第81話 勝敗とその先へ
クリスティーナ=フロウシア
二人の戦いは、およそ合理的とは言えない状況で始まりました。
いつ敵の襲撃があるかも分からない、斥候に見つかる危険を高める行為です。
けれど、それが必要なことであるのなら、例え危険を孕んだとしても私たちは受け入れるでしょう。
クレアさんの事情を聞いたのは初めてでした。
ある程度必要な情報はハイリア様から都度教えられていたけど、内容が内容だけに、というよりはクレアさん自身の口から語らせたかったから、伏せられていたのかもしれないですね。
訓練中の事故で人を殺してしまった。
それを学園中から責められていた。
私なら、きっと耐えられない。
そして、そんな時に手を差し伸べられたら、もうどうしようもなくその人が好きになってしまう。
羨ましいなと正直に思う。
私にはクレアさんほど強く想う理由がない。
最初は噂話に憧れた。
とても格好良くて、強くて、頼もしい先輩。
教室の友達に誘われて小隊入りして、最初は遠目に見ているだけでドキドキした。帰り道で同じ雑用班になった同級生と、格好良いね、なんて話題で盛り上がったりして、先輩からも去年の活躍がいかに凄まじかったかを教えられ、もう雲の上の人のように感じられた。
そんな人が私の力を認めてくれて、声を掛けてくれる。声は、改めて聞くととても穏やかだった。訓練中は鋭い声を出すこともあるけど、大抵は柔らかで、整った音だ。晴天の朝に吹く風に似ている。
私はハイリア様の声が好き。
くり子、なんて呼ばれる度に、心が甘くとろけるような思いがした。妙な愛称を付けられたことも、構われてるみたいで嬉しかった。
部下になって、他の人は知らない多くのことも知れた。
知る度に、一緒に計画を進める度に、そう……そうだ――
一際強い剣戟の音に意識が引き戻される。
リースさんの長剣とクレアさんのレイピアが打ち合わされて、互いに弾かれている所でした。
クレアさんの巧い所は、本来訓練や手加減する時なんかに用いられる、『剣』としての加護の操作を実戦でも活かしている点だと思います。
『剣』には斬撃の加護が乗ります。切れ味以上の威力で対象が断ち切られるから、通常はそれを常時研ぎ澄ましているものです。けれどクレアさんは、時折ああして魔術的な切れ味を鈍らせる。結果、『槍』には程遠いものの、打撃に近い形で相手の武器を弾くことが出来るんです。
通常これは大きな意味を持ちません。
打とうが切ろうが、武器を打ち合わせれば弾き合うのが普通です。
けど、クレアさんの武器はレイピア。細身の剣は強くしなり、しなることで切っ先の軌道を複雑化するだけではなく、ハイリア様の言うバネのように力を溜め込めるのです。『剣』では、斬撃の加護を強く求めれば求めるほど、刃は強靭なものになってしまいます。けれど打撃なら。
更には、硬い剣は弾き合えば形状を維持するから、衝撃はそのまま術者へ返ります。対しレイピアは、剣そのものが衝撃をある程度吸収してくれる。
だからこそ、次の攻撃へ移る速度が相手を一歩上回る……っ。
クレアさんが先に踏み込んだ。
リースさんは弾かれた長剣に引っ張られて上半身がやや後ろに逸れていました。
必勝の流れ。
今まで見てきた二人の訓練でも、こんな形で決着することが多かった。
クレアさんは初戦こそ敗れたものの、以降の訓練では殆どリースさんに勝っていて、だから私は直後の決着を疑ってませんでした。
這い出すように、左手がクレアさんの前へ掲げられた。
直前まで長剣を掴み、後ろへ逸らされていた筈の左手。右手はまだ長剣を握ったままで、今も武器を引き戻そうと衝撃を受け止めています。いや、むしろ敢えて逆らわず後ろへ大きく反らし、振り抜く力を貯めていました。
無防備な左手は、突き出されたクレアさんのレイピアを掴み取ろうと伸びていく。
本当に無謀。下手をすれば指が落ちてしまうのに、リースさんは地の底へ垂らされた糸を掴み取るように笑っていました。
クレアさんの攻撃がほんの僅か鈍ったのが分かりました。
