カラオケ

 初体験は、数年前。

 君に連れ込まれた、せまくてうす暗い部屋でだった。


「そんなに緊張すんなし」


「だ、だって、初めてだから……」


 僕は心臓の音が、せまい部屋に反響して、君に聞こえていやしないかとドキドキしていた。


「あははっ。初めてならなおさら、上手い下手とか気にしないでいいじゃん」


 陽気に笑った君は、ふたつのマイクを手に取って、そのうちひとつを僕に手渡すと、肩を組んでいっしょに歌ってくれたね。


「ふう、いい声してるぅ!」


「あ、ありがとう」


 カラオケに行くたびに、君がそう言ってくれるのがうれしくて。


 気付けば僕は、音楽にのめり込んでいた。


 君の提案で、歌ってみた動画を出したり。

 曲を作ったり、歌詞を書いたりするうちに。

 たくさんの人が応援してくれるようになっていた。


 だけど、充実した日々に夢中になっているうちに、僕は君との時間をないがしろにしてしまった。


「私とじゃ、釣り合わないよね」


 いつしかそんな言葉まで言わせてしまって、君は僕のそばから消えてしまったんだ。




 あれから、何年が経っただろう。

 今、僕の目の前には、大勢の観客がいる。


「大切な人を想って歌います」


 静まりかえる人々を前に、ゆっくりと目を閉じる。

 けれど、僕がまぶたの裏に思い浮かべたのはたった一人で。


 この曲は、その人のためだけに歌うと決めている。


 あの日、言えなかった言葉が。伝えられなかった想いが。

 いつか届くまで、僕はこの曲を歌い続けるよ。


「となりにいてくれて、ありがとう!」


 ありったけの感情をのせて、叫ぶ。

 僕をここまで連れてきてくれた、他の誰でもない、君へ向かって。

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