彼女たちに部屋貸します
植木丈晴
第1話 VR女
大学一年の九月。爺ちゃんから書類と手紙が届いた。
爺ちゃんは俺がまだ小さいころよく遊んでもらっていた。だが五年前に親父が死んでからは、ほとんど音信不通だった。
内容は「しばらく旅に出る。探さないでくれ。保有しているアパートは、俺に生前贈与する」ということが書いてある。
アパートを持っていたとは初耳だった。それに急に旅にでるなんてどうした? と突っ込むところだろうが、バイクで日本中を旅していた爺ちゃんのことだ。納得するしかなかった。
間取り図を見ると、アパートには管理人室があった。
たまに爺ちゃんが出入りしていたらしく、手紙には必要最低限の洗濯機や冷蔵庫は揃っている、住んではどうかと書いてある。
住所を調べると、通っている大学からそう離れていないし、不労所得がもらえるかもしれない。
俺は棚から牡丹餅だと喜んだ。
しかし、相続の代理手続きをする司法書士の話を聞くと、築四十年以上のボロアパートらしい。
残っていた改修工事費の借金返済、補修修繕費やらが必要になるからと、母には相続を反対された。
でも俺は相続することに決めた。
自分のアパートを自分で経営できて、そこに住める。それだけで、退屈な日常に飽き飽きしていた俺は胸を躍らせた。
家族は母と妹だけ。貧乏で、大学は奨学金を借りて行っている。
家賃収入で実家に援助ができるならしたい——
……まあ、そのアパートが【女子学生】限定賃貸だったと目ざとく見つけたからってのは、断じて関係ない。
これからオーナー兼管理人となるのに邪な下心があるなんて断じてない! 絶対だ!
爺ちゃん、ありがとな。
相続の手続きは司法書士に任せ、一週間後にはアパートに引っ越すことにした。
衣類などの大きな荷物は宅配便で送り、秋晴れの下、オンボロバイクで向かった。
最寄り駅の近くは栄えているが、アパート近くまで来ると田んぼ混じりの景色になる。
のどかな風景の中を進み、アパートが見えてきた。
塀には聞いたことのない怪しい政党ポスターが張られていて、なんだか場末感が漂う。
表札には「パメラ荘」と銘打ってあり、予想以上にボロい。だが今日から俺の城なんだという気持ちを持つと、胸が高鳴る。
建物は平屋の木造アパート。平屋で、一階に五部屋が横一列に連なっている。
女子学生の住人達にもあいさつしなきゃな。一体どんな人たちなのだろう。
バイクを停めて、一番左端にある管理人室の鍵を回し、ドアを押し開けようとする。
ガタッという音と共に、肩がドアにぶつかった。
「元から開いてた?」
違和感を感じつつ、もう一度鍵を逆に回し今度はドアが開いた。
管理人室の中は薄暗いが結構広い。玄関の横にキッチンがある。そこに隣接して縦長の居間があり、ちゃぶ台がお置かれている。居間の奥の左側には和室もあるはずだ。
古さは感じるが、住むのには問題はないようだ。
「はっ! はっ! おりゃ」
おかしい……若い女の声が聞こえる。
よく見ると居間の奥で、VRゴーグルを掛けた黒いロングヘアーの美少女がいた。スポブラ姿で軽やかにステップを踏んでいる。
テレビ画面には相手の黒人ボクサーが映っていて、パンチを繰り出しながら女と激戦を繰り広げていた。
女はガードを固め、息を漏らしながらパンチを繰り出している。
顔は見えず、俺に気づいていない。
俺はそいつの姿を、まじまじと見た。
肌は白く、目を奪われるような完璧なボディライン。ウェストは健康的に引き締まっているが、大きく豊かな胸と尻は、ステップするたびに上下に弾んでいる——
——夢中で見惚れていたが、ふと我に返る。
俺はもしかして部屋を間違えた⁉
女子学生の部屋に、就任初日の管理人が不法侵入をして逮捕。それはダメだ! 俺は今の状況に危機感を覚え、バレないよう部屋の外へと逃げた。
結局女はゲームに夢中でバレなかったようだ。
胸をなでおろし、冷静にもう一度部屋番号と、持っていたアパート全体の建築図を確かめる。
管理人室はアパートの入り口から向かって一番左端。やはりさっき入った部屋が管理人室。
そもそも管理人室は他の部屋より二倍以上広いから間違えようがない。
じゃあ、あの女は何なんだ?