優しい人だから、どうしても躊躇ってしまう。
けれどこれは訓練じゃないんです。クレアさん自身が望んで始めた、命懸けの、きっと心さえ懸けた戦い。
大上段から長剣が振り下ろされました。
血が舞い飛び、連続破砕が地面を叩き、その先にあった切り株を砕いて散らした。破片が足元へ飛んでくる。
クレアさんは、後ろへは引かずにリースさんの脇を駆け抜けて回避していました。けれど途中で転倒し、同時に赤の魔術光が火の粉と散ってしまう。
対し、リースさんは左腕から大量の血を流しながらも、荒い息を整えつつ両足で立っていました。
何が起きたのか、最初は分かりませんでした。
けれど落ち着いて今の状態を分析すると、おのずと流れが見えてきました。
クレアさんは、差し出された左手を斬り裂いた。
躊躇こそしましたが、きっと直後には覚悟を決めて攻撃を放った筈です。そして現在の互いの向き。すれ違った筈の二人は、今顔を向かい合わせている。倒れ、仰向けになったクレアさんも、長剣を腰だめに構えるリースさんも。
なら、すれ違いざまに一合あったんだと思うんです。
リースさんの左手を、そして腕を斬り裂いたクレアさんは、『旗剣』によって放たれる連続破砕から逃れる為に、危険な脇を抜け、背後に回る選択をしたんです。あの攻撃は手元から離れるほどに広がりますから、後ろへ逃げれば直撃を受けます。左右へ逃げなかったのは、勢いが前へ向かっていたからでしょう。どの道真っ直ぐ横には抜けられず、攻撃の迫る状況で速度を殺すのは危険です。
だからこそ、リースさんの狙いもそこにあったんだと思います。
左手を差し出した時には、彼女の頭にその図面があった筈です。本能の部分だとは思いますけど、あの無茶苦茶な防御は、外へ払うように行われていました。だから左手を切り裂けば、自然とクレアさんの切っ先はそちらへ向き、勢いも同じ方向へ向きます。
相手の回避する位置が分かれば、もう彼女なら安全よりも攻撃を選ぶ筈。大上段からまず追い込みの連続破砕を放ち、その流れを維持したまま身を返し、離れていくクレアさんへ一撃を加える。
クレアさんも応じたんでしょうけど、十分な溜めと勢いのある攻撃に、武器を砕かれてしまった。
先述したレイピアの特徴やクレアさんの戦い方は確かに巧いです。
けど、それは武器そのものの耐久性を犠牲にしたもの。
私たち『剣』の術者にとって、武器破壊による反動はとてつもなく大きいのです。『盾』であればいくら破壊されても戦い続けられますが、『剣』は四属性の中で反動が最も大きい。レイピアそのものの耐久性も、やっぱり他の剣に比べると低いから、リースさんの攻撃に耐え切れなかったんだと思います。
今クレアさんは、身体を両断されたような激痛に襲われている筈。
未だに構えを解かないリースさんを見て、幾つかの影が重なりました。
例えば、彼女の小隊長であるジークさん。
そしてハイリア様。
皆、私にとってとても遠い存在。
今改めて分かった気がします。
あの日、ピエール神父に斬られたハイリア様が、突撃槍を掲げて言葉を放った瞬間に得たものを。
一つは熱。風を受け、自分でも信じられないくらい高く燃え上がった心が、凍えそうになっていた私を支えてくれた。
もう一つは、やっぱり遠い存在なんだという、諦めさえ通り越した納得でした。
他の誰が出来るだろう。
隊長とか、貴族とか、そんな立場があるからと言って、あの状況で先輩後輩合わせて百人以上の心を支え続けるなんて。
自分の想像を越えていく人たちの背中を見て、強い憧れがあると同時に、どうしても壁を感じてしまう。
なまじ部下として日頃から手腕を見せつけられているから、余計に。
今の無茶も、その三人なら形は違えど似たようなことをしただろうと思えました。
だから今回、ハイリア様に付いていくのがメルトさんで、私がこちらへ残ることとなって、内心ではほっとしていたのかもしれません。
なのに、なんでだろう。
今見せつけられた違いを前に、今までになかった感情が沸き上がってくる。
クレアさん。
