骸層宮 遥か昔のエピローグ

由甫 啓

第1話 胎動

 その日、この世界に大きな変革が起こった。明確な予兆はあった。それは季節柄を無視したような気温や天候であり、言うなればオカルティズムめいた内容も含む様々な異変が多岐に渡り、しかしそれとなく世界に警鐘を促していたのだ。


 幾多の隕石が地球の表層に降り注ごうとしている——そんなニュースが世界を駆け巡ったのは三月も半ばのことであり、それ以降世界を横断するネットワークという情報網は一切の機能を失うこととなる。


 世界各国、あらゆる機関が直前の、正に決定的な一打を受けるその寸前になるまで隕石の接近に気付かなかった——気付けたところで為す術なく防ぎようもない恐るべき災害が地球に飛来したのは、日本時間においてまもなく午後に差し掛かろうという時のことである。


 ありとあらゆる機関がその接近を捉えるに至らなかったこの隕石群であるが、大気圏を越えてなお子供の拳ほども残らないだろうと考えられていた。大きな被害を地表に齎すものではないと見積もられ——こればかりは学者や研究者が責められるべきではないだろう——その接近を事前に察知出来ていなかった件について、計器を狂わせる何かが隕石群にあるのではないか、隕石が密集したことによって計測が困難になっていたのではないか——そんな推測ばかりが専門家達の間を行き交い、それが全くの見当違いであったと気付くのにそう時間は掛からなかった。


 隕石群は捕捉されて、数時間と掛からずに地球へと飛来した。音もなく、ただ光の塊としか形容のできないそれは大気圏にて形状を変えることなく甚大なる姿形のまま余すことなく地表へと衝突することとなる。


 三月にしては冷え込むその日、高校の制服に身を包んだまだ青年というには顔たちの幼なびた男が独り、卒業式にも出ず歩いていた。


 男の名前は塞野啓。平均的な身長であるが、その体は華奢で可愛げのある顔であるが少し憂いのあるその表情には妙な艶がある。女だけではない。同性でさえも思わず目で追いかけてしまうような危うさが彼にはあった。


 そんな塞野であるが数日前より体調が優れず、卒業式という生涯に数度しかない催し事であるからと無理をして出てきていたのだが、朝方に出た件の隕石に関わるニュースが卒業式特有のしめやかさを損ない、祝辞にまでも隕石落下の話題を盛り込まれる始末で、気分の優れなさに加えそういった場を汚すような空気感が塞野には不愉快で堪らなくなって途中で抜け出した次第である。


 ここ数日間、頭が重く塞野は何か落ち着かない気持ちであった。卒業を前にしてナイーブな心根になっているのだと考えていたが、学校を飛び出した段になってそうではなかったのだと塞野は敏に感じていた。陽が上がるにつれてその予感のようなものはより一層強くなっていく。


(——これから何かが起こるんじゃないか。決定的な何かが……そんな、恐ろしさが……ああっなんて苦しいのだろう!)


 緊張感を孕む、最早危機感といってもいい予感に塞野は居ても立っても居られない。息をするだけでも疲労するような圧迫感に塞野は辟易とした。

 うなじの辺りがピリピリとして落ち着かない。まるで殺人鬼がそこいらに忍んでいるぞと言われでもしたような、今正に自分の命が直接的に脅かされているようなそんな気配が纏わりついてくる。


 自らを取り囲まんとする異様に慄くのは塞野だけではない。

 風は気付かれまいとその声を顰め、鳥や猫さえも巣穴と定めたところからぴくりとも動かなかった。

 ただ石のように身を固め、見逃されることを祈るように未曾有の災害へと身構えていた。


 平時とは異なる帰路に、足取りが止まりそうになるのをぐっと堪えて塞野は歩く。

 常ならざる雰囲気は自らの体調不良によるものであると断じて、何もおかしなことはないのだと自分に言い聞かせて塞野は歩いていく。


 その道のりに、塞野を除けば人影ひとつない。

 青信号にも関わらず走り出さない車も、なにも不自然なことなどない。

 コンビニのドアが開閉を繰り返すのは隕石とやらのせいで。

 店員が蹲るように座り込んでぴくりとも動かずにいるのはきっと品出しをしているからに違いないのだ。

 警鐘のように心臓が跳ね上がって煩くて、いっそ止まってくれと塞野は零した。


 高揚感といっても差し支えない落ち着かなさは尋常ではなく、家に着いた頃には叫び出したくなるような、どうしようもない焦燥感が心を支配していた。


 震える手で鍵を取り出して、鍵穴に差し込む。たったそれだけのことに労力を感じるほど塞野は参っていた。鍵を開け、玄関に体を滑り込ませた丁度その時である。


 塞野は絶叫した。これだったのだと。ここ数日の落ち着かなさは過分なく予感であり、正しい感性であったのだ。


 塞野だけではない。

 あちらこちらから。

 隣の家からも、家の中からも。

 犬が。

 猫が。

 鳥が。

 虫が。

 この世界を構成する全てのものが。

 絶叫した。


「あっあっ!」


 空が、落ちてくる。

 堕ちてくる。

 いや、その逆であったのかもしれない。

 大地こそが競り上がり、空を迎え入れいるような——。


「う、うあああ!」


 それは光であった。

 どうしようもなく眩く、目が眩んでしまう。それほどまでに真白く圧倒的な質量を伴った何かが世界を押し潰さんとしているのである。


 塞野は目を逸らすことが出来なかった。余りにも恐ろしく、差し迫った危険であるから、目が焼けるほどに眩くとも、逸らすことなど出来なかった。


 世界中の人間だけではない——この星に生きる全ての生き物を数えたとして、一体どれほどが目にしただろうか。

 恐れに震えながらも、神の如き威光を前に何人が顔を上げていただろうか。


 塞野は、確かに目にしたのだ。

 光の塊としか形容できない隕石であり、隕石ならざるそれが地表上に存在する全てをすり抜け地球の内部へと入っていくのを。


 光は一瞬にして地球の中に滑り込み、刹那に地球は一瞬にして爆発的な光の奔流へと飲み込まれた。


 その日、すべての生命体がその活動を終えた。

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