Episode14 約束と決意







「私と一緒に旅に出てみない?」


 そう言ったイルは、優しげな顔で少女に手を差し伸べたのだった。





_________






「恩返し?」


 お父さんはそう口にして、歩みを止め、こちらに振り向いた。

 そして、私と顔の高さを合わせるようにしゃがみ込むと


「イル。私はお前の父親だ。そんなものは必要ない。」


 お父さんは顔に皺を作りながら、そう笑った。


「でも!『じゃあ』」


「じゃあその代わり、だ。」


 私が反論しようとすると、お父さんは一つ指を立て、話の腰を折り、言う。


「自分と同じような子を見つけた時は、手を差し伸べてあげなさい。」


 お父さんは微笑みながらそう言った。


「そんなの当たり前だよ!」


 私が笑顔でそう意気揚々と答えると


「はは、そうか。」


 お父さんは先程の微笑みのままに、あの時と同じ優しげな顔のままに、私の頭を撫でた。






_________






「何を言ってるんですか?」


 彼女は心底困惑した表情で、そう私に問うてくる。


 これは彼女のこれからの人生、そのものを変えてしまうだろうものだ。

 私はそういう決断を年端もいかない彼女に強いろうとしているのだ。

 これは彼女にとって、とてもとても大切な大きな人生の分岐点となる筈だ。

 だから私のやっている事はもしかしたら

 独善的かもしれない。

 傲慢かもしれない。

 誤った行いなのかもしれない。


 でもっ!

 でも私は!


 彼女にあんな辛い思い、このまま続けて欲しくなんてないから。


 彼女をこの状況から何事も問題を作らずに、上手に救ってくれる。そんな存在と出会えるまで、辛い環境に身を置き続けるなんてこと、して欲しくないから。


 だから…


 だから、願わくば未来で。

 彼女が“あの時、あなたに手を差し伸べてもらって良かった”と。そう満面の笑みで私に言ってくれるような。彼女が自分にとって全く悔いのない選択だったと、そう思える未来を作る事が出来ればと。

 私が彼女にとっての本当の救世主になれればと。

 彼女の輝かしい笑顔が見られる、そんな幸せな未来を願って。



「私と一緒に旅に出て、世界を見てみない?」






_________






「私と一緒に旅に出てみない?」


 何を言っているのだろうこの人は、と思った。

 だから私はその私が思った事そのままに


「何を言ってるんですか?」


 そう聞いてみれば

 数十秒たって


「私と一緒に旅に出て、世界を見てみない?」


 そう返答が返ってくる。

 最初に言った言葉と殆ど変わらない返答だったけど、その言葉の返答に数十秒もの時間をかけたのだから、なにかしらの思いが込められているんだろう。

 けど私は、益々意味がわからなかった。

 いや、その言葉のその意味自体は理解できてる。

 じゃあ、何がわからないのかと言えば“何故そのような事を私に誘うのか”と言う事だ。

 そもそも、私はこの村からは抜け出せないのだ。

 私はこの村の奴隷なのだから。

 それだけじゃない。

 私はこの“眼”のせいで、何処に行っても受ける扱いは変わらないんだ。

 私にとって全く意味のない事なんだ。

 



 私がこういう立場にあり、多分一生このままなんだろうと言う事には、とっくに諦めがついてる。もし自由を求めて逆らいでもすれば直ぐにでも処刑されてしまうと思う。


 それに、もし天地がひっくり返って私が自由になれても、待つのはこの眼への迫害。そう結局何処に行っても変わらない。そう考えれば諦めもついたんだ。


 なんであっても、“命”あってのものなんだから。死んでしまえば元も子もないのだからって。



 私も前からこんな考えだった訳じゃない。

 小さい頃は私もよく抵抗したんだ。

 何故自分だけこんな理不尽な目に合わなきゃいけないのかって。

 私と同じ小さな子達は皆で一緒に遊んでいるのに、なんで私だけそこに交ぜさせてもくれないのかって。


 なんで私だけまるで道具のような扱いを受けているのかって。

 なんでなのかと子供ながらに、泣いて叫んだ事もあった。



 けど、私が泣き叫ぶと飛んで来るのだ。


 私の顔面に大人の拳が。



 そう、殴られるんだ。私は泣くたびに殴られた。「うるせぇ!」と罵声を浴びながら、静かになるまで殴られた。


 この村の人の誰一人として、私をあやしてくれる人など居なかったんだ。


 そして私は人前で泣かなくなった。

 泣き叫べば殴られるから。

 不満など持つ事も許されなかった。



 だから私の矛先は、私の“眼”へと向いた。



 この眼さえなければと、何度抉り取って潰してやろうと思った事か。

 だけど、私は所詮普通の底ら辺に居る子供。

 そんな事、結局は怖くてとても出来なかった。

 でも、出来ないと分かっていながら、何度もやろうとした。


 この自分の眼が憎くて憎くて、そしてこの憎い眼を傷つける事さえ怖くて出来ない自分も、憎くて憎くて。私はその度に声を殺して泣いた。



 “この世界に神様なんて居ない”


