姿見

 リビングにて。緊張の面持ちで、姿見の前に立つ。


 ——うーん、こう、いや、こうか……?


 こうでもない、ああでもないと、髪型や服装をあれこれと試している。


 今日は会社でのプレゼンが控えている。

 好印象を与えるためにも、身だしなみには気をつかわなければならない。


 ——分からんなぁ


 迷ったあげく、客観的な評価が欲しくなった。


「あのさ――」


 と、声をあげたが、返ってくる声はない。

 当然だ。この部屋にはもう、僕しかいないのだから。

 物寂しくなった自分に呆れ、ため息をつく。


 ――君なら、今の僕を見てどう思うだろうか


 そんなことを考えながら姿見を見れば、あの日の僕らが鏡の中に映り込んだ。







「うーん、」


 姿見の前で、君が衣装合わせをしている。

 うんうんとうなりながら、もうずいぶんと長い間。


 ファッションショーを見せられているような気持ちになりながらも、僕は気になってつい聞いてしまった。


「誰のためにそこまで気をつかうわけ?」


 半ば甘い言葉を期待して、投げかけた問いだった。

 君は姿見を見つめたままで答える。


「自分のため、かなあ」


 その回答に、僕は少しがっかりした。

 てっきり、『あなたに見てもらいたいからー』なんて言葉を期待していたから。


 僕が黙り込んでいると、君は視線を顔ごとこちらに向けて、小首をかしげる。


「なんか、残念そうな顔してない?」


「いや、別に」


 表情の変化から内心を悟られぬよう、あわてて表情を戻す。


「うそつきー」


 君は僕につめよりながら笑った。とっくに本心を見抜かれていたらしい。


「いや、べつに、嘘とか、」


「分かるよ。なんか『思ってた反応と違った』って顔してたもん」


 ずびしぃっと、図星を突かれる。


「……隠し事はできそうにないな」


「ふふ。だてにあなたのこと見てないから」


 小悪魔のような笑みでささやきながら、君はやわらかく微笑んだ。


「まあでも、私もちゃんと言葉を尽くさないといけないね」


「うん?」


 君はセルフファッションショーを中断し、ソファに座ると、隣をぽんぽんと叩いた。

 ここに座れということらしい。


「私はね、自信をもってあなたの隣を歩きたいの」


 隣に腰かけた僕に、君は飾りっ気のない言葉を放つ。


「好きな人の前では、『こうありたい!』って思えるような自分でいたいの」


 君は僕の左手に右手を添えながら、切実さの滲む声で語った。

 その言葉に、そのしぐさに、僕の心臓は跳ねた。


 ——なんてまっすぐなんだろう


 胸が熱くなると同時に、思う。君に比べて僕は……と。


「君は、すごいね」


「そう?」


「そうやって何かを与えられるってのが、すごいよ」


 僕は、君にもらった熱に触発されたように、言葉を紡いだ。


「それに比べて、僕は、何かを欲しがるばっかりだ」


 声のトーンを落としながら話す。

 実際、そうだ。

 僕が君にふさわしい人間であろうとして、努力したことなどあっただろうか?

 与えられることを求めてばかりいて、自分から何かを与えようとしたことがあっただろうか?

 そう考えると、自分の矮小さが浮き彫りになって、際立っていく。

 けれど、君は。


「そんなことない」


 そう言ってまっすぐに僕を見る。


「私は、あなたを好きで居られる私が好きなの」


「それは、君の努力のたまものじゃないか」


 僕が自信なさげに否定しても、君は首を横に振る。


「ううん。私ひとりじゃ、こんな風にはいられないから」


「……」


「私の好きな私をくれる、あなたが好き」


 そう言って君は、力強く目を見開いた。

 瞳の中に僕を映して。


「……ありがとう」


「うん」


 ふっとほほえみあって、僕らは口づけを交わした。

 僕の目に映る君は、姿見に映っていた君よりも、はるかに美しかった。

 鏡には映らない美しさが、確かにあの日、そこにはあったのだ。







 けれど今、目の前の姿見に映るのは、シケた面構えの男一人。

 彼は軽く涙ぐみ、ひくひくと鼻をすすっている。

 どうやら別れた恋人のことを思い出し、めそめそと泣いているのだろう。


 けれど、と、僕は指先でそいつの涙をはらう。


 ——泣いている場合じゃない


 もう君はいなくても、あの日、君のようになりたいと決めたことは忘れない。

 たとえ君が見ていないのだとしても、僕は君のように生きてみたいと強く思ったのだ。


 それからしばらく、姿見の前で身だしなみを整える。

 そうしてやっと、納得のいく姿になれた。


 ——よし、行こう


 表情を引き締め、貴重品をポケットに入れる。

 上着を羽織り、堂々と玄関を出る。


 あの日の僕に、恥の無い僕を見せに行くのだ。


 そう心に決めて、足に力を込めると、駅へ向かって歩き出した。



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