第19話 構内を案内してもらう

 スマホの画面は午後四時過ぎを表示している。

 カフェを出た俺たちは、キャンパス内を歩いていた。すでに五限目の講義が始まっていることもあってか、構内は落ち着いている。


「せっかくですし、大学の中を案内しましょうか」と瑠衣さんが言い出した。社会科見学にもなるでしょうしと。

 

 瑠衣さんに先導され、大学内を見て回る。購買部や図書館、喫煙所にカフェ。各種設備が充実していた。改めて高校とはまるで別世界だ。


「ここは部活やサークル活動を行う場所ですね」


 敷地の端にある建物。その前に来ると瑠衣さんが説明してくれた。


「そういえば、瑠衣さんは何か入ってるんですか。部活とかサークル」

「気になりますか?」

「まあ、気にならないと言えばウソになります」

「最初、ちょっとだけ映画研究部に顔を出してたことがあります」

「過去形ってことは、今は参加してないんですか」

「そういうことになりますね。これと言って何かあったわけじゃないんですけど。もう顔を出す理由がなくなったというか。ある時、気づいたんです」

「気づいた? 何にですか?」

「ここに映画が本当に好きな人はいないんだなって」


 そう語る瑠衣さんの瞳は、醒めていた。

 映画研究部を謳うくらいだから、皆、それなりに映画を見ているだろう。十人に聞けば十人が映画好きと答えるに違いない。

 でも瑠衣さんの目にはそうは映らなかった。

 見ている本数だろうか。それとも知識だろうか。分からない。いずれにしても瑠衣さんの足は遠のくことになった。


 一通り施設を巡り終えると、文芸学部の校舎に足を踏み入れる。講義の行われていない空き教室の扉を開けた。

 誰もいない教室内は薄暗く、ほのかに肌寒い。

 瑠衣さんは扉の傍のスイッチを押し、明かりを点けた。


「ここが文芸学部の講義が行われる場所です。広いでしょう?」


 開けた教室には、すり鉢状に席が配置されていた。

 いかにも大学の講義室って感じだ。


「瑠衣さんは普段、この教室で授業を受けてるんですね」

「ここだけとは限りませんけど。だいたいは。ちなみに高校と違って、席は自由です」

「それはいいですね」

「ではここで問題です」と瑠衣さんは口元に人差し指を宛がう。「普段、私はどの辺りの席に座っているでしょう?」

「席、自由なんですよね?」

「だいたいの生徒は、毎回同じような位置に座っています。私もその一人です。前か中央か後ろの席か。どこだと想います?」

「……後ろから二番目辺りの席ですかね」

「その心は?」

「講義をサボるような人間は、前の方の席には座らないでしょ。かと言って一番後ろの席は座るのに抵抗があるはず」

「それで後ろから二番目の席だと」

「教室からも退室しやすいですし」

「ふむふむ」

「正解は?」

「ざんねん。外れです。正解は前の席でした」

「……それは意外でした」


 前の席だけはないと思っていた。でも、考えてみればここは大学だ。自分の興味のある講義を受けられる。


「授業、そんなに面白いんですか」

「そういうわけでもありませんけど」と瑠衣さんは言う。「後ろの席だと周りの人たちの話し声が聞こえてくることが多くて」

「話し声、ですか」

「そこまで騒がしいものじゃないですよ。離れた席だと聞こえませんし。教授もいちいち注意したりはしません。

 でもまあ、後ろの席に座ってると、ぼそぼそと聞こえてくるんです。否が応でもどんな話をしてるのかも分かります。

 つまらない講義と、つまらない私語。どちらがよりつまらないかを天秤にかけて、前の席で講義を受けることにしたんです」

「いるんですね、この学部にも。そういう人が」と俺は言った。「勉強して、良い大学に入ったとしても。やっぱりいるんですね」

「どこにでもいると思いますよ。たとえ東大に入ったとしても。卒業して、どんなに良い会社に就職したとしても。頭の良さとそういうのは、関係ありませんから」


 それを聞いて思い出す。

 酒袋のことを。これまでに出会ってきた同じような連中のことを。


 しばらく滞在した後、電気を消して空き教室から出た。

 スマホの時刻表示を見る。もうすぐ講義の終わる時間になる。キャンパス内が人混みで溢れかえる前に退散しようと歩いていた時だ。


「お、瑠衣さんじゃないすか」


 無遠慮に声を掛けてくる男がいた。

 服装には見覚えがなかったが、その顔には見覚えがあった。

 酒袋だった。


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