父の日に娘が

山代悠

6月16日に

娘と二人、向かい合って食事をとっていた。


都内にあるホテルの最上階から一つ下のフロアにあるレストランで。


値段のことで私に気を使ったのか、娘はメニューを見せてくれず、次に何が出てくるかわからない、というある種のドキドキをはらんだディナーであった。


今の時代、ネットで調べてしまえばすぐにわかるのだが、その行為が、彼女の計らいに対して失礼極まりないものであるということを認識していた私には、もうスマホを手に取ろうという意志すらなかった。


これまで娘は、私に何かしてくれるということはなかった。

悲しいがそれが事実なのであった。


別に彼女を批判しているわけではない。

反抗期がちょっとだけ長く続いてしまっていただけなのだ、きっと。


もうかれこれ10年以上、娘とまとまった時間をもって二人で話すということをしていなかった。


だから、今日のことはすごく新鮮であった。

もしかしたら、ここ10年で娘と話した合計時間よりも、今日一緒にいる時間の方が長いかもしれない。


私たちの間に隔たりがあった時間は長かった。


しかし、私と娘に残された時間は短い。


急性リンパ性白血病


それが私の抱える病である。

60代手前で発症し、病院に行った時にはすでに進行した状態であったので、もう長くない身であることは、主治医と同じくらいには理解しているつもりであった。


体調も下り坂であったことから、正直外食は避けていたのだが、まさか娘から誘いが来るとは夢にも思わず、二つ返事でOKした。


私の病状については、妻と、職場に退職届を出すときに部長にだけ明かした。


どうやら娘は妻を経由して話を聞いたそうで。


「父の日か…悠衣ゆいとは思い出がないなぁとか思っていたが、今日最高の思い出ができたよ」

「そう…」

「今年が最後かもしれんからな…父の日」

「やめて。せっかくの料理がまずくなる」

「っ…ごめん」

「謝らないでいいから…」

最愛の娘、悠衣は少しだけいらだったように言い放つ。


その様子を見ていたら、また怒られた。

「もう…見てないで黙って食べな、冷めるよ」

「お、おう」


もとよりドライな性格の彼女。

表情もあまり変化がないし、口から出てくる言葉にも、性格がよく反映されていた。


「ごちそうさま」

「うん」

娘による会計を終え、レストランを後にし、エレベーターホールでエレベーターを待っている時にも、少しだけ言葉を交わす。


「また誘うかもしれないから、あんまり予定入れすぎないようにしてね」

「えっ…」

鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていたのだろうと思う。


だが、嬉しいほかなかった。


「また」が来るかはその時は分からなかった。


だが、私の中に確かに、生きる希望が芽生えた瞬間であった。

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父の日に娘が 山代悠 @Yu_Yamashiro

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