ンンロとサボテン 3
【4】
人生初の銃撃戦を経験した後、ンンロから渡された分け前を手に(何の分け前なのかは教えてもらえなかった)超大型デパートで布団一式とテーブルと座椅子と電気ケトル、それにスマートフォンを購入した。
大きな家具は『宅配即ヘル秒サービス』なるものを使った。なにやら特殊な技術で一瞬で自室に送ってもらえるらしい。
また、地獄人は食事をする必要がないが、習慣で食べたくなることがあるというので、いくつかカップ麺も買った。
もろもろの買い物を終え、疲労感を感じつつ2666号室にたどり着き、「ただいまー」とひとりごち玄関扉を開けた。
「お帰りー。酒ある?」
部屋の中から返事が帰ってきた。なぜかンンロが届いたばかりの布団に寝転がっている姿が目に入った。僕は驚きのあまり腰を抜かしそうになった。
「な、なんでいるの?」
「なんでって、これからしばらくここに住むって言ったじゃん」
「え!? いつ? そんなの聞いてないよ」
「はーぁー? あーもう……ほら」
ンンロは大きなため息をつくと、脇にある革ジャンに手を伸ばし、ポケットから1枚の紙を取り出して渡してきた。
地獄の手引きの裏表紙を破いたものだった。
「裏ね」
言われて通りに紙を裏返すと、真っ赤な文字で『血の契約』とでかでかと書かれていた。
曰く、僕とンンロは血の契約というものを結んだらしい。
曰く、契約者はお互いの願いを一つ叶えなければならない。
曰く、契約不履行の場合、地獄の強制労働459日の刑が待っている。
曰く、契約を解除したければ地獄当局に100万ヘルを支払う必要がある。
曰く、クーリングオフはない。
そして最後に、驚くほど達筆なンンロのサインと、かろうじて読める汚さでサボテンとサインされていた。
僕は知らないうちに何かとんでもないことをしてしでかしたのではないか。冷や汗がどっと出てくる。
「あの……これ、本当に僕のサイン?」
「そーだよ。グデングデンで酔っ払ってて一文字書くのにダルい時間かけてたじゃん。嘘だと思うなら自分のサイン擦ってみればー」
焦る僕は、何も考えず言われた通りに自分の名前を指で擦った。
「ウ゛ッ!?」
途端に脳みそが絞られ内臓をかき回されるような不快感が僕を襲った。
「ね? そういうこと。……ちぇ、お酒ないじゃん」
「いや、ウェ……あの、オェェ」
激しい悪心が襲ってきて思わず床にうずくまった。
ンンロは苦しんでいる僕を意に介せず、鼻歌なんかを歌って買い物袋を物色している。
悔しさと怒りが湧いてきたので、震える指でンンロのサインを擦った。
「!?」
頭痛、めまい、耳鳴り、悪寒とほてり、全身の筋肉と関節が痛む。
僕は青臭い胃液を嘔吐して床に倒れた。
「あー、それと相手のサインは触らない方がいいよ。めちゃヤバいことになるらしいから。じゃ、あたしは酒買ってくるから、換気と掃除しといてね」
僕は返事することもできず、そのうちに意識が遠のいていった。
【xxx】
ドゥゥン……ドン……ドゥゥン……ドン…。
暗闇の中。どこかで腹の底に響く重低音が鳴っている。太く重いベースに呼応するように心臓が高鳴る。意識はあるが肉体の感覚はない。上下左右どちらを向いているのかもわからない。 周囲のありとあらゆるところから気配を感じる。が、それらは僕と関わる気がないようだ。
「ヨー」
静かな野太い声が話しかけてきた。誰?
