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【スポット1】

 名古屋鉄道聚楽園駅の駅前ロータリーを抜け、聚楽園公園へと繋がるスロープを進むと、遊歩道の交わる少し開けた場所に出る。

 左には下り坂、右には上り坂、そして、正面には大仏の正面へと繋がる上り階段がある。

 右手に持ったスマホの画面に目を落とす。

 2024年8月14日、午前8時53分。

 約束の時間までは、残り7分。

 私は迷わず、正面の階段に足をかける。

「――ねえ」

 刹那、背後から声を掛けられる。

 声の主は、水色のランドセルを背負い、白い服を身にまとった少女であった。

 迷子であろうか?

 私は、少女に向き合いしゃがみ込み、声を掛けようとした。

 だが、

「ヒィ……」

 と小さく悲鳴を上げることしかできなかった。

 その生気のない眼球と目が合った瞬間、私の視界は暗転した。


 視界が戻ると、目の前には、フェンスがあった。

 フェンスの先には崖があった。

 崖の下には、線路を挟んで、所々から白い煙を上げる工場が広がり、その先には海が、そしてその先にはアルファベットのAの形をした大きな橋と高層ビルが小さく見えた。

「ここは……?」

 振り返ると、左手には大仏があり、正面には陽光に照らされた、満開の桜樹があった。

 私は咄嗟に、スマホを見る。

 2015年4月1日、午前8時53分。

 その表示を認識した直後、私の視界は再び暗転した。


 視界が開けると、知らない天井が見えた。

 清潔感はあるが、どこか古臭さを感じる、白い天井であった。

 慣れた手つきでリモコンを操作し、ベッドを起こす。

 窓を隔てた向こう側では、桜が見頃を迎えていた。

 桃色の桜に、灰色のアスファルト、茶色の図書館に、抜けるような青色の空……。

 ガラスの向こうは、美しい色に溢れていた。

 窓から見える、限りの有るその景色の中を、数多の色が出入りしていく。

 その中で、家族と談笑する少女が背負った水色のランドセルが、なぜだか一際目を惹いた。

 私は眼を惹く理由を知りたくて、身を乗り出そうとした。

 だが、

「痛っ……」

 それを拒むかのように、腕に痛みが走る。目を凝らすと、腕には針が刺さっていた。

「えっ……」

 その針を認識した瞬間、心臓や肺に激痛が走る。

「痛い痛いイタイ痛いイタイイタイ痛いイタイ……」

 痛みに絶叫しているはずなのに、耳から自分の声が聞こえない。

 喉が狭まり、呼吸が浅く、早くなる。心臓が異常なペースで鼓動を刻み、視界が段々と暗く狭まっていく。

 薄れゆく景色の中で、私は必死に助けを求め、視線を動かす。しかし、そんな足掻きも虚しく、私の視界は、三度暗転した。

 最後に瞳に映ったのは、間近に置かれた、水色のランドセルであった。


「私が一番長く過ごした場所は、壊れて無くなっちゃった……」

 真っ暗な視界の中で、そう小さく呟く少女の声が聞こえた。

「それは一体どういうこと?」

 私は、そう少女に問いかけながら、ゆっくりと目を開いた。

 視界が戻ると、そこに少女の姿は無かった。


 一抹の寂しさを紛らわすように、私はスマホの画面に目を落とした。

 2024年8月14日、午前8時54分。

 友人との約束を守るべく、私は再び階段に足を掛けた。



【スポット2】

 大仏の顔を正面に捉えながら、階段を進む。

 もう一息で階段の頂上、大仏の正面へでるというところに、一対の仁王像が立っている。

 その姿を確認し、私は再度スマホの画面に目を落とす。

 2024年8月14日、午前8時55分。

 約束の時間まで、残り5分。これなら約束の時間に間に合いそうだ。

 安堵しながら、顔を上げると、目の前には学生服を着た男性が立っていた。

 嫌な予感がしたため、私は、男性を避けて先に進もうとした。