とても辛い過去を持ちながら、こうして剣を持ち続けているのは、決してハイリア様に支えられたからだけではない筈です。
そんな人が強い決意を胸に、勝負を挑んだ。
ハイリア様と同じく、私たちの想像を越えていく人へ。
そうだ、私は――
※ ※ ※
クレア=ウィンホールド
悔しかった。
決意したのに。
ここで向き合おうとしていたのに。
差し出された無防備な手を前に、それを傷付け彼女の力を奪うことに、強い忌避感を覚えてしまった。もしこの先左腕が使えなくなったら、なんて考えが頭をよぎって、ほんの僅かに勢いを殺してしまった。
傷付けることに、奪うことに恐怖を感じてしまったんだ。
それでも踏み込めはした。
恐怖を越えて、腕を切り飛ばすつもりで攻撃が出来た。
けれど直後の追撃を受ける時、リースにとって報復とも言える一撃を前に、傷付けたことへの贖罪を求めた。
もう駄目だ。
立ち上がれない。
身体を支えていた糸が切れてしまった。
身体の奥底で暴れる痛みが辛くて、涙が出そうになる。
ここまでして、私はまだ進めなかった。
だから、いいじゃないか。
出来る事はしたんだ。
けど届かなかった。
やれば出来るなんていうのは都合のいい絵空事だ。
出来ないことなんて幾らでもある。
たった一人で男爵の軍勢を跳ね除けられるか?
この国に巣食った教団や、それと繋がる貴族らを私だけでどうにか出来るのか?
同じことだ。
器じゃなかった。
そんなことは一年も前に分かっていたじゃないか。
だから、
「立って下さい! クレアさんっ!」
※ ※ ※
アリエス=フィン=ウィンダーベル
「負けないで下さい! お願いです!」
戦いを遠巻きに眺めていた人たちの中から、栗色のくり毛をした小娘が飛び出してくるのが見えた。
お兄様がくり子と名付けた、お兄様の部下。
「立てる筈です! だって、クレアさんは私にいろんな事を教えてくれた、すごいひとなんです! だから……、だから……っ、絶対に負けないんです!」
二人の戦いは、もう森に潜む全員へ知らされている。
同じ小隊の者たちをはじめ、だんまりを決め込んでいた貴族たち、そして今日まで逃避行を支えてきた兵士たち、皆がそれを見ていた。
クレア=ウィンホールドの戦いを。
リースはまだ構えを解いていない。
命を懸けて戦ってくれと、そう言われたらしい。リース=アトラがどういうつもりかは分からないけれど、彼女にとってまだ戦いは終わっていないのね。あるいは本当に命を取るつもりなのかもしれない。
「まだ終わるには早ぇだろ!」
ふと隣から声が飛ぶ。
視線をやると、不敬なことにヨハン=クロスハイトが見返してきた。
「なんだよ」
「なんでもないわ」
次に誰かが前に出て声を放った。
するとまた別の少女が前に出る。
一歩、誰も彼もが彼女へ近寄った。
「クレアさんっ、がんばってー!」
「大丈夫! まだまだ戦えます!」
「いつもいつもへばった俺たちに蹴りを入れてたろ! ちょっと痛ぇからってなまけんなよおっ」
「そうだそうだぁ! ハイリア様とクレアさんの提示してくる訓練の方がよっぽどキツいぜえ!」
「ああ死ぬ。あれは死ぬ」
「食料やら物資抱えて丸三日山道駆けまわるって正気じゃないよなあ!?」
「あれを笑顔でやれと言ってくるんだ。しかも二人は涼しい顔して終わらせるんだぜ? この程度がなんだってんだよ!」
「ハイッ、クレアさん! この状況で愚痴垂れてる不届き者は私がおしおきしておきます!」
「キャー! 先輩がんばってー!」
「クレアさん! クレア=ウィンホールド!」
一際艶やかな声が歓声を斬り裂いた。
その女の姿を見て、学生たちは黙りこむ。何かを察したらしい貴族たちの気配に、遅れて私も気がついた。
「彼女は……」
オフィーリア=ルトランス。
そういえばと隣を見、進み出たオフィーリアへ戻す。ヨハンとよくわーきゃー騒いでいるアンナとかいう小娘と、よく一緒にいる片割れだった筈。お兄様が三人娘と一纏めに呼んでいたから、今まで大して気にしてなかったけれど、ルトランス家は伯爵位を持つ貴族。
