二八章 我らが勝利

 「雨風の勢いが予想以上に強い! 気嚢は破損してないか、雨漏りはないか⁉」

 「センサー類はオールグリーン! センサーは異常は検知していない。それ以上の確認はいまは無理だ!」

 「風向きがかわった! 気嚢を右七度旋回!」

 「了解! 気嚢を右七度旋回!」

 操縦席の育美いくみの指示を受けて、副操縦席の志信しのぶが必死に機器を操作する。

 台風のまっただなか。強烈な雨と風が吹きつける暗く閉ざされた海。その上をちっぽけな空飛ぶ部屋が飛んでいる。制作者たちの思いを乗せて。

 その姿は縦に伸びた大きな一枚の翼にも見えただろう。あるいはまた、高々と大きな帆を掲げた一隻のボートにも見えただろう。しかし、もっともふさわしい表現はこうだったにちがいない。

 嵐に吹かれる一枚の木の葉。

 そう。嵐のなかを飛ぶ大友オートモ号は文字通り、強烈な雨風に翻弄される一枚の無力でちっぽけな木の葉に過ぎなかった。

 しかし、その無力でちっぽけな木の葉には意地があった。魂があった。その魂に懸けて、荒れ狂う雨風のなかを必死に飛んでいる。烈風に揺さぶられ、豪雨に打たれ、ギシギシと悲鳴をあげて、いまにも墜落しそうにその身を揺らしながら。

 それでも、そのちっぽけな木の葉は嵐のなかをたしかに飛んでいる。

 飛びつづけている。

 制作者たちの思いを乗せて。

 嵐のなかで頻繁にかわる風向き。気嚢の側面からまともに風を受ければ揺れるだけではすまない。空中で転覆してしまう。そうなれば、体勢を立て直すことは、もはや不可能。真っ逆さまに墜落し、海のモクズとなるしかない。

 それを防ぎ、飛びつつけるためには、風の向きに合わせて気嚢の角度を細かく調整しなければならず、一時も気を休めることができない。機器を睨みつけ、数字を読みとり、操縦し、指示を飛ばす。

 「データが蓄積されて自動運転用のAIが搭載されるようになれば、細かい調整はAIに任せられるようになる。これは、そのためのデータ蓄積でもある。後につづく人たちが安全に避難できるようにするためにいま、私たちが苦労するんだ!」

 「わかってる!」

 グラグラと渦に呑まれた木の葉のように揺れる室内で、育美いくみ志信しのぶの必死の戦いがつづく。その光景は室内に設置されたカメラによって撮影され、全国に配信されている。

 撮影者がいるわけではない。固定カメラでの撮影。そのために、室内の揺れがもろに画像に現われる。操縦者であるふたりの姿が画面から消えることもしばしば。しかし、それが『見やすさ』を追求した映画にはない、圧倒的な生々しさと臨場感を伝えている。

 ライブならではの、本物ならではの緊迫感がそこにあった。

 その緊迫感が見るものの心臓を躍らせ、胃をギュッとつかみあげる。

 不安。

 心配。

 恐怖。

 『早く逃げて!』という思い。

 それらすべてが重なり、一体となって胸のなかで渦巻く。

 その代表はもちろん、五姉妹の長女、希見のぞみだった。四女の多幸たゆとふたり、到着予定地点で待機している希見のぞみは、車のなかで同じように風雨に打たれながらスマホの画面に見入っていた。

 「あああ、危ない、あぶない! 気をつけて!」

 「希見のぞみちゃんこそ気をつけて! そんなに力を入れたらスマホが壊れる!」

 「ああ……あのふたりが命を懸けて挑戦しているのに、長女のわたしは安全なところで呑気に画面を眺めているなんて。ここはやっぱり、わたしも命を懸けないと。陰腹を切って応援を……」

 「だから、それはダメだって! 希見のぞみちゃんが死んじゃったら意味ないでしょ!」

 心配のあまり暴走しようとする長女を四女が必死にとめる。

 配信される画像の臨場感、緊迫感に閲覧数は恐ろしい勢いであがっているのだが、そんなことには気がつく余裕もない。ただ、心配と不安に駆られ、『無事に渡ってきて!』と願うだけ。

