ヴァルキリーズストーム外伝 白百合のゴールは遠い

綿屋伊織

白百合のゴールは遠い

 宗像理沙。

 女性的というより、むしろ中性的な魅力の持ち主で、本人もそれを十分自覚している。

 宝塚の舞台で活躍するタイプの女性といえば、これ以上適した表現はない。

 それだけなら、女性士官として好ましい外見といえるだろう。

 問題は、彼女が本物のレズビアンであり、それを公言どころか実践してはばからないことだ。

 レズとしての初体験は小学校4年。

 初潮と同時に担任の女性教師を押し倒して以来、女子校育ちということもあって、片っ端から生徒、教師の垣根を乗り越えてやりたい放題。

 別れ話がこじれて、カッターナイフ片手に教室に乱入されたり、親が学校に怒鳴り込むこともあったが、たいていはもみ消された。

 理由は一つ。

 宗像が学校の女教師達全員を恋人にしていたから。

 恐るべきストライクゾーンの広さが、ある意味で宗像の特長といえば特徴だ。

 女子校在学中、唯一騒ぎになったのは高校卒業間際。校長がかわって、男になった時だけだ。

 品行方正で知られるこの校長は、レズを理由に、宗像を学校から追放しようとした。

 女子生徒達に飽き始めていた宗像は、まぁいいかと思って、この追放処分を一度は承知した。

 だが、彼女の恋人達が納得しなかった。

 宗像が退学届けを出すなら、自分達も出すと言い張って、教師達も辞表を準備するに至り、学校の存続そのものが不可能になると判断した校長は、宗像に泣きつくハメに陥った。「お願いだから辞めないでくれ」と。

 宗像とは、それほどのレズなのだ。


 その宗像が今狙っているのが、同期生の天儀祷子であることは、誰の目にも明らかだった。

 何かにつけて祷子祷子と、それはそれは熱いモーションをかけるのだが―――。

「まぁ、無理だな」

 同期をとりまとめる和泉美奈代は、そんな二人を後目に、ため息混じりに言う。

「肝心の天儀が、宗像の気持ちに気づいていない」

「気づけないんじゃない?」

 早瀬さつきは言う。

「祷子、そっち側はかなり鈍そうだから」

「そっち側だけか?」

「そっち側も、かぁ」

 はぁっ。

 二人がため息をついた。


 その日のことだ。

 祷子は長野教官に命じられた。

「射撃演習場に張ってあった警告の紙がダメになった。何でもいいから、弾薬の取り扱い注意の張り紙を作って張っておけ」

「はい」

 そして、祷子が作った張り紙にはこう書かれていた。


『発射される弾薬は、時と場合によっては周囲の迷惑となります。引き金を引くときは十分にご注意ください。また、地球環境保護のため、弾薬の浪費防止にご協力を』



「……」

 二宮は腕組みしながらハンガーへ向けて歩いていた。

 その頭を悩ませているのは、この祷子が作った標語だ。

 言っていることは間違いない。

 それは確かだ。

 だが、どうにも受け入れがたい。

 何かこう、軍隊にはそぐわないような、そんな気がするのだ。

 書き直せ。

 そう命じるのは簡単だ。

 ただ、伝えたい内容を維持したまま、どう書き直させればよいか。

 二宮自身、答えが出せないでいた。


「発砲注意……弾薬の倹約……か?」


 どうにもありきたりだ。

 ありきたりでいいのかもしれない。

 とはいえ、物足りない。


「言葉は難しい……」


 そうやって頭を悩ませる女教官。

 彼女が、宗像と共に今回の主役だ。


 二宮真理


 精鋭をもって知られる皇室近衛騎士団メサイア乗りの中でもトップクラスの腕前を持つエースの一人。

 近衛騎士の中でも選ばれたトップエリートのみが配属される特務部隊のほとんどを経験したという華々しい経歴がその裏付けになる。

 優秀な女性士官を絵に描いたような人物。

 そう断言できるのが、二宮真理だ。


 ただ、それはあくまで仕事上のこと。


 私生活では全く話が違ってくる。


 二宮真理。


 その名が女性士官の間で上がる時。


 それは、半分は哀れみであり、半分は興味の対象としてだ。


 どういうことか?