それだけではなく、ついさっき聞いたばかりの名前を思い出し、二つが繋がった。
「彼女、死んだ小隊長の許嫁だった筈よね」
「へぇ、よく知ってたな」
聞かなければ黙っているつもりだったらしい。相変わらずへこませたくなるくらいふてぶてしい男ね。でも今はいいわ。
「貴族間の繋がりを知っておくのは社交界の常識よ」
「その割には所属している小隊も知らなかったじゃねえかよ」
「うるさいわね、基本的にお兄様以外に興味がないのよ」
「すげえ発言だソレ」
けどな、とヨハンは続けた。
「あいつだけじゃねえぞ」
言われた意味を咄嗟に理解し、息を呑んだ。
「まさか……話に出てきた小隊の……」
「あぁ、隊長どのが連れてきた。あの時あぶれた小隊に居た連中は、今も全員がウチに残ってるよ。それでもあいつ連れてきた時は流石にビビったがな」
ただ、自分の活躍によって悪評を押し流しただけではなかった。
一度は敵対した、ましてや仇とも言える人間と、解散するしかなかった小隊員たちを引き入れていたなんて。
言葉で言うほど簡単ではなかった筈。
けれど今、その全員が残っている事実を思えば、どれほどのことがあったかは想像がつく。
「ま、別に親同士の決めた許嫁だったってだけで、互いに恋愛感情は無かったらしいがな。けど、それぞれに夢を持って、仮にも同じ学園で励み合ってた幼なじみだ。正直どう思ってるかは俺にも分からん」
そうして、オフィーリア=ルトランスは戦いの中へと進んでいった。
歩く動作は田舎貴族とは思えないほど綺麗で、へえ、と私は彼女の評価を上げた。そうして彼女はクレア=ウィンホールドの横で膝を折る。
「もう、彼が死んでから一年も経ちました」
艶やかな声。色気とは少し違う、甘さの残る涼やかさがあった。
「戦いを仕掛けたのは彼の側で、私もあの時は参加していました。どちらかが悪いかと聞かれたら、間違いなく私たちです。けれど、私は貴女のことを許しません。だって彼は、私にとってとても大切な友人でした。彼が悪かったから許せるなんて、そんな綺麗なことは言えません」
その時、倒れていたクレアの口元が小さく動いた。
声は聞こえなかったけれど、なんとなく言ったことは分かる。対し、オフィーリアは小さく首を振る。
「ですが――クレアさん。私たちはもう、一年も一緒に居たんです。同じ訓練を積み、同じ小隊で戦ったこともあります。今もこうして、一緒に戦っています。
私、クレアさんのことはずっと見ていました。クレアさんも私のことは見ていましたよね? 無視出来る相手ではありませんから。
だから、よく分かります。
クレアさんがどれだけ傷付き、償おうと考え、そして負けまいと頑張ってきたかが。それを、一年も見てきました」
それだけです、と言って彼女は立ち上がる。
背を向け、後ろ手を組み、花弁の落ちるような笑みを浮かべて言葉を置いた。
「私も、ようやく前に進む決心がつきました。ですから、手は貸しません。一人で立ち上がって下さい」
離れていく。
倒れたままのクレアは、まだ起き上がる気配を見せない。
けれど誰もが、じっと彼女を見つめていた。
※ ※ ※
クレア=ウィンホールド
立ち上がる、そんなことに何の意味があるのだろう。
私は負けたんだ。
負けた人間が立ち上がるだけで、一体なにが変わる。
分からない。
私は、その景色を見ていない。
それでも、声があった。
幾つもの声が私を包んでくれだ。
いつかの暴風じみた冷たいものじゃない。
どうして私なんかにと思う。
人殺しの、口先だけの無能者に、そんな言葉はふさわしくない。
けれど彼女は言っていた。
私はすごいひとなんだと。
勘違いだ、そう言いたかった。
なのに心が言葉を押しとどめた。
彼女、クリスティーナ=フロウシア。
私の初めての後輩。
彼女が私の価値を信じてくれている。
いや、彼女だけじゃなかった。
かかる声の何もかもが、なぜか私を認めてくれている。
がむしゃらに突き進んでいくことしか知らない私を、皆が望んでくれている。
どうして?
