第4話 さよならを覆して
森の中は、しんと静かだった。鳥の声や虫の羽音など、耳をすませば聞こえてくる音も、いつの間にか木々へ吸い込まれてしまっているように感じる。
来た道を戻りながら、隣に目を向ける。そこにいるのは、人の姿に変化して、聖職者から借りた服を着ている、涼八だった。瀕死の状態から回復したけれど、ぼんやりと空を見上げている。
「どうしたの? まだ、気分が悪い?」
心配になって声をかけると、彼ははっとして、こちらを見てから微笑んだ。
「いや、君のお陰で、魔力は安定しているし、体調はここに来た時よりも良いくらいだよ。ただ……」
「ただ?」
「いつか、こんな風に君とこの森を歩いたことがあるような気がして」
そのことね、と、今度は私が微笑む。さっきまでと違って、私よりも小さい涼八の頭を撫でる。借りた服は、彼にとって大きくて、裾や袖口は折り曲げていた。
「かつての『あなた』が、この瞬間を予見したのよ」
「……うん、君が言うのなら、そうなんかもしれないね」
まだ少しだけ、神木と繋がっている私の言葉に、涼八ははにかみながら頷いた。
聖堂の大広間で、私は涼八の魔力を一生懸命底上げして、彼は自分の傷を治すのに注力した。そうやって、背中に刺さっていた数本の聖槍を、涼八の再生力だけで押し上げて、抜くことが出来た。
傷も塞がり、魔力も安定してきた涼八は、人の姿に変わるために、しばらく背中を向けていてほしいと言われた。私としては別に構わなかったけれど、まだ裸を見られるのは恥ずかしい様子だ。こちらが譲歩して、外から聖職者の服を借りて、彼に渡した後はずっと見ないようにしていた。
広間から出てきた、人の姿の涼八を見て、扉のすぐそばで待っていた複数の聖職者たちは酷く驚いていた。本当に、人に魔のものが取り憑いていたのかと。
涼八の目が赤いことは、魔に取り憑かれた後遺症だと押し通して、私たちは聖堂を後にした。今は、こうして二人きり、森を歩いている。
「何となく気付いていたけれどね、神木に、私たちのソウルメイト関係を解消してもらおうと直談判しに来たんでしょ?」
「う、うん……」
顔を覗き込むと、涼八は気恥ずかしそうに目を逸らす。でも、正直に話してくれた。
弾かれることも覚悟していたのに、思ったよりもあっさりと、気根の内側、聖地の中に入れて、涼八は拍子抜けした。もしかしたら、神木が自分の言葉を聞き入れてくれるかもしれないと期待しつつ、霊体のまま森へ向かう。
森の中の聖気はやはり悪魔には毒で、涼八は胸やけのような気持ち悪さを抱えながらも、神木のいる中心地へ歩いていた。途中、数人の聖職者が道を駆けていくのを見かけて、慌てて木陰に隠れる。
聖職者たちは、槍や剣を持っていて、遠目からでも殺気立っているのが分かる。自分の侵入に気付いたのだろうと、涼八は木陰で息を潜め、やり過ごそうとした。
さいわい、彼らは涼八の正確な位置を把握していないようだ。右往左往する人影を見ながら、このまま諦めてほしいと願っていた涼八は、ふと、左手の手の甲を掻こうとして、ざらりとした手触りに驚いた。
咄嗟に右手を見ると、白い毛が生え始めていた。思わず悲鳴が口から出てしまい、それを聞きつけた聖職者たちの足音が背後から迫る。涼八は、その場から転がるように走り出した。
別の姿に変わるのは、自分の意志で自在にできるはずなのだが、駆けながら、何度も戻ろうとするけれど、変身は止まらない。あっという間に体中に白い毛が生えてきて、服を破きながら、身体も肥大していく。マフラーを破かないようにと、解いて捨てるのが精一杯だった。
せめてもの足止めにと、涼八は後ろを向いて、長く息を吐いた。地面が凍り付き、聖職者たちが立ち止まる。早く、聖地の外へと速度を上げたところで、投げられた一本の槍が、彼の背中を突き刺した。
