畑のお宝

あべせい

畑のお宝



 都内の、とある農地。

「きょうから、この畑は佐波さんにお任せしようと思っています」

「こ、ここをですか!? こんなに、広い。わたしひとりでできますでしょうか?」

「佐波さん、あなた、農業をやったことは?」

「父も母も公務員なので、農業経験はありません。ただ、母は園芸が趣味で、花を育てる傍ら、プランターで西洋パセリなんかの香草を栽培しているようです」

「ご両親はご健在ですか。それは、けっこう」

「2人とも元気にやっていますが、経済的に苦しいようで、大きな農家に嫁いだ娘を羨ましく感じています」

「農家といっても、いまの時代はたいへんですよ」

「でも、こんなに広い畑があり、お屋敷には大きな蔵もあります。私、それを見ているだけで、とっても心が豊かになります」

「そうですね。物質的に恵まれていると、人は心を豊かに保つことができる。私も、長伏(ながふせ)家の当主として、佐波さんの期待を裏切らないようにしないといけないですね」

「いまで十分です。父も母も、娘を長伏家に嫁がせたことを誇りに思っています」

「誇りですか。ご両親、お体は?」

「ありがとうございます。貧乏でも健康には、自信があるようです」

「私は、あなたのご両親が健康でおられるのは、健康な野菜を食しておられるからだと思いますよ」

「はァ?」

「人の体は、他の生き物の生命をいただいて、支えられていることはよくご存知だと思いますが、食べ物のなかでも、とりわけ野菜が大切でしょう」

「私も常日頃感じていますが……」

「ところが、スーパーをはじめ、一般のお店で売られている野菜は、農薬と化学肥料に侵されています。安全、安心な野菜には、なかなかお目にかかることができない」

「そうですが、いまは大量生産、大量消費の時代ですから、仕方ないと思っています……」

「佐波さん!」

「ハイ」

「あなた、赤ちゃんはまだですか」

「すいません。まだ、主人と2人だけの生活を楽しみたいと思っています……」

「こどもがいないから、そんな呑気なことを言っていられるンです。自分のおなかを痛めたこどもに何を食べさせるのか、考えてご覧なさい。農薬や化学肥料で育った野菜を、かわいい我が子に食べさせるのですか。私が水田一辺倒だったこの地で、野菜を作ろうと決心したのは、市太が8つのとき病気になったことがきっかけです」

「市太さん、どんな病気だったのですか?」

「小児喘息です。あの頃は、もやしみたいに体が細く、ひ弱だった」

「市太さんが、ですか。学生時代、ラクビーのキャプテンをしていたのが、ウソみたい」

「市太が頑健な体を手に入れたのは、一にも二にも、食事です。それも無農薬、無化学肥料の有機栽培の野菜にこだわったおかげだと思っています」

「有機野菜ですか。私も、有機野菜が体にいいことは知っています。でも、なかなか手に入れるのが難しくて……」

「佐波さん、だから、自分で作るのです。これから、あなたにも安全安心の野菜生産者として加わっていただきます」

「安心安全の野菜生産者ですか。でも、自信がありません」

「私のいう通りにやれば、だれでもできます。しかも、私の手がけている農業は、自然農法ですから、手間はかからない。自然農法といっても人それぞれで、いろいろなやり方がありますが、ある意味、ずぼらな人間にむいている農法です」