 私は幼いながらにそう思った

 



「……私はこの村で奴隷なんです。だから、あなたと一緒に旅は出来ないです。それに、何処に行ったところで変わらない。なんにも変えられないんです。」


 そう、変えられない。

 変えたいと幾ら必死に望んだところで

 願ったところで

 変えることはできない。

 現状を受け入れて、ただただ死んだように生きていく事しか出来ない。

 

「…だったら私が変えてあげる。」


「えっ?」


 一瞬、何を言っているのか分からなかった。

 この人は本当に変な事ばかり言う人だと思った。


 それに…


 あまり、私に夢を見させないで、と


 絶対、それは叶わない事なんだから、と


 もし、この村から抜け出せても、この眼がある限りこの現状を変えることなんて出来ないんだから、と


 夢なんて見たっていい事はないのだから、と


 そう、だから結局、夢を叶えられずに来る悲しみの念に、苦しむ事になるだけだから、と


 そうしたら、またああして声を殺して泣く事になるかもしれないから、と



 “だからあまり無責任な事ばかり言わないで”と。



「私がこの村も世界も何もかもいつか……

 だからそのときが来るまで、一緒に旅に出ようよ。」


 もう、もういい加減にして欲しかった。

 無理なのだから。


「無理ですよ。無理だから。本当はわかってるんですよね?無理だって。だから、『無理か無理じゃないかなんて、やってみなきゃ、わからないよ?』」


 この人は分かってるはずだ。絶対無理だって事が。


 …いや………あぁ、そうか…そう言うことか…あははは。

 わかってしまえば、もう笑うしかないじゃない。

 そうだ。私はなんて幻想を抱いていたのだろうか。

 生まれた時から一緒に暮らす村の人達であれなのに、何故今日会ったばかりの他人が私を心配してくれようか。

 そう、この人も“同じ”なんだ…

 この人も“村の人達”と同じ…

 最初から、遊んでいたんだ。私に甘言を言って弄んでいるんだ。

 あの人達と同じように……

 そう理解してしまうと、悔しくて悔しくて、抑えきれない怒りが込み上げてくる。


「…あなたは私をからかってるんですか?遊んでるんですか?…ふ、ふざけないでくださいよっ!変わらないんです!変われないんです!何処に行っても!この忌々しい眼が!この私の体から無くなってくれるわけではないんですからっ!!」


 私は絶叫した。

 私の心を揺さぶって、夢を見させて、わかったような口を聞いて。まるで辛くても死んでは元も子もないと、今まで必死に生きてきた私の人生そのものを弄ばれているようで。


「大丈夫。あなたもここから抜け出して、外の世界を見て、感じて、考えて、そして自分の目標が見つかった時、あなたはきっと一歩前に歩み出せるはず。きっと!…ね?」


 どこにそんな根拠があるのだろうか

 この人はどこまで無責任に私の心を苦しめてくるのか

 今まで押しとどめていた、荒々しい激情が

 止めどなく溢れ出してくる。


「あなたに、あなたに何がわかるって言うんですかっ!!この私の苦しみが!憎しみが!悔しさが!悲しさが!どこに居ても邪魔者扱いされて、腫れ物扱いされて!!あなたにこの気持ちを理解することができるとでも言うんですかっ!?」


「……そう、だね『そんなわけ無いっ!なんで!なんでそんな事が言えちゃうんですかっ!!』」


 きっと、誰にも理解する事は出来ないだろうこの気持ちを


 言葉に乗せて吐き出す。


 本当は、私だって、“この気持ちは誰にも理解されない物”なんて思いたくなかった。分かっていても、思いたくなかったんだ。

 けど、確かにそれが事実なんだ。紛れもない真実なんだと。そうまた理解してしまえば、その事実に直視出来ずに私は俯く。



 “私は、孤独だ”