 だが、その動きを察してか、男性は私を遮るように歩を進める。

 右へ左へ、時にフェイントを掛けながら、私は男性をかわして先に進もうとする。

 だが、それに合わせて、男性は私の進路を妨害する。

 私はちらりと、スマホを見る。

 2024年8月14日、午前8時56分。

 このままでは、埒が明かない。

 私は意を決して、男性の顔を見た。

「ヒィイ……」

 生気が一切感じられない男の顔は、水風船のようにぶよぶよに膨れていた。

 腫れあがった皮膚の間から、わずかに覗いた光の失せた瞳と目が合うと同時に、再び視界は暗転した。


 視界が開けた感覚はあったが、私は何故か暗がりの中にいた。

 不思議に思い、手元のスマホを確認しようとした瞬間、耳をつんざく轟音が鳴り響き、まるで突き飛ばされるように前方へ身体が押し出される。

 フェンスに打ち付けられた私は、段々と闇に慣れてきた目を凝らして、フェンスの先の景色を確認する。

 線路や道路だったと思われる場所は、川のように大量の水が流れ、屋根の瓦が一枚また一枚と空へと飛び上がる。

 その風景に、私はどこか見覚えがあった。

「まさかね……」

 私は、ゆっくりと後ろを振り返る。左手には闇の中でも分かるほど巨大な大仏が佇み、右手では木々が暴風で右に左に揺れていた。

 視線を落とし、スマホを見る。

 1959年9月26日、午後8時56分。

 日時を確認し、私の視界は暗転した。


 眼を開くと、屋根の上にいた。様々なものが流れていく、冠水した道を見ながら、ただただ助けを待って縮まっていた。

 待つこと、数十分。周囲の屋根の人々が、突然騒ぎ出した。

「助けが、来たのか……?」

 期待に胸を膨らませ、顔を上げて、耳を澄ます。

 だが、現実は非情であった。

 風雨の音に交じり、地鳴りのような低い音が近づいてくる。それらの音に交じり、誰かの叫ぶ声が、微かに耳に届いた。

「堤防が崩れたぞーッ!」

 その声を聴いた直後、濁流が屋根のすぐそばまで押し寄せる。

 大量の水が、木々や電柱を薙ぎ倒し、車や家財を押し流す。

 後退りしながら、その光景を呆然と眺めていると、男児が水面でもがいいるのを見つけた。男児は、よく挨拶を交わした、隣家の少年であった。

 気づくと私は、濁流の中へ飛び込み、少年と共に水に流されていた。

 私は力を振り絞り、少年を近くの屋根に引き上げ、ゆっくりと水中へ沈んでいった。


「家族も、生活も、居場所も、身体すらも、すべてどこかへいってしまった……」

 真っ暗な視界の中で、悲しげにそう呟く男性の声が聞こえた。

 やるせない気持ちを胸に抱えながら、私は静かに目を開いた。

 視界が戻ると、そこに男性の姿は無かった。


 私は無言のまま、スマホの画面に目を落とした。

 2024年8月14日、午前8時57分。

 友人との約束を守るべく、私は再び階段を上り始めた。



【スポット3】

 階段の頂上には、石造りの大灯籠がある。

 その灯篭に寄りかかるように、一人の女性が立っていた。

 着古したセーラー服に傷だらけの革靴を履いた、高校生くらいの女性であった。

 私は、彼女の前に立ち、スマホの画面に目を落とす。

 2024年8月14日、午前8時58分。

 約束の時間まで、残り2分。友人はまだ来ていない。時間は十分にあるだろう。

 息を整え、視線を上げる。セーラー服には、赤黒いシミがあった。

 真っ直ぐ見据えた彼女の顔は、火傷の跡に覆われていた。

 私が自ら視線を合わせると、先程と同様に、視界は暗転した。


 視界が戻ると、眼前には、フェンスがあった。

 フェンスの先の右奥からは、モクモクと煙が上がっていた。そこから更に右へ、めいっぱい名古屋の方向を向くと、あちらこちらから上がる火煙と、それを目掛けて降り注ぐ、雨粒のような黒い固体と、それを投下する飛行機が見えた。