 二宮真理。


 その名は、ある一つのキーワードと同時に語られることが多すぎるのだ。


 曰く―――男運がない。



 外見はかなりの美女といえる。

 家事は一通り出来る。

 経歴、家柄、全ての面で非の打ち所はないといえる。

 それなのに、何故か二宮真理はとにかく男運がないことで知れている。


 恋愛経験はそこそこあるのだが、必ず破局する。

 相手が二股かけていただの、戦死しただの、行方不明になっただの……。

 その関係が1月と続いたことはない。

 早くて1時間、長くても3週間ほどで必ず破局する。

 その回数たるや、両手両足の指では足りないほどだ。

 それ故、同じ運命をたどりたくない女性士官から、彼女は常に敬遠されがちだった。


 その彼女が恋をしたというのが、今回のお話だ。


 言い出しっぺは美晴だった。

「聞いて聞いて!」

 士官室に入るなり、美晴は、手をバタバタさせながらそう言った。

「何よ?」

 丁度、宗像とチェスをしていたさつきが、ここぞとばかりにチェスの盤をひっくりかえそうとするが、さつきの膝より宗像の手の方が早かった。

 ひょいと持ち上げられたチェスの盤を持つ宗像の勝ち誇ったような顔をさつきは恨めしそうに睨む。

 そんな二人の側で見物していたのは美奈代と祷子だ。

「どうした?」

「二宮教官なんだけど!」


「嘘でしょ?」

 全員が美晴の言うことを信じなかった。

 あり得ないのだ。

 候補生達にとって、二宮真理は地獄の鬼より怖い指導教官なのだ。

 それが―――

「二宮教官が……恋しているなんて」

「本当だって」

 候補生達は、壁に張り付くようにして通路の向こう側をのぞき込む。

 視線の先は、メサイアのハンガーだ。

「相手、誰だ?」

「あれ?美奈代って、こういうの、興味ないって言ってなかった?」

「うっ……き、気のせいだ」

「美奈代って、お昼のメロドラマは欠かさないタイプだよね」

「悪かったな」

 美奈代はバツの悪そうな顔で言った。

「タイマー録画して見ていたのは事実だが……」

「あ、いたいた」

 美晴がそっと指さした先。

 そこには、二宮と白衣姿の一人の男性が立っていた。

「―――へえ?」

 さつきが興味深そうに声をあげた。

 背は高いし、顔立ちは知的なクール。

 切れ長の涼しげな瞳に、白い肌。

 いわゆる「いい男」だと、皆が思った。

「教官、結構いい趣味してるな」

「和泉も好みか?ああいうの」

「都築みたいな熱血バカの正反対だぞ?」

「う、うるさいっ!」

 さすがにハンガーの喧噪が邪魔で美奈代の怒鳴り声は聞こえなかったらしい。

 二人は何事か楽しげに会話を続ける。

 というか―――

 会話というより、熱心に二宮が何かを語りかけている。

 それは、好きになった相手に自分のことを知って欲しいと願う女ならではの懸命な姿勢なのだと、美晴やさつきにはわかった。

 ほんのりと上気した二宮の頬が、それを証明している。

「で?」

 美奈代が美晴に訊ねた。

「相手は誰だ?」

「知らない」

 美晴はそう答えた。

「私も、ついさっき、あの二人見たばっかりだから」

「あっ。私、知ってますよ?」

 そう言ったのは、何と祷子だった。


 立花元(たちばな・はじめ)

 階級は大尉。

 メサイア整備大隊所属の精霊体調律師、つまり、メサイアの精霊体のメンテナンスを専門に行う技師だ。

 祷子は、D-SEEDの精霊体整備の時に挨拶したことがあるという。


「ま、いいんじゃないか?」

 それまで無言だった宗像が唐突にそう言った。

「男が出来れば、教官の欲求不満じみたシゴキがなくなるわけだし」


「もう私達、候補生じゃないんだけどね」

「再訓練だ!って何度言われた?」

「―――男で欲求不満、解消してもらおうか」

「盗聴器、どこかにないかな」

「教官の部屋に仕掛けておく?」

「いいね!」

「整備の人に頼んで作ってもらうとか!」

「その前に、あの二人が何話してるか知りたい!」

「特に夜!」

 きゃーっ!