「ずぼら農法ですか?」

「そう、自然農法でなく、ずぼら農法と言い換えてもいい」

「何を、どうすればいいのですか」

「きょうは種まきです」

「この広いところに、1人で?」

「そうです。佐波さんならできると思います」

「市太さんは?」

「あいつは会社の勤めがあるから、日曜日くらいしか手伝えない」

「でも、きょうは祝日ですが……」

「きょうは朝から、まだ顔を見ていない。また、ゴルフにでも行ったのではないかな」

「まだ寝床におられます」

「新婚だから無理もないか。でも、佐波さんはどうして畑に来られたのですか」

「お義母さまから、お義父さまが畑でお呼びですよと聞いたものですから」

「それで、エプロン姿で来られたのか。でも、ここだけの話、佐波さん、そのエプロン姿、すてきですよ」

「まァ……」

 佐波、恥らう。

「いや、そういう意味ではなくて、畑仕事をするときの服装は、ゴム長に、ズボン。上は着古したジャケットなんかにしないと、あとがたいへんだということです」

「すぐに着替えてきます。ついでに主人を起こしてきます」

「きょうは種まきだけだから、その格好で十分です。佐波さんのご両親は公務員とお聞きしましたが……」

「父母ともに中学校の教師をしています」

「農作業は?」

「母の家庭菜園を手伝った程度です」

「それだけの経験があれば、十分です。では、始めてください」

「は、はァ……」

「どうかしましたか?」

「お義父さま、手伝ってくださらないのですか?」

「私は、あちらの畑で収穫作業があります」

「収穫ですか?」

「白菜のね。それじゃ、お願いします」

「はい……」

 義父は、嫁を残し、百メートルほど離れた隣の畑へ。

 その畑は白菜がわずかに残るだけで、収穫はほとんど終わっている。

 義父は手にした鍬で穴を掘り出した。やがて、鍬が何か固い物に当たったように鈍い金属音を立てる。

 義父は身を屈めると、土の中に手を入れ、小さな壷を掘り出した。

「お義父さま! なにをなさっておられるのですか」

「佐波さん。種まきは?」

「いま、終わりました」

「どんな風にやりました?」

「ずぼら農法とお聞きしましたので、当たり一面にまき散らしました。お伽話の花咲じいさんのように……」

「それでいい。あなたは、私の考えをよく理解している」

「それで、お義父さま。その壷は何ですか?」

「昔なら、まずいところを見られた、というのだろうけれど、佐波さんには是非見て欲しい……」

 義父は、壷を下におろすと、壷を縛っていた麻紐を解いて蓋を開けた。

「手を入れて、中に何が入っているのか、見てください」

「はい……でも、ちょっと怖い」

 佐波はそう言いながら、手を入れた。

「お義父さま。これ、って……」

 佐波が引き出した手の中には、ゴマ粒大の種が握られていた。

「先祖が遺してくださった野菜の種です。半年ほど前に偶然、この壷を見つけました。昔から、我が家では、この40メートル四方の小さな畑について『入るな、作るな、持ち込むな』という教えがあり、代々継承されてきました。私は、20年前に長伏家の当主になってから、この家訓を自然農法の教えだと解釈して、独自の自然農法を編み出そうと取り組んできましたが、我が家の家訓は、自然農法の教えではなかった」

「そうだったのですか」

「これは大根の種ですが、この畑のあちこちにこうした壷が埋まっていると思われます。祖先は、大切な野菜の種を壷に入れ、子孫に伝えようとしたのだと思います」

「でも、お義父さま……」

「何ですか、佐波さん」

「野菜の種にも寿命があるのでは。消費期限があるのではないでしょうか」

「古い種だから、役に立たない? 私もそれを心配しています。しかし、古代蓮の種が千年以上の時を超えて発芽したという話をお聞きになったことがあるでしょう」

「そういえば、こどもの頃、ニュースで見たことがあります」

「私はその古代蓮と同じ幸運を期待しています。この壷の中にある何万という大根の種の、たった一粒でもいい。発芽してくれれば、それをもとに、昔の大根を復活させることができます」

「お義父さま、私なんだか、ゾクゾクしてきました。体が熱くなって……」

「そうでしょう。私は、百年以上昔に栽培されていたこの野菜の種を『百年種』と名付けました」

「百年種ですか。おもしろそう」

「自然農法はしばらく佐波さんにお任せして、私はこの百年種に専念しようと思っています」

「素晴らしいです、お義父さま!」

「佐波さん、理解していただけますか?」

「もちろんです」

「ただ、私の家内と息子は、どうも私の考えは、荒唐無稽で幼稚だと思っているようなのです」

「お義母さまと市太さんが、ですか?」

「2人は、夢を知らない。未来を切り開くことに夢を感じない人なンです」

「そんなことはないと思いますが。だって、市太さんは、あと3年で脱サラして、農機具や肥料の販売会社をやりたいといっています。資金があれば、いますぐにでもやりたいそうです」