 視線を背後に向けると、左手には大仏が、そして奥の方では、空を観察する軍服姿の男性達の姿があった。

 大空を悠々と進む無数の航空機に向けて、近隣の高台から豆のような弾丸が打ちあがっている。

 そんな光景を横目に、私はスマホの画面を見る。

 1945年5月14日、午前8時58分。

 日時を確認して、視界は再び暗転した。


 次に視界が開けると、私は机に座っていた。

 手元にはノートが置いてある。

 何気なく、それを開くと、

「昭和16年8月15日 今日も、大仏様にお参りをした。お母さんが退院して、早く家族みんなでご飯が食べられますように。」

 という記述があった。どうやら、彼女の日記らしい。癖のある書き方にも関わらず、なぜだかスラスラと読むことができた。

 私はそれを、読み進めた。

「今日、隣町の女学校に入学した。制服と靴を卒業した先輩から譲り受けた。私も先輩のように頑張りたい。」

「今日、兄さんの就職先が決まった。名古屋の工場で航空機を作るらしい。兄さんみたいに、私も頑張りたい。」

「今日、お父さんが出征した。お父さんと同様、私も頑張りたい。」

「今日、私たちの学徒勤労出動が決まった。半田で航空機を作るらしい。兄さんと同じ仕事だ。頑張りたい。」

「今日、大きな地震があった。実家と兄さんの工場が心配だ。」

「今日、空襲で兄さんが亡くなったと聞いた。みんなに気づかれないように、一人で泣いた。もう一度みんなでご飯が食べたい。」

「今日も名古屋で空襲があった。名古屋城が燃やされたらしい。先日の名古屋駅に続き、思い出の場所が無くなっていく。」

「今日、半田で空襲があった。私はまだ、生きている。」

 読み終えて、時刻を確認する。11時になる少し前であった。

 小さく伸びをしたとき、

「空襲だーッ!」

 という声と、鐘を鳴らす音が聞こえてきた。

 爆弾が降り注ぎ、工場や家から火の手が上がる。私は、防空壕へ走り出す。


 防空壕まで間近のところで、燃える家の前でわんわんと泣き、しゃがみ込んでいる少女を見つけた。一緒に逃げようと、少女に近づいた時、背後から迫るプロペラ音と、機関銃の発射音が聞こえ……

「……ッ!?」

 次の瞬間には、身体に銃弾が貫通していた。幸い少女には銃弾は当たらなかったらしい。

 私は、最後の力を振り絞り、火が回り、今にも崩れそうな家から、彼女を遠ざけた。

 薄れゆく意識の中で、燃えた木材が自分の方へ崩れてくるのが見えた。


「実家も、学校も、工場も、思い出の場所も、私が知っている形では無くなってしまった……」

 真っ暗な視界の中で、そう語る彼女の声が聞こえた。

 私は、ゆっくりと目を開いた。

 やはりそこに、彼女の姿は無かった。


 私はスマホの画面に目を落とした。

 2024年8月14日、午前8時59分。

 大仏の前には、友人ではなく、入り口で出会った老人の姿があった。



【スポット4】

 大仏像の前には、石造りの常香炉がある。

 その前に、入り口で出会った老人は立っていた。

 私はスマホを確認する。

 2024年8月14日、午前9時00分。

 友人はまだ来ていない。

 私は、老人の前に立ち、目を合わせる。

 思った通り、視界は暗転した。


 視界が開けると、フェンスがある。

 フェンスの先には、田があり、浜があり、海を挟んで、山々が連なっている。

 まさに、絶景であった。

 後ろを振り返ると、視界の端に菜の花や藤の花が咲いているのが見えた。

 そして、案の定、左手には大仏像があり、その前で老人が若い男と話をしていた。

「やっと完成しましたな。これをご覧になられれば、皇嗣殿下もきっとお慶びになられるでしょう! いやはや、これで、鎌倉に通われ続けた才吉様の努力の日々も報われますな!」

 若い男は、興奮気味にそう述べる。だが、老人は男の言葉など意にも介さず、悩んだ顔を浮かべている。それに気が付いた男は、老人に問いかける。

「何か、悩み事でも?」

 その言葉を聞き、老人はハッと男の顔を見る。どうやら、本当に話を聞いていなかったようだ。バツが悪そうにしながら、老人は男の問いにこう答えた。

「いやな、どのあたりに温水プールを建設しようかと思案しておっての」

 その言葉を聞き、男は驚いた顔を浮かべたが、すぐに口元を弛ませ、

「また、面白いことをお考えになりますな。では、園内を散策して、一緒に場所でも考えませんか?」

 老人にそう告げる。その言葉に満足したのか、老人も笑みを浮かべ、二人はゆっくりと歩き出した。


 老人たちの話を聞き終えた私は、手に持ったスマホの画面を見た。

 1927年5月22日、午前9時00分。

「こんなに昔から、ここにあったんだ……」

 暗転する直前に視界に捉えた大仏に、ここに来るまでに経験した不思議な体験たちに思いを馳せながら、そう声をかけた。


 眼を開くと、案の定、老人はいなかった。

 代わりに、友人が不思議そうに私の顔を覗き込んでいた。

「なあ、ぼーっとしてっけど、大丈夫か?」

 心配そうな顔で、友人はそう告げる。

「大丈夫、なんでもないよ」

 私はそう答え、スマホを見る。


 その表示を見て、私は続けてこんな提案をした。

「ねえ、暑いし、そこのプールにいかない?」

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コンクリートの大仏と盆の彷徨霊 明久。 @akihisa-

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