまっているが、ガーランド様は頷きながら私を見つめ返した。


そして、まるで幼い子供の様に純朴な顔で笑う。


「ありがとう。エリカ殿。君のお陰で私は救われた様な気持ちだよ」


「い、いえ……まぁ、今までの人が節穴だっただけだと思いますけど」


「ハハハ。そうかもしれないが、騎士団を率いている時の私は本当に厳しいからね。悪夢の訓練などはよく言われたものだよ」


「でも、厳しくするのは、そうする事で騎士団の人が騎士としての仕事をちゃんとこなせる様にしたり、無事に帰ってくる為。なのでは無いですか?」


「……驚いたな。そこまで見抜くとは。君は心が見えるのかい?」


「そんな事は、無いですけど。何となくそう思っただけです」


「そうか」


ガーランド様は紅茶の入ったカップを見ながら、何かを考えて目を閉じた。


そして、少ししてから私を真剣な眼差しで見つめる。


「時にエリカ殿。私は退屈な男かな」


「え、っと? どういう意味ですか?」


「意味はそのままの意味さ。退屈でつまらない。会話をしているとイライラしてくる。そんな男だろうか」


「そんな事は、無いですけど。今だって普通に会話していますし」


「……」


「ガーランド様?」


「ちなみに、もう一つ聞いても良いかな?」


「はい。なんでしょうか?」


「婚約者は、決まっているかい? もしくは交際している人は?」


「婚約者……?」


「突然不躾な事を聞いて申し訳ない。気になってな」


笑いながらそんな事をのたまうガーランド様に、私はどう答えた物かと考えながら紅茶を一口飲んだ。


そして、一応は本当の事を言うかと、誰も居ないと首を横に振るのだった。


「そうか。そうか。では、君に交際を申し込ませてくれ」


「はぁ……はぁ!?」


「考えて貰えると嬉しい」


「いや、その……はい」


「こんな事を言っておいて申し訳ないが、あまり気にしないでくれ。私はもう三十代だしな。君とは倍以上離れている。断るのが普通だ。だからこの場で断っても……」


「私は! 年齢とかで、そういう事を判断しません! いや、流石に凄く年上だったら、困っちゃいますけど、でも、ガーランド様は素敵な人ですし。そこは気になりません」


「そうか」


「でも、私は、心に想っている人が居るので、その、すぐにガーランド様の気持ちに応える事は」


「おっと。そういう事なら少し待ってもらえるかい?」


「っ!?」


私の言葉を遮って、ガーランド様は先ほどまでとは違い、やや荒々しい顔つきで笑う。


まるで狩りをする獣の様な顔で。


「君に想い人が居たというのは予想外だったが、婚約も交際している人間も居ないという事は君の片思いなのだろう? ならば、その想いを私の方へ向けてもらえる様に、少しばかり抵抗させて貰うよ」


「ぅ、そ、そんな自分勝手な」


「いや、すまないと思っているよ。だが、私もようやく生まれた想い。無駄にはしたくないんだ」


「ぁう」


不意に手を握られ、間抜けな声を出してしまった。


これほどに熱い想いを向けられながら手を握られた事など無いから、動揺してしまう。


「今日はこのまま伯爵家に送らせて貰うが、今度は君に会うために行くよ」


突然やってきた出来事に私は目を回しながら、ただ頷く事しか出来ないのだった。

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