 数秒の静寂が訪れる。



 それを破ったのは、ゆっくりと私に近づく足音。


 何をする気だろうなどと、私は考える気力も何もなかった。


 ただただ、自分のこの状況が、やはり永遠に変わらないだろうと言う事を、再認識して、絶望するだけだった。


 やっぱり、夢なんか見るものじゃないと。心の穴を大きく広げてしまうだけだと。私はそう思った。




「はい、これ。……これは、あなたのその眼を隠して。少しだけの自由を得るためのもの。今はまだ誰にでも思いつく、こんな子供騙し程度のものしか、貴方に与えてあげられない。あれだけ大言を言っておいて、本当に不甲斐ないばかりだけど、“今はまだ”世界を変えるほどの力は私にはないから。」




 私に投げかけられる、先程まで言い合いをしていた女の人の言葉。

 その言葉は己への情けなさからか、幾らか苦笑まじりだった。


 私はその声に何も考えずに、俯いていた顔を上げた。


 上げて見れば、彼女の手には眼帯が握られていた。



「けど、変えてみせる。……絶対に、こんなものが要らない世の中にして見せるって……必ず───、」



「必ず約束するから。」



 そう言った彼女はとても真剣な眼をしていた。


 そして、彼女は片眼を覆っている眼帯を徐に外した。



「ッ!?」


 

 私の中で猛烈に渦巻く様々な負の感情も、絶望も、何もかも崩れ落ちていく音がした。


 彼女の眼は瑠璃色と黄金色こがねいろに輝く綺麗な眼の“オッドアイ”だった。


「大丈夫、別にあなたが悪い訳でも何でもなくて、悪いのはこの世の中で。私もそんな気持ちから抜け出す事が出来たし。さっきも言ったけど、外の世界を見て、感じて、考えて、貴方にはそうして、世界を見て欲しいんだ。これは同じ“眼”を持つ私の願いかな。…それにね、そんなに世の中、嘆く事ばかりでもないよ?誰しもがオッドアイの人を迫害しているわけではないしね。ほら、そんな人がここにも居るし。」


 そう言って彼女は、私達のそんな会話を真剣な面持ちで聞いていたカナデお兄ちゃんに微笑みかけた。


「あぁ、そうだエフィ。俺は第三者でしかないが、これだけは言える。そんな、狂乱のなんちゃらって奴がオッドアイだったからって、最初から悪だと決めつけて、その人の内面を見もしない奴らなんかの言う事なんて気にするな!」


 そう言い、カナデお兄ちゃんは私にニッと笑いかけて来た。



「……じゃ、じゃあ、さっきの、言葉は」



 本当に本心からの言葉だったんだ



 ふと、目の前の彼女がするりと私の顔に手を伸ばし、優しい手つきで私の眦にそっと触れた。


「え?……あ、れ」


 そうされてようやく気づいた


 自分の頬に一雫の線が伝っている事に。

 涙だった。

 悲しいわけではない。

 カナデお兄ちゃんが無事で、安堵から流した涙とも違う。

 とても温かい涙、それが溢れだして溢れだして止まらない。

 心が包み込まれるような、こんな気持ちは初めてだった。


 こんなに温かい涙もあるものなんだと、

 私は今、初めて知った。


 心地良いと思った。温かいと思った。私は生まれて始めて涙が心地良いと思った。


 目の前の優しげなまなこをして、優しい手つきで私の涙を拭う彼女の手の温かさを感じながら。



 そして、彼女は私を包み込むように


 そっと優しく抱きしめた



「我慢、しなくていいんだよ。」



 耳元でそう優しく囁かれた言葉に、私の眼から溢れだして止まらない心地の良い雫は、一層に零れ落ちた。



 初めて感じた温かい人の温もりと、初めて知った心地良い涙を流しながら、私は大声で泣き続けた。






_________







 私は私の胸で泣いている少女を見て、決意を新たにする。



「きっと剣聖になって、この世界を変えてみせる。だからそれまで待っていて。」



 私は、この少女にさえ聞こえないであろう声で、本当に誰にも届かないであろう小さな声で…



 でも、そう固く、確かに呟いた。










あとがき


彼女がこの村を出なかった、理由のもうひとつとしましては、単純にこの魔物が跋扈する世界で、まだ幼い子供である彼女一人では、他の村や町に行くことも難しく、仮にたどり着けたとしても今度は、まず子供一人では生活を送ることすらままならない為ですね。

そこまで考えられるのは、彼女が辛い環境で生きてきた子と言うのが効いてますね。

同い年の子達と比べると大分聡い子です。


お読みいただきありがとうございました。


これにて、Prologue 完結となります。次章に関しては、主人公について色々と掘り下げていきます。

面白いなと思っていただけましたら、フォロー、応援コメント、レビュー、星評価等いただけると励みになります。


それでは次回、1話挟みまして、次章 Chapter Ⅰ Prescience をお楽しみください。




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