 一方、そんな心配も、不安も、思いすらも感じる余裕もないのが必死に大友オートモ号を操作する育美いくみ志信しのぶ。墜落を防ぐために目の前で起こる出来事一つひとつに対応しなければならず、その他のことに気をまわしている余裕などまるでなかった。だからこそ――。

 だからこそ、ここまで無事にいられたのだと言える。よけいな心配や不安を感じている余裕があったらそちらに気をとられて操作がおろそかになり、とっくに墜落していただろう。目の前のことに忙殺される余裕のなさがふたりを『いまはまだ』生かしているのだ。

 「育美いくみ! 気嚢をいくら旋回させてもゴンドラに当たる風は防げない! 風に流されているぞ!」

 「かまわない。どれだけ流されようと、とにかく陸地につけばいいんだ。風に逆らって危険を冒すより、風に乗って一気に進む! 大丈夫だ。これは宇宙船じゃない。道をそれたところで酸素がなくなるわけじゃない。燃料も充分ある。進路がそれたら風がやんだあとで戻せばいい。いまは、とにかく進むことだ」

 「わかった!」

 「それより、大友オートモ号が軽すぎる。このままじゃ吹き飛ばされる。気嚢内の水素を一五パーセント減らして浮力を落とせ!」

 「そんな暇があるか! オレは気嚢の操作で手一杯なんだ!」

 「浮力を減らさないと吹っ飛ばされるぞ!」

 「だから、手一杯なんだって!」

 「水素、減らした。これでいい?」

 「ああ、充分だ」

 思わず、そう返事をして――。

 そこで、気付いた。この場にいるはずのない第三の声がしたことに。

 育美いくみ志信しのぶは顔を見合わせた。それから、同時に声のした方を見た。そこには三女の心愛ここあがいつも通りのクールな表情にダブルピースなどを示して立っていた。

 「心愛ここあ⁉」

 育美いくみ志信しのぶが同時に叫んだ。

 「な、なんで、君がここにいるんだ⁉」

 「ガールスカウトのキャンプに行ってるはずじゃなかったのか⁉」

 年上の妹と、次女の叫びに対して心愛ここあは、右手の親指をグッと突き立てると、中学生とは思えない落ち着き払った声と態度で答えた。

 「お約束は必ず守るやつ。それが、わたし」

 「お約束って……」

 さすがに育美いくみ志信しのぶも絶句した。

 しかし、言われてみれば、その通り。『子どもだから』という理由で同行を拒否された年少キャラがこっそり忍び込むのは物語のお約束のひとつ。そのお約束を守るため、『ガールスカウトのキャンプに参加する』と嘘をついて姿をくらまし、こっそり乗り込んでいたわけだ。