どうしてこんなにも……。
『結局、俺は失敗することを恐れていただけなんだ。見せ付けられた結果に怯え、また同じことを繰り返すのかと怖れた。だけど、そう……簡単な話なんだ――』
あの日聞いた言葉が蘇る。
あれほどの偉業を成し遂げた人の言葉とはとても思えず、聞き間違いだと思い込んでいた言葉は、けれど確かに彼の声で紡がれた。
『転んだら立ち上がればいい。転んだその場ですぐに立てなくてもいい。傷が癒えたら、あるいは気力が戻ったなら……。百年の時を重ねても、きっと』
手が、土を握った。
腕の下敷きになった草で肌を切るのも構わず肘を引き、ゆっくりと身体を起こしていく。
痛みがある。
なら、まだ私は生きているんだ。
生きているなら、立ち上がれる。
もう一年も休んでいたんだ。十分過ぎる。
だから起きろ。
理由なんてもう分からない。
ただ立ちたい。立ち上がり方を誰かに教えてもらおうと転んだままでいるのは、もう嫌なんだ。
私は負けた。
けど負けただけだ。
生きている。
あの日、確かに私は最後の一歩を踏んだ。
もう一度進もう。
そしたら、また一歩進んでいこう。
倒れたらまた立ち上がればいい。
そんな当たり前のことを続けていくだけでいいんだ。
身体を起こし、足を地面へ付ける。
上手く踏めなくて前倒しになるが、両手をついて踏ん張った。手首が痛みを訴え、肘から力が抜けてみっともなく倒れ伏す。
それでも、後ろ向きに倒れているよりはずっといい。ようやく前のめりになれたんだから。
再び手をつき、肘に精一杯の力を込めて身を起こす。
腕が笑っていた。ほんの少しでも気を抜けばまた倒れてしまいそうだった。
浮いた身体の下に折り畳んだ足を入れ、膝をつく。
大きく息を吸った。それだけで身体の内側が激痛を訴えてきた。けれどそれが全身へ広がったことで自分の状態がよくわかった。感覚の鈍っていた手足の先まで、意識が通う。
「っ、は……っつぁ! っはあ、っはあ……!」
ようやく呼吸が聞こえてきた。
足の裏はもう地面を踏んでいる。
声が聞こえた。
後輩の、私を信じる声だ。
「立って! クレアさん!」
「ぁ――――ぁぁぁぁあああああああああアアアアアアアアア!」
立った。
ぐらつく視界の中で、私は確かに立ち上がった。
だが、
「あっ!」
維持出来ない。
倒れる――
※ ※ ※
仰向けに倒れた時、見えたのは細い木漏れ日と青い空だった。
そうして、広い世界に虚ろな意識が漂っていて……。
地面に伏せっている時、見えたのは自身の落とした影だった。
それが、私がここに居るという証で……。
立ち上がった時、見えた景色は――
※ ※ ※
――ぁ、
仲間が居た。
「大丈夫ですか!?」
左脇を支えているのはクリス。
反対側にはアンナとオフィーリアが身体をぶつけ合うようにして。
背中や肩にも誰かのあたたかみを感じる。足元では何故かヨハンが両手を構えていて、戦っていた筈のリースは、少し離れた場所でこちらを眺めているアリエス様の後ろであわあわと足踏みしていた。駆け寄ろうとして止められたらしい。
揃って落ちたため息に、私は思わず笑ってしまった。
「はは……どれだけ過保護なんだ、お前たちは」
「ま、これだけ居りゃ人一人支えるのくらい訳ねえってこったな」
「ヨハンくんはエッチなこと考えてるだけで支えてないけどね」
「いや、あれはあれで重量あるし」
「…………」
「どうしたアンナ?」
「~~~~っ!」
ぴゅーん、と顔を赤くして逃げていくアンナ。
「なんなんだ?」
私に聞かれても分かるものか。
「それはそうとな、ヨハン」
「ん?」
支えられ、落ちた視線の先に居る見慣れた少年の、見慣れない顔面を私は見た。
気が抜けたからか、少し笑うことが出来た。
「お前、顔がすごいことになってるぞ?」
※ ※ ※
ヨハン=クロスハイト