「そんなことを……私のずぼら農法には馴染まない」

「でも、お義父さまのやり方では、収穫は多く期待できないのでしょう?」

「効率ですか。佐波さんも、経済効率優先の思想に染まっている。嘆かわしい」

「そうおっしゃられても……」

「いいですか、佐波さん」

「はい」

「人は、生命に関することを効率第一で考えてはいけないのです。命のいとなみは、人それぞれです。早い人もいれば、遅い人もいる……」

「お義父さま、生命に関すること、ってどういうことでしょうか?」

「命を支える人間の行為です。例えば、食。それから……」

「睡眠も、ですか?」

「それから、性……」

「エッ!?」

「性は子々孫々に命をつなぐ行為でしょう」

「そうですが……」

「いま問題にしているのは、食です。食を構成する食材づくりに効率を取り入れて、人間は多くの罪悪を作り出してきたではないですか」

「はァ……」

「農薬や化学肥料は、食材を効率よく生み出すために考え出されたものでしょう。遺伝子組み替え作物も然り。食品添加物は、消費者のためではなく、生産者の都合で使用されています。佐波さん、かつて大量生産、大量消費が美徳のように叫ばれた時代がありましたが、大量生産、大量消費は、我々消費者の生命にどんな恩恵をもたらしていますか?」

「?……」

「商品が安く早く手に入るようになったことくらいでしょう。食に関していえば、同じものが一年中食べることができたり、全国どこでも、だいたい同じような価格で手に入るようになった。しかし、反面、それによってもたらされた害悪は深刻です。さまざまな……」

「お義父さま!」

「エッ!?」

「百年種が……」

「アッ!」

 長伏が話に夢中になっているうちに、手に持っている壷が傾ぎ、中の種が外にこぼれている。

 長伏は、抱えていた壷を下の畑におろした。

 すると、

「お義父さま。百年種の下に何か、見えます」

「ウムッ?」

 2人は壷を間にしてしゃがみこんだ。

 長伏が壷に手を入れ、種の中に埋まっていた物を取り出す。

「これは……」

「お義父さま。これって、昔のお金じゃないですか!」

 佐波が壷の中に手を入れ、銭に混じった小判を取り出す。

「テレビドラマで銭形平次が投げたような一文銭もありますが、黄金色の小判もかなりありそうです」

「種にしては、壷がずしりと重かったのは、このせいだったンですね」

「お義父さま、これをどうなさいますか?」

「ご先祖が遺してくださった大切なお宝です。蔵に移して、どうしたらいいかしばらく考えてみます。しかし、佐波さん」

「何でしょうか」

「市太には、内緒にしておいてください」

「でも、市太さんは、2千万円あれば、肥料と農機具の会社を立ち上げることができると言っています。この壷の中のお金がいくらの価値があるのかわかりませんが、お義父さまはさきほど同じような壷がこの畑のあちこちに埋まっているとお話なさいました。市太さんがそのことを知ったら……」

「だから、言ってはいけない。これは、私と佐波さん、あなたと2人だけの秘密です」

「お義母さまにも、ですか?」

「あれにはなおさら、話せません。このことを知ったら、ここにマンションを建てて、家賃収入で暮らすと言い出します」

「すてッ、いえ、家賃収入はダメですか?」

「佐波さん、私がこどもの頃、この辺りは一面広大な田園地帯でした。見渡す限り、水田と畑が広がっていました。それが、道路が縦横に作られ、住宅地になり、駐車場ができ、瞬く間にこんなつまらない風景になってしまった。いまこの町内に残る畑は我が家のこの2反だけです。我が家も、昔は5町歩の畑を持っていました。それを曽祖父が学校用地に売ったのが始まりで、いまではこんな情けないありさまになった」