 「お前ってやつは……」

 志信しのぶが怒っていいのか、あきれていいのかわからない、と言った表情で呟いた。

 育美いくみが真剣な顔を心愛ここあに向けた。

 「死ぬかも……知れないんだぞ?」

 このときばかりは、育美いくみも本来の『男の』顔に戻っていた。そんな真剣な問いかけに対し、心愛ここあは断固として答えた。

 「パパとママを殺した災害を打ち負かしたい。そう思っているのは、わたしも同じ」

 その言葉に――。

 育美いくみ志信しのぶの目が同時に見開かれた。ふたりの頬がそろってふくれた。唇が『ぷはあっ!』と音を立てて開いた。そこから愉快痛快な笑い声が弾けた。

 「あはははは! 負けたよ。さすが、オレの妹!」

 「よおし、そうとなれば三人、力を合わせて必ず突破するぞ!」

 「おおっー」

 と、ふたりの叫びに対し、腕をあげて応じる心愛ここあだった。


 そのやり取りはもちろん、カメラを通じて日本中のスマホとPCに配信されている。その様子を見ていた希見のぞみはほとんど絶望とも言える叫びを発した。

 「ああ、なんてこと! 心愛ここあまで乗り込んでいたなんて!」

 「心愛ここあちゃんらしいけど……」

 「でも、心愛ここあの言う通りよね。わたしたちはみんな、父さんと母さんを殺した災害を打ち負かしてやりたくてはじめたんだものね」

 「……うん」

 「そうよ。みんなが命を懸けて挑んでいる。戦っている。だったら、長女のわたしこそが真っ先に命を懸けないと。やっぱり、陰腹を切って……」

 「だから、それはダメえっ!」

 長女の暴走を四女が必死にとめるなか、大友オートモ号の室内でも育美いくみたちの必死の戦いがつづいている。

 「航路は大きく東にそれている。しかし、着実に陸地に向かって飛行中。GPSはこの嵐のなかでもきちんと機能している。自分の位置を把握するのに問題はない。このまま風に乗って突き進む! 志信しのぶ、気嚢を左に三度、戻せ!」

 「了解! 気嚢を左三度、旋回!」

 「心愛ここあ! 室内の様子はどうだ」

 「浸水の様子なし。外壁の破損なし。一部、タケと和紙の部分が破れているけど、これは室内だから問題ない」

 「よし! エンジンも問題ない。左右のプロペラの回転数を調整して……」

 その育美いくみの声を最後に――。

 配信は途切れた。

 嵐の影響で通信障害が発生したのだ。

 「なんで⁉ なんでここで、そんなことになるの⁉ 見せて、映して、わたしの妹たちの姿をちゃんと見せて!」

 希見のぞみは勢いあまってスマホをぶん殴る。

 そんな姉を多幸たゆが必死にとめる。

 「希見のぞみちゃん、スマホが壊れちゃうって!」

 車のなかではそんなやり取りが一晩中、つづいた。


 そして、翌日。

 台風はすでに日本海へと抜け、空は一面の青空。

 台風一過。

 まさに、そう呼ぶにふさわしい晴天。雲ひとつない空に黄金色の太陽が輝いている。だが――。

 その太陽のもとで海を見ながら立つ希見のぞみ多幸たゆの心はどんよりと曇っていた。それ以上にその表情が曇っていた。ふたりとも、目の下に隈ができている。配信が途絶えたあと、姉妹のことが心配で、ふたりとも一睡もできなかった。

 車のなかで夜通しじっとしているのも苦痛以外のなにものでもなかった。それでも、耐えた。不安と、心配と、たまらない緊張にさらされながら耐え抜いた。

 ――みんなが命を懸けて戦ってるのよ! わたしが信じないでどうするの⁉

 そう自分を叱りつけ、耐えつづけた。そして――。

 夜が明けて、視界が効くようになると同時に車のなかから飛び出した。海の向こうに目をやった。育美いくみたちが大友オートモ号に乗ってやってくるはずの海の向こうを。しかし――。

 大友オートモ号は現われない。

 到着予定時刻はとっくに過ぎている。それでも、その姿は影も形も見えない。

 希見のぞみ多幸たゆはそれでもじっと岸辺に立ちつづける。

 「ああ、もうダメ! 耐えられない!」

 希見のぞみがとうとう叫んだ。

 「やっぱり、探しに行ってくる!」

 そう叫び、服を脱ぎすてて海に飛び込もうとする。

 多幸たゆはそんな姉に抱きついて必死にとめる。

 「だからダメえっ! そんなことしたら、希見のぞみちゃんが死んじゃうって!」

 心配のあまりいてもたってもいられない長女と、必死にとめる四女。そんななか、希見のぞみの視界のなかにキラリと光るなにかが見えた。

 「多幸たゆ、あれ!」

 叫んだ。

 指さした。

 そのかすかな光は徐々に大きく、はっきりした姿をとってきた。

 それは翼。

 空の上に浮かぶ一枚の大きな翼。

 大友オートモ号。

 希見のぞみ多幸たゆの表情に喜びが爆発した。

 大友オートモ号が着陸した。扉が開き、そのなかから――。

 高々と両手をあげて、満面の笑顔の育美いくみ志信しのぶ心愛ここあが降りてきた。

 希見のぞみ多幸たゆは泣きながら笑い、大切な姉妹に抱きついた。


 ――このライブ配信によって『四葉よつば家の五姉妹』の名は日本中に鳴り響いた。巨大な感動の渦と共に。

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