 通路に黄色い声が響き渡る。

「とりあえず、メサイアの集音分析装置使えばどうです?」

「行こう!宗像の騎が指揮官騎仕様だから!」

「あっ、待ってください!」





「ふふっ。そうなんですか?」

「ええ。そうなんです」

 候補生達が耳にした会話は、そこから始まっていた。

「葉月にもいいお店がありますよ?」

「連れて行っていただけます?」


 おおっ!


 メサイアのコクピットに上半身だけ乗り込ませた候補生達から驚きの声があがる。

 無理もない。

 候補生達が常に耳にするのは、教官として、指揮官としての二宮の声だ。

 それが、今、耳に入るのは、候補生達が初めて聞く二宮の「女の声」なのだ。


「ええ。喜んで」


 おーっ!


 整備兵達があきれ顔で一瞥した後、見て見ぬフリして通り過ぎる中、候補生達はコクピットに流れる二宮と立花の会話に聞き入る。


「そうやって、女の子泣かせてるんですか?」

「意外ですね。僕は身持ちは堅いんですよ?」

「あらごめんなさい―――じゃ、私と何人か」

 二宮は悪戯っぽく言った。

「女の子連れてきますね?」

「えっ?」

 立花の目の色が変わった。

「何歳くらいです?10歳くらい?」

「……な、なんでそんな小さい子を?」

「やだなぁ!」

 怪訝そうな顔をする二宮の前で、立花は無駄にさわやかな笑顔を浮かべて言った。

「僕にとって女の子って―――12歳までなんです!」


「……」

「……」


 二宮どころか、候補生達までが凍り付いた。


 立花は続ける。


「13歳以上はおばさん。

 20歳以上はおばあさん。

 30歳以上は化石!

 40歳以上はビックバン以前の存在!」


「……」

 ヒクッ。

 二宮の頬がひくついたのに気づくことのない立花は断言してのけた。


「故に!二宮さんやその世代の女性はビックバン以前―――とても恋愛感情なんて抱くことが出来ない、遙か太古からの存在なんです!

 二宮さん!あなたはまさに神の如き存在!

 僕は人間である以上、神とは恋が出来ませんっ!

 神よっ!」




 ひっく……ひっく……。

 艦長室に低く響くのは、二宮のすすり泣きだ。

 二宮は、空になった酒瓶が転がるテーブルに突っ伏して泣いていた。

「真理……いい加減になさい」

 ため息混じりに、美夜が二宮の手からグラスを奪う。

「それにしても……今回はすごいフラれ方したわね。あなたも」

「放っておいてよ……グスッ」

「立花大尉、あんたにぶん殴られて未だに医務室から出られないそうよ?」

「いい気味よ!ふんっ!」

「で、ビックバン以前の存在だっけ?失礼よね。真理はまだ30代だっていうのに」

「私はまだ29よ!」

 バンッ!

 二宮はテーブルを殴りつけた。

「ふざけんじゃないわよ!何よあんな変態ロリコン!」

 美夜からグラスを奪い取るなり、二宮は乱暴にブランデーを注ぎ込んだ。

「精霊体が小さい女の子形態だからって!それで仕事続ける変態なんて、知るもんですか!」

「まぁ……人はいろいろよ」

 肩をすくめた美夜が二宮の真向かいに座った。

「あんただって、いろいろあって……」

「私のこと何てどうでもいいっ!」

 乱暴にグラスをあおった二宮が怒鳴る。

「せっかく、せっかくいいオトコが目の前に現れたと思って―――わかる!?私の期待!やっと、やっと幸せが近づいたと思ったのに!私はねぇ!私はねぇっ!……うわぁぁぁぁぁぁんっ!」