「でも、まだ、こんなに広い畑があるじゃないですか」

「まだ、じゃない。もう、これだけしかないのです」

「すいません」

「佐波さん、あなたも市太と同じですか?」

「わたしは、市太さんを愛して結婚しました」

「私も、いまの連れ合いが好きで、一緒になった。でも、長く暮らすうち、考え方にすれ違いが目立ってきた。佐波さんも、いずれわかります。どれだけ愛し合っていても、一組の男女の価値観や人生観が完全に一致することはありえない。どこかに、ずれが生じてきます」

「お義父さま。それで百年種にご自分の価値観を託そうとなさるのですか」

「百年種は私の夢であり挑戦であり、希望です。私はいまから、母屋の2階にこもり、百年種の発芽実験に取り掛かります」

「母屋の2階といいますと、お義父さまの居室。庭に面した部屋の一部を改造して、ガラス張りの温室をお作りになったのは、その発芽実験のためですか」

「そうです」

「お義父さま。私、ときどきお邪魔していいでしょうか」

「もちろん。ただし、この壷のことは市太にはくれぐれも内緒にしてください」

「はい……」


 その12時間後。

 闇の中に広がる畑に、人影が1つ、2つ……。

「おい、佐波。その話は本当なンだろうな」

「本当よ。お義父さまがおっしゃっていたわ」

「親爺は平気でウソをつくからな」

「そうなの? わたしにはそうは思えないけれど……」

「親爺の話を真に受けると、とんでもないことになるぞ」

「そんなこと……」

「この畑といま母屋がある土地は、百年ごとに取り換えていると親爺に聞いたことがある。つまり、百年前この畑に長伏家の母屋が建っていて、いまの母屋がある所は畑だったというわけだ。しかし、そんな話は全くのデタラメだとわかった」

「そうなの……」

「長伏家は500年続いているから、遠い昔には一度くらい、母屋と畑の土地を取り換えたことはあったかもしれないが、定期的に取り換えているということはない。親爺の妄想だ。その証拠に、この近在の絵地図が蔵に残っているが、それを見ると、この畑のある一帯は昔、沼地だったそうだ。そんなところに家を建てるバカがいるか。だから、お宝の詰まった壷があちこちに埋めてあるというのも……」

「当てにならないの? でも、あなた、会社を作りたいのでしょう?」

「そりゃそうだけど……しッ、だれかいる! 佐波、懐中電灯を消すンだ」

 2人は、足を忍ばせ、人の気配がする方にゆっくり近付く。

 突然、2人の顔が強烈なライトを受け、闇に浮かびあがった。

「市太! 佐波さんまで」

「まぶしい! 親爺、こんな所で何をしているンだ」

「おまえこそ、こんな夜中に、畑に何をしにきた」

「畑だから、野菜作りだよ」

「種は、昼間、佐波さんが播いた。しばらくは、何もすることがない」

「お義父さま。これから先、畑で野菜が育つ際、昼間のような壷が埋まっていると邪魔になるから、って市太さんが言い出して。それで……」

「佐波さん、あれほど秘密にと言ったのに。市太に話したのですね」

「すいません」

「親爺こそ、こんな時間に畑仕事か? 畑に穴を掘っているじゃないか。そばに壷が……」

「壷を埋めるところだ」

「その壷、昼の間、掘り出した壷みたいですが……」

「佐波さん、そうですよ」

「一度、掘り出した物をどうして、また埋め戻すのですか?」

「この壷はご先祖が遺してくれたたった1つの家宝です。昔の小判が銭に混じって約千両入っています。こうして埋め戻して、明日になって佐波さんに、また新しく壷を掘り当てたと言ったら、どうなりますか? 長伏家はお宝が畑から湧いてくる旧家だと思ってもらえ、ご両親や佐波さんの心はますます豊かになります」

              (了)


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畑のお宝 あべせい @abesei

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