しばらくして、ようやく腫れた顔が元通りになってきた。
細かいことは気にするな、なったんだよ。
俺が妹さんに吹っ飛ばされたらしい前後十数分の記憶を探っていると、予想通りというか、敵襲を知らせる一報が陣内にもたらされた。
敵襲というより、どうにも包囲されちまっているらしい。
原因はさっきの戦いじゃなかった。もっと前だな。こっちを捉えてた男爵の部隊が、そのまま攻撃を仕掛けずこっそり包囲を完成させたって所か。
状況を探ろうと軍議へ顔を突っ込んでいると、少しは体力を取り戻したらしいクレアが現れた。そうして、当たり前のように奥へ、指揮官の位置へと収まる。
「これより部隊はすべて私の指揮下に入ってもらう。帯同する貴族たちからも支持を取り付けた。悪いが、状況が状況だけに異論はすべてが終わった後で聞かせてもらう」
強引すぎるようにも思えるクレアの言葉を、軍議に出ていた兵隊たちは重い頷きで受け止めた。続けて、今まで軍議には顔を出さなかったらしい貴族らが十数名ほど現れた。中にはクレアの父親も居る。
穏やかな口調の彼は、敢えて親子の雰囲気は出さずに言う。
「新しい指揮官がお呼びとのことだが、我々に何の御用かな?」
「以降の戦闘には、あなた方も参加してもらいます」
ん?と思った。
この貴族たちが戦う?
「我々は、イルベール教団と戦うことを目的に集まった者たちです。戦闘だけが戦う手段とは言いませんが、我が身を守り、駆け抜けていく者たちに追従する程度のことはしてもらわなければ話にならない」
言われて思い出した。
この国は、身分以上に魔術の腕前が評価されることもある。偉ぶりたい貴族サマにとっちゃ、魔術は必修科目なんだろう。そりゃ、皆が皆一流じゃあない。クレアの例にあったように、替え玉使って見せかけの評価を背負ってる連中もきっと居る。
だが、こいつらは少なくとも今回の集まりへ一番に声を挙げ、集まってきた気骨のある連中だ。教団がやべえ相手だってことも十分に理解してるだろうしな。
だったら、やった筈だ。
老いぼれも女子供も、改めて魔術を鍛え直すくらいは、その必要性くらいは考えてるだろう。
「戦えますね?」
にしても強引な言い方だ。
懐かしさのある語気に、つい笑みが出る。
と、何故か言われた貴族たちも笑みをこぼした。
対するクレアは仏頂面のまま、厳しい目を連中に向けてる。
応じる声は無く、ただ、眼前に紋章が掲げられた。
貴族連中の見せる魔術光、そして紋章の数々が、その覚悟を示していた。上位能力者まで混じっている辺り、まんざら雑魚の集まりでもねえみてえだしな。
「さて」
改めてクレアの父親が問いかけた。
「我々は今、敵の包囲を受けている。指揮官どのは、この状況をどう切り抜けるおつもりかな? そして、今後の方針をどのように定めるおつもりか」
「中央突破です」
思わず吹き出した。
今更ながらに、一年前のコイツがなんて呼ばれていたかを思い出したんだ。
竜巻娘なんて呼ばれた女は、あいも変わらず周囲を吹き飛ばして突き進もうとする。
「逃げてばかりでは話にならない。敵の戦力は限られている。前線へ送り込むべき兵力をこんな後方で使い潰すほど男爵も愚かではないでしょう」
「つまり?」
「我々はこれより、王へ反旗を翻した男爵の討伐へ向かいます」
「ふむ。逆に我々を最優先で潰そうと兵力を集中してくる可能性もある」
「ならば前線の兵力が減り、鎮圧に来るだろう軍へ有利に働きましょう」
「イルベール教団と協同していれば、挟み撃ちを受ける可能性もある」
「それは今の状態でも変わらない。第一、あの男爵が教団と組むなど論外です」
「理由は?」
「彼は、極めて独善的な正義感を持っています。ああいう手合いは自ら発言したことを決して曲げはしない。曲げるときは、追い詰められて逃げ出す時です。今はその時ではありません」
