とにかく勉強会をサボりたい私たち

大神律

日常と平凡に潜む怪奇現象

そよ風に教科書が捲られても、私はどうでもいいと音だけをそっと無視していた。それはまた、霞む日光が照らす窓側がただの見晴らしのいい場所になっているのと同じだ。


「えー、この運動方程式から放物線の軌道が……」


高校生活に期待を胸膨らませていたのは去年の今頃だったろう。中学よりもどことなく大人になったという感覚に私は踊らされ、今までやったことないようなことを意識したり、というか今なら何でもできるんじゃないかって、夢見ていた。


ここから見える景色はそう変わらないのに、いや、だからかもしれない。先生は予習しておけとよく言っていた、そうすれば難しい高校の勉強もわかると。


私は中学の時はあまり勉強なんかしてなくて、予習なんかほとんどしなかった。でもこれからもっと遊びたいとか、勉強できるようになったら人生楽しいのかなってなんとなくで、私は力を入れるようになった。


けれどどうだろうか。高校の大半の時間は授業の時間であり、その大半は予習でやったところだ。

そうともなれば私はこのように、そしてそんな授業と教室は私にとって、ちょっと見晴らしのいいところからグラウンドでドッジボールをする女子を眺めるだけの場所だ。


この先にどんな人生がある。それがわかりきった人生は安心と安定に溢れているかもしれないけど、こんな風に眺めるだけなら私って何なんだろう。


「……それでボーアって人はこう言ったんです。確率的にしか量子の状態はわからないって、観測できないことについて考える意味はないと」

「せんせー!」

「はい? なんですか、山崎さん?」


「それって肉体関係でしかないのに私って恋人だよね? これって愛だよね? ってヒステリックになってるオバサンは馬鹿ってことですか!」


飛躍と跳躍、飛び越えて教室の視線を束ねたあの女は、煩いやつ山崎は、その質問と共に、ついさっきまであった皆の思考をグラウンドにぶん投げたようだ。真空じみた教室の雰囲気は、驚きを通り越した超常現象だった。


「山崎さん、授業を進めるので座ってください」

「はい、わかりまーした!」


一点が過ぎてざわつきの靄のかかる雰囲気からして、ひょっとして先生たちは山崎のせいで授業が消し飛ぶことを予想して、予習しておけと注意していたのかもしれない。

実際にそのせいか、内のクラスの試験の平均点は十あるクラスの下から二番目だ。真面目に予習している人もいるかもだけど、それならなおさら低い。


けれども不思議なものでクラスの皆は山崎を邪魔者扱いはせず、成績が悪くても恨むこともない。これは皆がお人好しだからなのか、それとも山崎が飛び抜けているからなのか――――私にはまったくわからない。


まぁ私にとってはあまり関係ないことだ。こう考えるくらいの余裕があるのだから。



時間は過ぎて五時限目。体育室で今日はバスケットボールをやるらしい。

体育は割と好きだ。身体を動かすと人間ってポジティブになれるから。むしろ一番苦手な教科だけど受験に関係ないし。


「じゃあ、残った小田さんは鈴木さんと組んでね」

「分かりましえ――――え?」


私をとらえ、威圧する視線、嘘だ。震えてきた足が首の代わりに横に振ってそうじゃないと知らしめてくる、でも嫌だ、怖い!


「小田? 何震えてんの? ほら、早くしないと遅れるんだけど」

「あ……はい」


なんで怒ってるのか、鈴木さんがいつも不機嫌だからとかって、そんな風にだと直感は誤魔化したけどクラスに取り残されて遅れて走り終わってからわかった。


「鈴木、遅っそ! バレー部のくせに帰宅部のあたしに負けてるじゃーん!」 

「うっせぇ、私はじゃんけんで負けただけだし」

「人生は運ゲーなんだってさ?」


鈴木さんは友達と大声で言い合って、また私が目立つ。ああ、やっぱり体育嫌いになりそう。運動なんか全然楽しくない。


鈴木さんはハッキリした性格をしていて、ちょっと、いやだいぶ偉そうにしている。気に入らないことがあるとすぐに騒ぐタイプ。一言でいうなら、陽キャって類だろう。

私みたいな教室の端でミジンコ遊びしてる、か弱い女の子とは真逆だ。凄く苦手。ステフィンカリーのダンクの苦手具合の三十倍くらい苦手。


けれども時間は止まることはない。私と鈴木さんは二人一組でバスケットボールを、よくわかんないけど具体的には二対二の小さい試合を回って行う授業内容? 的なものをすることになった。