……考えても埒が明かないので、もう一度管理人室に入る。
今度は堂々と、足音を隠さず入ったからだろう。相変わらず黒人ボクサーと戦っている女は、こちらの存在に気づき話しかけてきた。
「あ、ユヅキ? いつの間にいたの? おりゃっ! あとちょっとで、このチャンピオン倒せそうなのよ!」
嬉しそうに語る女だが、VRゴーグルで見えないから他人と勘違いしている。
俺は緊張したが、覚悟を決めて女に話し掛けることにした。
「あのー、すみません……ここに越してきた管理人なんだけど、どちら様ですか?」
「え、待って? ゲームの歓声がうるさくて聞こえない」
女が俺を向いてそう答えた瞬間、足元に転がってたペットボトルを踏んで、足を滑らせた。
倒れかけた先にはテレビ台がある!
「——あ、危ないっ!」
「きゃっ!」
俺は夢中で助けるために女に駆け寄り……気づいたら床に押し倒していた。
VRゴーグルが外れ、俺を見上げる女の顔が見える。
完璧な美人だった。艶のある長いストレートヘアは、床に咲く花のように広がっている。
どこかまだ幼さが残る顔。長いまつ毛の奥にある黒い瞳は、困惑と驚きで揺らめき、美しい。
唇から漏れる吐息が鼻先に暖かく吹きかかり、豊かな胸が呼吸と共に動いている。エロい。
俺は合わせた目を離すことができず、見つめ続けていた——
……いや、この状況はやばい!
我に返った俺は、苦し紛れに釈明を始める。
「びっくりさせてすまん! えっと。これは押し倒したんじゃなくて、アクシデントで、その……」
言い終えるのを待たず、彼女は驚きの顔から、怒りと恥ずかしさの混る表情に変わり——
「やめてっ‼」
みぞおちを女が殴ってきた。
「ぬぉええっ!」
ボクシングのゲームをしていただけはある。重い一撃だった。
俺は痛みで身動きが取れない。その隙にスポブラ姿の女は、外に走り去った……
考えれば当然だ。VRゲームをしていたら、突然押し倒され、
目の前に見知らぬ男が覆い被さっているのである。
しかし、それは勘違いだ! 釈明せずに終わらせてはいけない。
女の足音は外廊下を伝い隣の部屋で止まった。
「ユヅキー!」
彼女は涙声で、隣人であろう名前を呼び駆け込んでいった。
「ちょっと待ってくれ……」
ふらつきながら俺も逃げた女と同じ足取りを辿り、隣室のドアにたどり着く。
「ユヅキ、知らない……知らない男がいきなり部屋に入ってきてね……私を押し倒してきたの。怖かったぁ!」
中でさっきの女が、泣きながら話す声が聞こえる。困った展開になった。あの女だけに勘違いされるならまだしも、他の住人も巻き込むことになったら一大事だ……
殴られたせいで吐き気を感じながら、俺は説明するため隣の部屋のドアまでたどり着いた。
チャイムを鳴らして呼び出すと、もう一人の住人らしき美人金髪ギャルが出て来た。
両手で源五郎と書かれた、4Lくらいあるペットボトル焼酎を大事そうに持っている。
「誰だてめぇ?」
ギャルは酒に酔っているようで、俺を鬱陶しそうに睨んでくる。
見た目は大人びていてクールな印象だ。一見スレンダーだが出るべきところは出ていて……
いやいや、今はそれどころじゃない。
「俺は引っ越してきた新しい管理人だ! 驚かせてすまない! さっき逃げて来た女性は勘違いしてる」
俺が必死に説明すると、ギャルの後ろからVR女が出てくる。
「あぁー! こいつよ、ユヅキ! この男が勝手に入ってきて私を押し倒したの!」
ギャルがじろりと俺を睨む。
「てめぇがうちのアヤメを泣かせたんだな! ぶっ殺すっ‼」
初対面で殺害宣告を受け、いきなり4L焼酎が飛んでくる。
俺は辛うじて避ける。ペットボトルは大きな音を立てて庭に転がる。
「あぶな、ちょっと待ってくれ!」
「うるさい! アヤメを押し倒すのは事実なんだろ? どう考えても変態だ!」
だめだ、話が通じない。その間にもパンチが何度も飛んでくる。
「すみませんっ! 許してください!」
「おい、こら逃げんな!」
身の危険を感じ、アパートの庭に出て逃げ回るが……
「これは投げられた源五郎の仇だ!」
「どわあああああ!」
追いかけてきたギャルに飛び蹴りを喰らい……俺は御用となった。
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