私のように、なんて言葉が聞こえてきそうな言いぶりだった。
では、とクレア父は間を置いて問いかけた。
答えが分かっていることをおさらいさせるように、期待を込めて。
「中央突破を狙うと言った。ならば、敵の指揮官がどこにいるか、見当くらいはつけているだろうね?」
「敵は兎狩りをしています」
クレアは、中央に広げられた地図を指さす。
俺たちの居る森、北東にはここを管理してるだろう村落があり、もう少し進めば大きな町もある。森の南方には平原が続いていて、三日も進めば山脈とぶつかる。本来はそこを越えるなり迂回するなりして港町へ出る予定だったが。
指先が地図を滑り、俺たちが居る地点から北西を指す。
森の続く先、小高い丘のある場所だ。
「昔から兎狩りは高みの見物から始まるものです。駆り立て、狙い時になったらようやく重い腰を上げる。緩みきった連中の度肝を抜くには、ここを突破してみせるのが一番です」
「それが可能と? 突破を果たしたとして、城と『魔郷』に身を守られた男爵を討ち取れると?」
「当然です。我々が倒そうとしているのは、こんな小さな領地どころか、大陸中に根を張るイルベール教団です。あの程度は庭の雑草抜きと変わりありません。違いますか?」
そこで、周囲から笑いが漏れた。
今まで口を閉ざしていた兵隊たちだ。
「我々に異論はありません」
「応とも……!」
「少々大きな雑草ですが、ちょいと掃除してやりますか」
クレア父は口々に威勢を張る兵隊たちを見渡し、ゆっくりと頷いた。
「よろしい。では我々もそこに参加させて貰おう」
「指揮官からの命令ですので、嫌と言ってもやってもらいます。――他に意見のある者は居るか」
そこで軍議は終わるんだと、俺は思った。
けど遮る声があった。
「そうね。ちょうどいいから今の内に言っておくわ」
遠巻きに成り行きを見守っていた妹さんが歩を進めてくる。
「包囲突破後、私たちは別行動を取らせてもらうわ」
「アリエス様……どういう理由でしょうか」
「皆、疑問に思っているのでしょう? 私たちがこうなる前、誰よりも事態を予知していた人物がこの場に居ないことを。指揮官様の件を預かっていた皆さんも、詳細については不明の筈」
「それは……確かにそうですが、今となっては居場所も」
「知ってる者に吐かせましたわ」
と、妹さんの後ろに隠れていたくり子が半べそ顔で全員の前に晒された。何故か服が乱れていて、頬がりんごみたいに赤く、元々癖の強い髪が更に大変なことになっていた。
負傷と呼べるものはないようだが、何をされたのか是非その場に居たかったもんだ。
「ひどいです……私、あんなの初めてだったのに……えぐ」
おい詳しく聞かせろ、などと言おうとした俺の首根っこを妹さんが掴んだ。
「勝手をするのだから、せめてもの責任くらいは果たすわ。敵本陣への第一矢は私と、私の選抜した数名で行うから。とりあえずはコレね」
「嫌だよ俺めんどくせえし」
めんどくせえが乳が背中に当たる。でけえし最高だな! 好みじゃねえが!
「わ、わたしも……」
「貴女は留守番ね」
「なんでですかぁ……」
「黙ってた罰を受けなさい」
絶対嫉妬だと思ったが誰も口にしなかった。今俺は背中の感触にすべての意識が集中している。
「突破する以上は速度のある人員で固めるし、別方向へ逃げる者が居れば追撃も分散する。『魔郷』相手に『剣』や『弓』じゃ歯がたたないでしょうし、そう悪くない話だと思うけど?」
そうして俺たちは男爵の討伐へ向かう本隊と、消えた隊長どのを追いかける別働隊とに別れた。
俺はというと、乳の感触に気を取られてる間に所属が決まっちまった。
くそう、いつか必ず揉んでやる。
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