「パスパス!」

「おりゃー!」

「シュート!!」

「やったー!」


抱き合う女同士。連携が決まるとスポーツの感動は凄いものだ。「バスケットボールって楽しいね!」って三十分前までは片言でしか話さなかった同士が、今は流暢に笑顔に言葉を躱している。

「これだよ、スポーツとはこういうことなんだ」と内心思いながら頷く体育教師もあっちにいる――――が、残念ながらそれは私と鈴木さんではない。だから助けてー。そっちじゃなくてこっち見てー。


「また負けた」

「ご、ごめんなさい」

「言ったでしょ、ドリブルしてって! ボール持ったらすぐ止まって取られるし、それに……」


わかっているけどわからない。耳を通り抜けてしまうのは怒鳴ってくる内容だけど、頭にぶつかってくるのは怖いその様子と感情。あと早く終わってほしいという切なる願い。


スポーツは協力して勝ったときの喜びの大きい分、こんな風に辛いという事なのか。誰かの幸せは誰かの不幸。やっぱりスポーツ嫌いになりそう。


「話聞いてる? ちゃんとわかってる? 次また同じミスしたら――――」

「おー次は鈴木と小田さんかー、よろしく!」


マグマ泡立つ修羅場を澄まし顔で入ってきた女子は、よく見分けのつく声、アホの山崎さんだ。

空気の読めない山崎さんは割り込まれて余計に腹を立てている鈴木さんを知らんぷりに、強引に握手をし、私にもニッコリと握手していった。


「じゃあ行くよ! こっちからね!」

「ちょっ、山崎、じゃんけん!」

「鈴木、スポーツってのは汚いものなんだよ?」

「あ? 待てや!」


山崎さんのペアの子も私も、取り残されて、あっちの二人で激しい攻防が繰り広げられるだけだった。

そういえば自分よりも下手な選手にパスするくらいなら自分で決めるって考えはアメリカでは主流らしい。


「おい山崎、今足使っただろ! それにさっきだってトラベリングした!」

「バレなきゃ違反も合法なんだよ!」

「だからバレてんだよ!」


すっごい二人とも走ってる。山崎さんのペアの子が手で得点数えてるけど、そろそろ両手で足りなくなってきてる。二進法で。

あんなに動いたら二人とも部活のころにはバテバテになるだろうに――――でも二人とも楽しそうだな。鈴木さんも怒ってるけど、なんか楽しそう。



「じゃあそろそろ終るから、皆集まってー」


「はぁ……はぁ……」

「鈴木ー、そんな疲れてるってことは全部勝った?」

「……全敗」

「あ、怒りすぎて息切れしてんだ、アホくさいなー」

「うるせぃ……」


鈴木さんの友達は勘違いしてるかもしれないけど、鈴木さんは山崎さんとの死闘で体力を使い果たしてからずっとあんな感じで疲れ切ってたんだ。

だからその後の試合は私一人で二人を相手にして負け続けたんだ。


でも一点入れれたし、ドリブルもできるようになったし、やっぱりスポーツって楽しいかもしれない。

ちなみに山崎さんはその後すぐに両足ケガして、今も保健室にいるっぽい。



そうしてまた平凡な一日が過ぎていった。

チャイムが合計7回鳴って、私はやっと帰れると窓際の席、伸びをし、鞄に教科書を詰め、席を立っていざ昇降口に――――――――のはずが、気付いたら私は――――教卓の前で8回目のチャイムを聞いていた。


「じゃあこれからよろしくね! 鈴木と小田さん!」

「あ?」

「……え」


なんか私は今日からこの二人に――――アホの山崎さんと陽キャの鈴木さんに――――勉強を教えないといけないらしい。


「……え?」

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