デバッグルーム#

@takeyuki_muto

第1話

 インターネットが可視化された電脳世界とそこに潜るためのダイブシステムを、電脳世界に住まう電子生命が人類に対して公開してから約1世紀の時が過ぎ、生物として、人類の隣人として認められた電子生命は、社会基盤の一つとなった電脳世界と共に社会に受け容れられた。人類と電子生命の協力によって、電脳世界を現実世界に重ね合わせるように表示する拡張現実システムが作り上げられ、人類は日常を拡張された現実の世界で生活しながら、より幅広い交流の場として電脳世界に潜る日々を過ごしている。


 そんな世界で、依頼を受けて問題の調査や解決を行うことを”趣味”とする男、スメラギは今日もまた、余裕ある生活を送っていた。


「今日も異常なし依頼なし。昼まで二度寝でもするか」


 朝食を食べ終え、そんなことを呟いていた彼の元にインターホンの音が届く。同時に鍵を開けるような音が聞こえて、しばらくすると女性が入ってきた。


「おはよう?スメラギくん?また寝ようとしてるのかい?」

「また勝手に人の家に上がってきて…」


 彼女はナギ。スメラギの学生時代の先輩で、卒業した後も色々と世話を焼いてくれている。


「それでナギ先輩、今度は何の用ですか」

「そんな嫌そうな顔をするな。また、仕事の手伝いをしてほしくてね」


 ナギの言う仕事というのは、電脳世界上に怪物として可視化された不具合やマルウェアなどと戦うデバッガーという仕事だ。


「またですか。まぁいいですけど、目標の情報は?」

「タカアシガニのような姿の不具合らしい」

「タカアシガニ?」

「タカアシガニ」

「脚でも折ってやれば先輩一人でも倒せるんじゃないですか?」

「あぁ、おそらくできる」

「やれよ。いや、じゃあ一人でやってくださいよ」

「寂しい」


 スメラギは言葉に詰まる。寂しいと言われてしまうと困る。生活を心配してくれているのも、腕を信頼してくれているのもスメラギは分かっている。それを分かった上で、自分じゃなくてもいいんじゃないですか?とは、とてもじゃないが言えなかった。


「わかりました。背中は守りますよ。いつも通り」

「一緒に戦ってくれるのか」

「今はコンダクターですから、ダイブして一緒に戦うことはないですよ。分かってるでしょう」

「そうだね。いつもありがとう」

「お互い様ですよ。早く終わらせて飯でも食べましょ」

「そうしよう」


 二人は眼鏡をかける。拡張現実の表示とダイブシステムを搭載した眼鏡だ。ナギは少し前までスメラギが二度寝しようとしていたベッドに横たわり、電脳世界へダイブした。


「拡張現実でダイブを見ると幽体離脱みたいになってて面白いですよね」

「君、毎回それ言うけど、あんまり言うと私も化けて出るよ?」

「ははっ、死なせはしないので化けては出られませんよ」


 電脳世界内部で、何らかの原因によって死亡した場合、意識が現実の肉体に帰って来て目が覚めるだけであり、肉体への影響はない。お互いにそれを理解した上での冗談だ。


「それで、今回の仕事先はどこですか?」

「これ、今回のアドレス」

「じゃあ、いつも通りセキュリティ付きの直通リンク開きますよ。準備いいですか?」

「おーけー」


 確認したスメラギはリンクを開く。すると二人の居る部屋に新しく扉ができる。ナギが扉から出て行った後、スメラギはナギに付けたタグを基準に鳥型のセンサーBOTを追従モードで起動、スメラギの視界に通路を進みながらMODを準備するナギが映る。

 自らをMODと呼ばれるプログラムによって強化・武装することを中心に電脳世界内で戦うナギは、ダイバーと呼ばれるタイプのデバッガーである。これに対してスメラギは、電脳世界の外からBOTと呼ばれるプログラムを送り込み指揮することで戦うコンダクターと呼ばれるタイプだ。


「到着まで3秒、2、1。あぁ…いますね。タカアシガニ」

「デカいから分かりやすいよな」


 スメラギ達の視線の先では、巨大なビルのような建造物が建ち並ぶ空間をそれよりも巨大なタカアシガニが悠然と歩いている。この空間は現実の街並みや空想上の自然などを表現したテラリウムと呼ばれる電脳世界内の空間の一種だ。今回は一般公開前のテラリウムで発生した不具合で問題が深刻ではないために、このテラリウムの管理者と個人的な繋がりのあるナギ先輩に依頼が回ってきたというのが、スメラギが後で聞いたこの仕事の詳細だった。


「とりあえず、戦闘用BOT起動します」


 スメラギがそう言うと、ナギの周囲に複数のBOTが現れる。


『standby…』


 スメラギが好んで扱うチェスの駒をモチーフとしたBOTプログラムだ。その特徴はクラックなどによるコントロール権の奪取が一切効かないことと、高い拡張性をもったポーンの存在である。


「ルークは先輩とビショップを守護、ナイトは速度を活かして陽動に、クイーンは目標がナイトの陽動に食いつき次第脚を攻撃、ビショップは適宜味方の回復、ポーンはしばらく待機。先輩は?」

「私は、あの蟹が陽動に食いついてからルーク達と一緒にはさみを攻撃するよ」


 ナギの装備するMODは、衣服型の防具と銃剣タイプの武器だ。衣服型の防具は、インナー、トップス、ボトムス、アウター、シューズに分かれており、それぞれ基本的な防御能力を備えた上で様々な強化が付与されている。銃剣タイプの武器は遠近どちらでも攻撃が可能な武器で、銃としての性能は本来、牽制程度のものでしかないが、ナギの扱うそれは特殊な改造によって十分な遠距離攻撃性能を有している。


「では鋏の破壊後、特に変化がなければ総攻撃を仕掛けて討伐します」

「わかった。それでいいよ」


 作戦の共有が終わり、スメラギはセンサーBOTの追従モードを切り、全体を見渡せるように飛び上がらせて旋回させる。


「状況、開始します」


 スメラギがそう言うと、周囲のBOTたちも一斉に行動を開始した。

 抜剣したナイトがビル街を歩くタカアシガニの元へ駆けていく。


『slash』


 2体のナイトはそう言うと左右から脚を切りつけ、注意を引くように足下を走り始める。


「撃つよ」『shoot』


 タカアシガニが足下に気をとられた隙をつき、近くのビルの屋上に移動していたナギと2体のルークからの砲撃が轟音と共に鋏を破壊。タカアシガニが怯む。


「現状、目標に変化なし。このまま総攻撃に移行します。先輩は脚の動きに気をつけて、目標の変化への警戒は怠らずに」

「わかってるよ」


 そう言うと、ナギはビルから跳び、巨大化させた銃剣の刃で脚を一つ根元から切り落とした。バランスを崩したのを見逃さず。


『anchor』


 8体のポーンが少し離れた位置から胴体に錨を巻き付け、地面に引きずり下ろす。

 そこからは一方的だった。錨によって身動きを封じられたタカアシガニは、抵抗するかのように僅かに身動みじろぎするものの意味は無く、脚を切り落とされ、胴体の甲殻を打ち砕かれてついには討伐された。タカアシガニの姿が消えてゆく。

 鳥がナギの元に降りてくる。


「普段通り、討伐された怪物が消えていくだけなのに、蟹だと思うとなんとなく勿体ないですね。先輩」

「この後のご飯、蟹食べに行こっか」


 事後処理を終え、現実に帰ってから食べに行った蟹はそれなりに美味しかった。でも、やっぱり蟹を食べるのって面倒くさい。2人はそう思った。

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