鋭い痛みと、魔力が浄化されていく感覚に、身体が動かせなくなる。その間にも、次々に槍が刺さる。苦しみと絶望感の中で、しかし、涼八は一筋の光のような、安心感を見出していた。
「ああ、自分はここで消滅するんだ。だから、もうこの先のスターチスの魂は、悲しい思いをせずに済む……。急に変身してしまったのも、神木の意志によるものだとしたら、僕はそれを喜んで受け入れよう、と……」
そこまで行って、涼八は苦笑した。きっと、話を聞いている私が、その瞬間に居合わせているかのように、辛い表情をしていたから。
「でもね、気を失う直前に思ってしまったんだ。最後に、スターチスに会いたかったな、ってね」
「だから、私はここへ導かれたのよ」
最後の試練の全貌を思い、私はそう呟く。涼八も照れ臭そうに後頭部を掻いていたが、ふと、真面目な顔になって尋ねた。
「だけど、もしも、僕がスターチスとの再会を望まなかった、このまま浄化させれたのかな?」
「大丈夫よ。一万年余り、私たちはそんな風にさよならを覆し続けたのだから、神木もこの試練を乗り越えられると、信用していたからね」
「そうなのかな」
半信半疑で首を捻る涼八に、私は力強く頷く。今はもう、記憶として薄くなり始めているけれど、一万年間の私たちが、何度も出会って愛し合って別れてを繰り返してきた二人が、背中を押している、そんな確信があった。
私は感慨にふけっているけれど、涼八は現実に戻っているようで、「僕がいなくなってから何日経った?」と不安そうに尋ねてきた。
「丸々三日ね」
「そんなに? みんな、心配しているだろうなぁ」
「ブラッドベリさんも、血相を変えていたわよ。捜索部が動いているって、話していたわ」
「話が大きくなっているね。申し訳ないな……」
「それくらいのことをしたのよ」
大騒動に困惑している涼八を見て、少し呆れてしまう。今回の聖地へ赴いての直談判もそうだけど、向こう見ずなところがあるから、もっと自分を大切にしてほしい。
こちらの心境を知ってか知らずか、涼八は、私のことも心配そうに見てきた。
「スターチスの方はどうなの? ここに来たってことは、記憶が戻ったのかな?」
「……実をいうと、戻ったのは、分霊だった頃の記憶で、『スターチス・クリムト』としての記憶は、まだ完全に取り戻したわけじゃないの」
「え? 本当に大丈夫なの?」
「もちろん。これから、少しずつ思い出せるから……」
急激に不安がる涼八を安堵させようと、私が知っている情報を教えかけたところで、急に背後から風が吹いた。
それは、とても強い一陣で、それなのに、温かく、私のことをぎゅっと抱きしめてくれるように、優しく……。
「さよなら」と、言っていた。
急に、泣きそうなくらいに悲しくなった。今のは神木からの別れの挨拶だ。そして、今、完全に私と神木を繋ぐ糸は切れてしまった。
何の前触れもなく、親と繋いでいた手を放されたような出来事だった。何も考えられずに呆然と立ち尽くす私を、目の前の涼八が覗き込む。
「スターチス?」
「……ううん。何でもない」
涼八を心配させないように、笑みを作る。そして、また彼と並んで、歩き出した。
心の中で、「またね」と応えた。私の魂と涼八の魂の間で、何度も交わされた挨拶。パピリオの故郷の村の別れの言葉。それを神木にも言うことで、遠い遠い未来でも、いつかここに帰ってくるよと約束する。
「早く帰って、ブラッドベリさんやレイン先生を安心させましょう」
「そうだね。あ、先輩たちに、何かお土産を用意しようか?」
「そういうのは、また次の機会にしようよ」
どこかとぼけた涼八の言葉に苦笑しつつ、そうだ、私たちには次があるんだと思う。今度は、二人で一緒に旅行したいなと。
そうして、「私」は、スターチス・クリムトは、「あなた」と、谷崎涼八と、まだまっさらで、幸せな未来へ向けて、歩み続けた。
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