僕とあゆみの物語(日常、もしかしたらたまに非日常)
愛田 猛
第1話 猛とあゆみのLet's 豪徳寺
「ねえ、猛。明日、豪徳寺に行こうよ。」
金曜日の夜、僕の部屋に泊りに来ていたあゆみがいう。
僕らは大学生のカップル。同棲はしていないけど、仲良しで、あゆみはよく泊りに来る。
「いいけど、豪徳寺に何があるの?」僕は聞く。
豪徳寺は小田急線の駅の一つだ。東急世田谷線という小さい電車と乗り換えができるけど、基本的にはマイナーな駅だ。急行も止まらないし。
「豪徳寺には、豪徳寺があるよ。」あゆみはいたずらっぽくいう。この小首をかしげるしぐさも大好きだ。
「そりゃそうだろ。豪徳寺があるから豪徳寺って駅なんだよね。当たり前じゃないか。」
僕は常識的な言葉を返す。
あゆみは首を横に振る。「ノンノンノン」
彼女はフランス語ができる。だからたまにこんな言葉が出る。
この言葉が出ると、僕は『あゆみはスノークのおじょうさんか、石野真子の弟子かよ!』と言いたくなるけど、意味なんかわかる人はたぶんいないから言わない。
(ちなみに前者は、ムーミンのガールフレンドの名前だ。昔のアニメではノンノン、リメークしたアニメではフローレン、原作本ではスノークのおじょうさんなのだ。後者は、m石野真子の『失恋記念日』という曲のこと。ご参考までに。)
さてあゆみはなぜ豪徳寺に豪徳寺があるのは当たり前、ということにノンと言ったんだろうか。
「だって、吉祥寺に吉祥寺はないよ。都立大学に都立大学はないし、学芸大学に学芸て抱くはないんだよ。」
あゆみは言う。
「え、じゃあ、吉祥寺ってお寺はないの?」僕は驚いて聞く。
「それがあるのよ。駒込のほうにね。江戸時代に、吉祥寺っていうお寺が火事で焼けて、檀家の人たちが西に移って吉祥寺村を開いたのが始まりよ。その後吉祥寺は再建されたの。」
「へー、そうなんだね。」僕は感心する。
「ところで猛は、駒込がなに区だと思う?」あゆみがさらに聞いてくる。
「うーん。あの辺だから豊島区か、あるいは北区かな?」僕は答える。
この辺はあゆみのほうが知識が多い。あるいはよく調べてるんだよね。
「惜しい!駒込は、豊島区と文京区なんだ。ちなみに、吉祥寺のある駒込は文京区ね。」
つまり二つの区にまたがっているんだな。無理に区分けしたからかな。
「話を戻すよ。豪徳寺に行くからね。」
「つまり、あゆみが言いたいのは、豪徳寺駅にある豪徳寺というお寺に行くってことだね?」僕が確認する。
「うん、そう。本当は、豪徳寺駅よりも近い駅あるみたいだけど、豪徳寺に敬意を表して豪徳寺から行きましょ。さてここで問題です。いま使った豪徳寺は駅でしょうかお寺でしょうか?」
「あゆみ、そのネタはもういいよ。」僕は言う。
「で、豪徳寺に何があるの?」
「それは行ってからのお楽しみ!ググっちゃダメよ。」
こういうのが好きなあゆみは、僕によくググるの禁止、と言ってくる。
まあ僕も楽しみにしてるからいいんだけど。
翌日、僕らは8時過ぎに僕の部屋を出た。
「早すぎにない?」僕は言う。
「うーん。むしろ遅すぎかしら?」あゆみが答える。
そろそろ桜が咲くころだ。今日はとてもあたたかい。
一応念のためジャケットは持ったが、長袖シャツがあれば十分な感じだ。
あゆみもスウェットシャツにジーンズというラフなな恰好だ。でもあゆみは何を着ても似合う。着ていないあゆみのことも大好きだけど、それは言わない。
新宿から小田急線の各駅停車に乗って、豪徳寺で降りる。もう9時を過ぎたくらいだ。
客はちらほらしかいない。
「ほら、豪徳寺に朝から行く人なんてそんなにいないと思うよ。」僕は言う。
「いいからいいから。」
あゆみと僕は、豪徳寺の駅を出て、お寺を目指して商店街を歩き出す。
