第2話 どんな奴が来るんだろ
「
遠くでわたしを呼ぶ声が聞こえ、ぴくりと肩が跳ねる。
直後、ざわめく車中。どうやら車両中ほどに立っている声の主はこちらへ向かってくるようだ。
こんなぎゅうぎゅう詰めの車内でなんて迷惑な。
そんな声すら聞こえてくるなか、姿こそ見えないものの人混みを掻き分けているのだろう、ほどなくして彼はわたしの斜め後方に位置取ると、「天野」と、もう一度優し気に声を掛けてくれる。
それ以降、もう下半身の気味悪い感触を感じることはなくなって。
同時についさっきまで恐くて仕方なかった気持ちが、もう大丈夫だと、そんな安心感で満たされてゆく。
なのに緊張で「ありがとう」すら上手く言えなくて。
そんなわたしの傍で、彼は電車が停車するまでずっと優しく寄り添ってくれた。
実は彼に救われたのはこれで二度目だ——。
「あのっ」
人が
すると彼はゆっくりとこちらへ振り向いた。
その姿を見て確信する。
彼は覚えてないだろうけど、過去にわたしを救ってくれた恩人。
今改めて対峙してみれば、たしかに当時の面影がないことはない。
まさかこのタイミングで目の前に現れるなど想像すらしておらず……運命めいたものを感じるなという方が無理な話だと思う。
と、いうか実はもう泣きそうだ。
本当に、ずっとずっと会いたかった人が、ずっとずっと話してみたかった人がいま目の前にいるのだから。
両親の仕事の都合で長く海外で暮らしていたわたしは、中学二年生の時、数年ぶりに帰国した。
そんななか、
注意さえしていれば自分でも気付けたはずなのに……、両親からそれを聞かされた時は大層落ち込んだものだ。
とはいえ家も近く、無理やりにでも会いに行こうと思えば出来なかったことはない。
でもせっかくならと、彼と同じ高校へ通うことを決意したわたしはその後一年近く、彼に会うためだけに勉強を頑張ってきた。
そんな彼がいま目の前にいるのだ。
わたしはトクトクと鳴りやまぬ心臓を押さえようと鞄を両手でぎゅっと握り締め、なんとか声を絞り出そうとする。
「さっきはありがとうございましたっ。なんてお礼を言ったらいいか……」
「いや、別にそんな大したことしてねぇし。気にすんなよ」
ぶっきらぼうに言葉を放り投げると、彼はなぜか苦々しい表情で顔を背けてしまう。
そこで淡い期待は砕かれる。やっぱり覚えてるわけ、ないよね……。
名乗りたい。昔あなたに助けてもらいましたって。ありがとうって言いたい。
でもいまそれを言ったところで伝わらない気がした。
それどころか、一度は振り向いてくれたものの、既に彼の脚はわたしになど向いておらず、早くこの場を離れたいと言わんばかりだ。
なにか言わないと行っちゃう。
そう思うのにわたしは何も言えないまま、ほどなくして次の電車を待ち構えるべく人がホームに列を成してゆく。
それをきっかけに彼は想像通りの言葉を口にしてしまった。
「悪い。俺、ちょっと急いでるから」
「あの、待ってっ」
このまま行かせちゃ駄目だ。せめて何か伝えないと。
一度は背中を向けた彼だったが、顔だけをこちらに向けてくれる。でも、
「……まだ何かあるのか」
面倒臭そうにそう言われてしまい一瞬怯むも、自分を鼓舞し声を出す。
「あの、わたし絶対合格します。また必ず会いに行きますからっ」
一方の彼は、いきなり何を言い出すんだと言いたげな表情で、「……そっか」とちいさく首を傾げると今度こそ走り去ってしまった。
△▼
(どんな奴が来るんだろ)
今年から大学生となった姉が念願の一人暮らしを始めたことで空き部屋となった一室。なんとその部屋に期間限定ではあるものの、同居人がやって来るらしい。
しかも、今日。
あまりにも突然のことだが、大学時代から
俺は部屋の片隅に積まれた段ボールを見ながら首を傾げる。
と、いうのも期間限定にしてはやけに物量が多く思えたからだ。中にはたぶん携帯ゲーム機や衣類などが入ってるのだろうが、なにをどうしたらこんな荷物になるのか。
高一男子にしてかなり洒落た奴なのかもしれない。若しくは野球とか演奏をやってるとかか?
まあ多少疑念は残るものの、正直楽しみが勝っている。
実は一緒に出来るゲームなどを数本準備してあり、夜や休日などを想像するだけで少しわくわくする自分がいた。
「
玄関で心配そうな表情を見せる母に、俺は安心しろとばかりに頷いて応える。
女は苦手だが、男は得意だ。そこには妙な自信があった。
たしか今日そいつは入学式だったか。
式の後、部活の見学などをして時間を潰すらしく、俺の帰宅時間に合わせてくれるそうだ。
「あ、そういえばそいつの高校って……」
と、言い終える前にガチャと閉まるドア。
ま、今日会って直接聞けばいいか。
△▼
私立秀明館高等学校。
県内有数の大学が付属する我が校は、多くがエスカレーター式に付属大学へと進むも、一方で誰もが知る国立や私立の大学へ合格する者もいるほどの進学校である。
俺は教室の窓際で片肘をつきながら、ふと
彼女は無事入学出来たんだろうか。
校庭奥にある体育館の中では今頃入学式の式典が行われていることだろう。
——「あの、わたし絶対合格します。また必ず会いに行きますからっ」
なんであんなこと言ってきたんだろ。痴漢から助けただけなのに、意味分かんねえ。
あの時は俺も咄嗟に上手くリアクションが取れず、変な感じで別れたからな。
気を悪くして無ければいいけど……。
でも立ち止まったとこで大した会話は出来なかっただろうし。
だから、あれで良かったんだ。
その日、早めのLHRを終えた俺は親友の
各部が入学式を終えた新入生めがけ一斉に勧誘をおこなっている中、なぜか我が文芸部はドアを閉ざしており、歓迎の貼り紙すらもしていない。
今時PCやスマホがあれば手軽に小説を書ける時代だ。
例年のことではあるが勧誘したところで成果は薄い。そういう意味で結果自体は変わらないのかもしれないが。
じゃあ俺たちがいま何をしているかと言うと……。
「違う違う。もっと感情的に、会いたかったわっ。だよ。ってか、やっぱ男じゃ無理かぁ」
まるで抱きつくかのように両腕をぐるりと俺の背に回し胸に顔を
そんな俺たちに向け、新三年生にして文芸部部長、ポニーテールと丸縁眼鏡がトレードマークの
「なんすかそれ。やり損じゃないですか」
一体なにをやらされてるんだって話なのだが。
実はネット小説のコンテスト締切日が近い俺たち。
クライマックスにあたる主人公とヒロインの再会シーンが上手く文に落とし込めないと言い出した彼女は、なにを思ったか突如俺と
「女子がいればなぁ。
「いや、勧誘したとて新入部員にこんなことさせられるわけないでしょう。と、いうか
とそんな折、ガラガラと部室の引き戸が少しだけ開かれ。次いでちょこんと顔を覗かせたひとりの女子生徒。
彼女は「えっ」と驚いたように目をぱちくりとさせると、なぜかピシャと引き戸を閉めてしまった。
(いまのって、天野、
と、そこで気付く。
「あ」
なるほど。
抱き合う俺たちを見て彼女はなにやら勘違いをしてしまったらしい……。
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