「俺か? 俺はマスター・サボテン・フラッシュだ」
突然、 目の前の暗闇から巨大なサボテンが天井の闇まで延びてゆく。サボテンの大きな口が開く。強い青臭さが周囲に蔓延する。
「俺は今日一日お前を見ていた。全くもってひでぇざまだな」
そういわれると、途方もない悲壮感に襲われ、目から涙が流れた。
キックのテンポが上がる。
サボテンから触手が伸びてくる。先端には注射器を想像させる針が付いている。
「まあそう落ち込むなよ。安心しろ。今からお前もサボテンだ」
スクラッチが狂い猛り次々と空間をチョップ。
直種の針が僕の頭に突き刺さる。冷たい液体が全身に回る。皮膚の裏で何かがうごめく。
「純度100%最高級の天然物だ。ブッ飛ぶだろ?」
身体から力が抜け、僕はマネキンのように床に倒れこむ。脳に電気が走り視界に幾重もの閃光が走る。
マスター・サボテン・フラッシュが覆いかぶさるようにして僕を見た。
「俺達は目標に向けて一直線に伸び、レジェンドになるんだ。もちろんお前もだ。お前はどうなりたい?」
僕のなりたいもの……特にそんなものは……。
「ヘイヘイヘイ、正直になれよ。ここには俺とお前しかいないんだ。……よし、これはサービスだ」
また針が飛んできて、冷たい液体が注入される。受け止めきれなかった液体が目から口から耳からあふれ出る。針が心臓まで伸びて心の奥が暴かれる。
そうだ、僕は……僕の手で、誰かの記憶に刻まれるぐらいの最高傑作を作りたい。
「オーケィキッド……そのためにやることつったらひとつしかないよな」
目の前に紙とペンが浮かぶ
鋭いスクラッチが入りネオンライトが点滅する。
僕はペンをつかみ、紙にぶっ刺した。
紙は爆発して7色の光をばらまいた。
ドゥン! 7色の渦が周囲を泳ぐ。光が一本の線となり脳に突き刺さる。
ドゥン! 49色の渦が空気に混ざり全身から染み込んでくる。
ドゥン! ありとあらゆる色の渦! 目玉が爆発し! 鼓膜が割れて! 僕は世界に溶ける。
「かませ! ハハハハハ! 俺はいつでもお前の中にいるから安心しろ!」
不協和音が鳴り響くと、音が光が気配が全てが凍り付き、地面に落ちて割れた。
水平線まで延びるヘルマンションと空に浮かぶ青い月を眺めていると、背後で玄関扉が開く音が聞こえた。ンンロが両手に推定酒がパンパンに入った袋をぶら下げていた。
「ただいま。なんかすっきりした顔してんね」
「そうかな? なんだかいい夢を見た気がするんだ」
気絶から回復した後、苦しみが治っていただけでなく、驚くほどの活力と高揚感が体内を駆け巡っていた。思考はクリアで、何でもできるような無敵間を感じていた。
「あっそう。サボテンも飲む?」
どうでもよさそうな顔で差し出されたお酒は断った。今はただ吹き込んでくる風が火照った体に心地よかった。
しばらく各々の時間を過ごしていると、唐突にンンロが口を開いた。
「あのさ、契約の件なんだけどさ。裏技を使えば実はまだ取り消せるんだよねー」
「あ、そうなの」
「そーなの。やっぱ取り消す?」
僕はほんの少しだけ考え、
「いや、契約はそのままでいいよ」
と答えた。
ンンロはわずかだが驚いた表情をつくった……気がした。
僕自身、なぜ断ったのか分からなかった。
ンンロがこちらを向いた。元のけだるそうな表情に戻っていた。
「契約内容はちゃんと読んだよね? あたしの願いは──」
「僕はンンロがヘルバイトのトップに立つための手を貸す。またそれまでの軌跡を書き記して伝記にする。僕は……いや、僕もンンロと一緒でトップの景色を見てみたい」
「ふーん?」
「だから僕にここでの生き方を教えてほしい」
「ふーん……?」
ンンロは頭をかいて腕を組み天井を見た。それから僕を見た。
そして、
「おっけー。契約成立ね」小柄な手を出してきた。
「よろしく」
僕はこれから先降りかかるであろう困難への覚悟を決めて彼女の手を握った。そしてすぐに振り払われた。
「えっ?」
「挨拶はこうやんの」
僕の手をつかみ、手のひら同士を叩きあい、手の甲同士で叩きあい、グーパンチを合わせた。
「それじゃ、今後ともよろしく」
ンンロがニヤリと笑った。
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