「こういう昔ながらの商店街って、風情があっていいでしょ。」あゆみが得意そうに言う。
たしかにそうだ。
昔からありそうな八百屋なんかがある。
まあ、しまっている店も多いんだけど、これが朝早いからなのか、それとも景気が悪いせいなのかはわからない。
歩いていると、ちょっと向こうに線路が見えた。あれが世田谷線だろう。
車も走っているが、道が狭いって感じる。とくに、ちょっと横にそれた住宅地は、くねくねした狭い道に、家が所せましとならんでいる。
「世田谷って、高級住宅地かと思ってたけど、道狭いし隣との家の間隔もないね。」
僕が言う。
「そうね。たぶん場所によって違うんだろうけど、高級って感じはしないよね。むしろ庶民が背伸びしてなんとか世田谷に家を買ったぞ!ってやってるみたい。」
ちょっとそれは可哀そうな言い方だと思う。
だけど、それに僕もちょっと共感してしまtった。あんな隣とくっついて建てなくてもいいのに。
「あの郵便の車も通りにくそうね。」あゆみが言う。
向こうに、赤い車が見える。郵便局の車だ 赤いボディにEVと書いてある。
狭い道に、なぜかバックで入っていった。
たぶん、行き止まりの道への配達なんだろう。ご苦労様。僕は思った。
10分ほど歩いただろうか。通り道に人が増えてきた。
よく見ると、半分以上が外国人だ。
「みんな豪徳寺に行く人たちだよ。」あゆみが言う。
へ~。どうやら、世田谷線の駅から来ている人たちも多いようだ。
「豪徳寺に何があるの?」僕は聞いた。
「うーん。井伊直弼のお墓とか。」あゆみが言う。
そういうのもあるかもしれないが、それで外国人が来るとは思えない。
「インバウンドの連中は、そんな知らない人のお墓を見にこないよね?」僕は言う。
あゆみはにっこり笑う。今朝、ドライヤーでセットしていたショートボブの髪が揺れる。
「そうだね。あとは外国人たちについていけばわかるよ。」
何とか豪徳寺の入口にたどり着いた。大きな石に「豪徳寺」と書いてある。
「ここが参道だね。」僕は言う。道がまっすぐ続いていて、参道の両側に並木が植わっている。「
僕らはそのまま、人の流れに沿って豪徳寺にたどり着いた。
門を入ると黒い狛犬っぽい像がある。
でもこれが目的ではないようだ。
その先を歩いていくと、いくつか建物がある。よく見ると、右の奥のほうの建物に人が並んでいる。
「目的はあれかな?」僕はあゆみに聞く。
「そうだよ。結構並んでいるね。先にあっちに並ぼう。これから、もっと混むよ、きっと。」
僕も、それは同感だった。
僕らは、まっすぐにその行列に向かった。
どうやらお寺の事務所みたいなところの中で、物販をしているみたいだ。
出てくる外国人たちがみんな袋を抱えている。
入口はまだ遠くて、何を売っているのかわからない。
「猛も一緒に並んでね。一人一つしか買えないから。」
へー。そんな限定グッズなんだな。
だんだん入口が近づいてくる。
「一人一個でお願いします」というような張り紙がしてある。
同じ意味なんだろうけど、なんだか怪しげな英語も書かれている。
列が進んで、事務所に入りかけたところでわかった。何と、猫グッズだ。
「これ、みんな猫に並んでるの?」僕は驚いて聞く。
「そうだよ。、みんな、豪徳寺に招き猫を買いにきているんだよ。」
あゆみが答える。
小さなものから大きなものまでいろいろ並んでいる。当然、大きいものは高い。
前に並んでいる外国人たちは、身振り手振りや、表を指さすなどして何が欲しいとか言っている。
お寺の人も手慣れた感じで、「これとこれね~2400円」という感じで、日本語で返事している。あとは電卓で価格を見せている。これなら間違いないね
「ここの招き猫は、小判を持ってないんだよ。」あゆみが教えてくれる。
そういえばそうだな。ここで買ったってわかるようにしてるのかな?