「あーっ。はいはい」



 それから数時間後のことだ。

「大丈夫ですか?」

 通路で潰れた二宮を介抱するのは、祷子だ。

 二宮の士官室は祷子の部屋の隣。

 そこまで来て潰れた音を、祷子が聞き逃さなかったのが幸いした。

 完全に酔っぱらい、祷子の部屋のドアの前で眠ってしまった二宮に肩を貸すと、祷子は自室へと連れ込んだのだ。

「背中さすりますね?吐いた方が楽ですよ?」

「ううっ……わ、私だって、私だってねぇ!」

 ボロボロ泣きながら、二宮はくだを巻く。

「辛いのよ?本当に!わかってる!?」

「はい……大変ですよね?」

「そうよ!そうなのよぉ!」

「はい。じゃ、吐いてくださいね?」

「オトコなんて信じないって決めたから私―――うっ!」



 その晩。

 祷子の部屋には一人の侵入者があった。

 宗像だ。


 このレズの手には、やっとの思いで偽造した祷子の部屋の合い鍵が握られている。

 それを使ってようやく念願の行為を果たしに来たのだ。

 いわゆる夜ばいだ。

 問題は、となりの部屋の二宮だった。

 二宮教官に知られたら無事では済まない行為であることは、宗像自身が分かり切っている。

 それが、立花大尉の件があって、艦長室で潰れるほど酒を飲んだと聞いたものだから、千載一遇のチャンスとばかり、宗像はとうとう決行に及んだのだ。

 訓練に訓練を重ね、音もなくドアを開き、室内に忍び込んだ宗像は、ベッドの中で寝息を立てている人物が、念願の祷子だと思い、ベッドの中へと入り込んだ。

 だが―――


「ひっく……おう、宗像ぁ……夜ばいか?」

 宗像は真っ青になってベッドから起きあがった相手を見た。

 そこには、この行為が知られてはならない人物の顔があった。

「に……二宮……教官?」

「私がここにいては不満か?」

「い、いえ!滅相もない!」

 宗像はそう言ってそそくさとベッドから逃げ出そうとするが、

「待て」

 ぐいっ。

 腕を掴まれ、乱暴にベッドに連れ込まれた。

「いい機会だ」

「はっ?」

「お前のレズっぷり、私がためしてやろう」

「はぁっ!?」

「もう私はオトコを諦めた!真性のレズ、つまり、お前の同類として生きる!」

「お、おやめになった方が」

「何を言うか!」

 バンッ!

 二宮がベッドのマットレスを殴った。

「だいたい何だ!貴様ぁ!上官の説教聞く時は正座しろ!正座!」

「は、はいっ!」

「よろしい。私はなぁ……いろいろあって、オトコ嫌いになったことがある!」

「はい」

「その時、ある方のお手つきになって―――女の味を知った!」

「は……それは結構なことで」

「たっぷり仕込まれたからこそ!私は内親王護衛隊隊長に配属された!」

「はぁ……」

「女子校程度の味しか知らない貴様とは年期が違うんだ!」

「お、お見それしました」

「というわけで!」

 二宮は強引に宗像を抱き寄せた。

「きゃっ!?」

 どこをどうきめられているのか、宗像は身動きとれない自分自身と、何より自分を狙う危険な笑みを浮かべる二宮に、本能レベルで恐怖を感じた。

「ふふっ……お姉さまがかわいがってやるぞ?」

「わ、私は、たった今、フルノーマルに転向しましたので」

「なら記念に味わっておけ」

 ドサッ。

 二宮が宗像をベッドに押し倒した。

「近衛流のレズ技術は天下一品だぞ?」



 翌朝。

 ふわぁぁぁっ。

 ベッドの下からはい出してきたのは、祷子だった。

「よいしょっと」

 ベッドの下に敷いた寝袋を片づけつつ、祷子はベッドに眠っているのが二宮だけでないことにようやく気づいた。


 宗像と二宮があられもない姿で眠っていたのだ。


「あら?宗像さん?」

「……ああ。祷子か」

「おはようございます。すみません、私、一度寝ると朝まで起きられなくて」

「いい……おかげで助かった」

 宗像は床に散乱する服の中から自分の下着をつまみながら礼を言った。

「はぁ?」

「いや……こっちの話だ」

「それにしても、お二人ともすごい寝相がお悪いんですね。すっぽんぽんですよ?」

「……そういうことにしてくれ」

「宗像さん?」

「……」

 宗像は、じっ。と二宮を見ると、思い詰めたようにうつむき、つぶやいた。

「この宗像……まだまだ未熟だと、お姉さまに教えていただいた」

「は?」

「得難い経験、一生分を味わった―――そう言ったんだ」



 結局、酔いからさめた二宮は、昨晩のことを全く覚えておらず、

 さりとて―――


「胸のでっかい女なんて最低ですよねぇ~っ」

 そんなことを放言してはばからない立花への思いも諦めることが出来ないらしい。

 何かにつけて絡むことをやめられない様子だ。


 二宮真理の恋のゴールは、遙か遠そうだ。


   

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