結局大き目の招き猫と、キーホルダーを買った。 意外に高いな。
海外の神社仏閣とかは結構QRコードでお賽銭払うくらいキャッシュレスなんだけどね。まあそこは億人柄もあるだろう。
「この猫、どうするの?」僕はあゆみに聞く。
「もちろん持って帰るよ。これで、願いがかなったら、猫を奉納しにくるんだよ。」
何だか普通っぽい。
お札を納めるのとかと一緒かな。
「じゃあ、お参りに行こうよ。」あゆみがそう言って、僕の手を引いて進む。本堂らしいところを越えていくと、おなじみの、鈴のついたヒモが上から垂れている。お参りの際に鳴らすやつだ。
僕らは、手押しのポンプ井戸で手を清めてから、お賽銭を投げ、鈴を鳴らしてお参りする。
何を祈ったかは秘密だ。
「お参りも済んだし、帰ろうか。」僕は言う。
「何言ってるの。これからよ。」あゆみが僕の手を引いて、奥に進んでいく。外国人たちもそのルートだ。
「ほら」あゆみが言う。
驚いた。
大小たくさんの招き猫が並んでいる。
100や200では利かない。何千とあるんだろう。
とにかくたくさんだ。
すべて、ここの招き猫のようで、小判は持っていない。
多くの人たちが写真を撮っている。なるほど。これは外国人受けするわ。
インスタ映えする場所だ。
この招き猫の列は、そこだけではなく、お堂を回った横にも、また後ろにまで並んでいた。
これだけ売れるなら、それは儲かるな。坊主丸儲けだ。
お寺には三重のと塔があったらり、お参りしたところよりずっと大きな建物があったりする。
ここは都会の喧騒など聞こえず、とても静かだ。広いので、人の声もあまりひびかない。遠くでウグイスの声さえ聞こえる。ここは東京なのか?と思えるような場所だ。
そのあと僕らは井伊直弼のお墓も行った。 ここは曹洞宗の禅寺で、江戸時代の井伊家代々の墓が別々にある。
墓と墓の間にスペースがゆったりある。
「さっきの住宅地とずいぶん違うよね。」あゆみが言う。
まあ死んだ人が喜んでいるのかどうかはわからないが。むしろ、子孫の人たちは全部の墓掃除、大変だろうな、なんて思う。
お墓が少ないのは、猫で儲かってるから新しい墓を受け入れないためかもな。
墓参りして戻ると、さっきの行列はものすごい長さになっていた。
「早く並んで正解だったね。」「本当にね。」僕とあゆみは笑顔で言い合った。
そして僕らはゆっくりと歩く。
参道の入口で、外国人の家族の写真を撮ってあげた。
行きと同じ道を戻り、豪徳寺の商店街の店で軽く食事をし、同じルートで僕の部屋に戻った。
招き猫を出して、あゆみが言う。
「猛、この子に名前をつけてよ。」
「え、僕が?あゆみがつけたらいいじゃん。」僕は驚いて答える。
「だめ、この子は、これからこのうちの子になるんだから、主(あるじ)がつけないとね。」
「え?そうなの?」寝耳に水だ。
だけど、こんなときのあゆみは絶対に折れない。それを知る僕は猫の名前を考える。
「タマとかミケとか?」
「三毛猫じゃないからミケはないでしょ!タマもなんだかな~」あゆみが突っ込む。
「招き猫だからマネコとかマキコとか」
「センスないな~」僕もそう思う。
「じゃあ、さくらとか。」僕が言う。桜が咲き始めるころだし。
「猛がほかの女の子に手を出したくなりそうだからダメ。」
「何それ?」「さくらって女の子を口説くつもりでしょ?」 むちゃくちゃだ。
「じゃあ、エカテリナとか」とりあえず外国の女王で。
「この子、和猫よ。和風にしないと。」
「じゃあ、マコ。招き猫の最初と最後を取った。」やっぱり女の子の名前になってしまう。
「まあ、そうしましょう。あなたの名前はマコよ。マコちゃん、猛にかわいがってもらいなさい。」 あゆみはマコと名づけられた招き猫に向かってそう言った。
僕は、「マコ」という名前の女の子には絶対に近づかないぞ、と誓った、最愛のあゆみに疑われたくはないからだ。
「そろそろ行かなきゃ。また、マコちゃんに会いにくるからね。」
そうか。僕はそこでわかった。。
あゆみは、僕の部屋に来る口実がほしかったんだ。
このマンションではペットは飼えない。かわりに招き猫を置いたんだな。マコに会いにくるという口実ができれば、来やすいから。
そんなことをしなくても、いつだって来てほしいのに。僕は思う。
僕は、招き猫のマコの手を見ながら思う。
(僕とあゆみが、お互いに社会人としておちついて、結婚できますように。そういう運を招いてくれよ、マコちゃん。それが叶ったら、もとのお寺に返してあげるから。)
でもそれで終わらない。
(そうしたら次の招き猫を呼んで、子供ができるようにお願いするんだ。女の子とと男の子。
生まれるたびに新しい猫を迎えよう。そして、娘が結婚するときに、新しい猫を持たせてあげるんだ。僕は娘の花嫁姿に泣くのかな…)
「猛、もう行くよ。」あゆみが僕の空想を止めた。
僕は、あゆみを抱きしめ、優しくキスをする。
「またね」のキス。さよならのキスじゃなくて、「またね」というキスだ。
これも、いつの間にか決まった二人の約束事。
「豪徳寺、よかったでしょ。」あゆみがいう。
「ああ、最高だったよ。」僕は答える。
そしてあゆみは帰っていった。
僕は招き猫のマコにお願いする。「マコ、またあゆみを招いてくれよな。」
招き猫の手が、ほんの少しだけ揺れたような気がした。
===
お読みくださって、ありがとうございます。
作者と脳内彼女、じゃなかった、猛とその恋人、夢野あゆみの日常を書いていこうと思います。
場合によっては非日常が起きるかも。
よろしければ、ハート、★、コメント、レビューなどいただければ嬉しいです。
励みになります。
袖すりあうも他生の縁。
情けは人のためならず。
よろしくお願いいたします。
なお、Let's 豪徳寺、というフレーズがわかる人はきっと若者ではないでしょう。
」
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