第6話

 オフホワイトのシンプルなウエディングドレス。


 スッキリと纏められたすらりと背の高い花嫁の首元を飾るのは細工が細かい豪奢な首飾り。

 真っ赤なバラのブーケが花嫁の歩調に合わせて揺れる。


 『永遠の誓いを あなたと』


 花嫁の赤い唇が緩くカーブを描く。

 それまでの凛とした空気が、甘いものに変わって。


 白い手袋をはめた男の手に花嫁の手が重なって―――。




「カット、OKでーす」


 撮影スタッフがカメラのほうに走っていくと、すぐ傍でふうっとため息の漏れる音。

 俺は急いでタキシードの上着を脱いで、むき出しの華奢な肩にかける。


「大丈夫か?」

「ええ、大丈夫よ」


 キレイな笑みを向ける美月だったが、視線を下に向けた俺は気が気ではなくなる。


「とにかく座ろう」

「だから、大丈夫だって」


「いや、しかし」

「……落ち着いて」


 腹部にグッと重い痛みが走る。

 見ればわき腹に埋まる細腕の、理想的な角度に曲げられた肘。


「もう安定期に入ったし、ムチャしていないし」

「でも……このドレス、腹を絞めつけ過ぎていないか?」


「そんなわけあるか」


 後頭部に軽い衝撃と、耳にペコっというマヌケな音。

 振り返ると丸めた紙をもった朋生。


「……朋生」

「俺のデザインしたマタニティ向けウエディングドレスにそんな不備はない」


「しかし」

「しかしも、かかしもない」


 朋生の言葉を裏付けるように美月が「まったく苦しくない」と太鼓判を押す。


「臨月向けのデザインは?」

「もう出来あがっているよ」


 そう言って朋生は優しい瞳を美月の腹部に向ける。


 俺と美月の子が宿る、まだぺったんこの腹。

 『俺と美月の子』だが、朋生がこんな目を向けるから朋生と美月の子だと疑われることがある。


 婚約者だと認めたことがないけれど噂されていたから仕方がない。

 周りには好き勝手言わせておけばいいさ。




 計画通り、美月と朋生は「いい友だちです」と婚約者関係を匂わせたままパーティーに参加した。


 「倉持美月と申します」と美月は本名を名乗だったが、案の定俺の母は美月がかつて自分が薄汚いと罵った女性だと思い出すこともなく「キレイな方ね」と呑気に褒めたたえていた。


 名前を聞いた程度では思い出さないだろうと思っていた。

 しかし美月が自分の生い立ちを離しても全く気付くところがなかったから驚きだ。


 中学時代から亡き姉の遺した姪を育ててきたと言えば、「子どもを育てていれば自分の時間なんて一分もない」なんて億面なく言ってのける。


 子育てに忙しく彼氏どころか友人もろくにいなかったと言えば「いまどきこんな純粋な女性はいない」と周囲の女性と褒めたたえ、「父方の祖父母に姪の親権を望まれたが、余命幾許もない父の最期のときまで三人で過ごしたいと我が儘を言ってしまった」と涙ぐめば「当然よ」と同意してみせた。


『でも、姪のおじい様とおばあ様からしてみたら私なんて汚らわしい小娘だったのでしょうね。姪の親権があちらに移ることは理解していましたが予定よりも早く……それに、私みたいな女と姪を会わせるわけにはいかないと交流も断絶されて』

『まあ、酷いわ。なんて血も涙もない仕打ちを』


 その血も涙もない仕打ちをした当人が同情の声を高らかに上げ、周囲の女性たちも同意するなど美月への同情が集まったところで真打が登場。


『みっちゃん!』

『日向!?』


 品のいいワンピースを着ていた日向が美月に抱きつき、そんな日向を美月がぎゅっと抱きしめる。

 それは誰が見ても『再会』にしか見えなくて、


『日向、あなた、美月さんとご面識があるの?』

『あ……おばあ様、ご、ごめんなさい』


 青い顔をして美月から離れる日向。

 あのときの日向は女優だった。


『みつきちゃんがいると思わなくって、まさかまた会えるとは思わなかったから嬉しくて……ごめんなさい、もう会ってはいけないという約束を守らなくてごめんなさい』


 周囲が一気にざわつく。

 もともと評判のよくない両親だ、血の涙もないのが誰だったのか直ぐに周囲は気がついた。


『日向、ごめんね、私が』

『美月、ここでは何だから別室に行こう。日向ちゃんも動揺しているし、引き離すのはあれだから一緒に』


『でも、日向を勝手に連れていくのは』

『そうだね、保護者の許可をとらないと。いいでしょうか、篠ノ井……』


『私の保護者はさっく……えっと、篠ノ井皐月さんです。本当の父の弟の……ごめんなさい。私が悪い子だからみんなに迷惑をかけて。さっく……おじさんだって、私がいい子じゃなくて手に負えないからっておばあ様たちに押しつけられて』


 会場にいる人たちの『信じられない』という目が母に向く。

 静かになった会場でただ日向の泣く声だけが響き、そのとき俺と朋生の目があった。


『日向、とりあえず控室に行こう。倉持さんと、青柳さんも一緒によろしいですか』

『もちろんです。さあ、美月、行こう』


 そう言って朋生が美月を支え、俺は日向を抱き抱えるようにして会場を出て、




「みっちゃーん、私のフラワーガール役どうだった?」

「とても素敵だったわ、日向」


 美月に褒められて気分がよくなった日向の顔が俺に向けられる。

 あのパーティー会場を出たときと同じ、「どうだ」と言わんばかりのドヤ顔。


「お前は大女優になれるよ」


「それじゃあ今度の花嫁役は私がやる、だめ?」


「日向にはまだ早い」

「日向にはまだ早いよ」

「日向ちゃんにはまだ早いかな」


「最近保護者が増えた気がするんだよね、レイ君には苦労をかけるなあ」


 レイ君?

 え、誰?


「日向、レイ君って誰なのかしら?」

「みっちゃん、顔が怖いよ。レイ君って私の彼氏の仮名。みっちゃんのベビーネームの真似をしてみた」


「それじゃあ架空なのね」

「そうだよ。もし彼氏ができたらこんな風にカミングアウトしないって。先にみっちゃんを味方にしてから二人に言うって決めてるし」


 これじゃあ、みっちゃん攻略も苦労しそう。

 そう言って日向は着替えるためにスタジオを出ていった。


 大人三人の深いため息なんてどこ吹く風だ。



「女の子を育てるのって怖い」

「本当に。知ってる、いまどき幼稚園児でもカレカノがあるのよ」


「え、そうなの?あ、それじゃあ美月って幼稚園児以下か」


「ちょっと」

「初カレって皐月だもんね。うわ~、甘酸っぱい、甘酸っぱい……よ~」


 口調、堪えたな。

 頑張ったな。


 というか、そうだよな……初カレ。

 嬉しい。


「どうせ私は奥手ですよ。皐月と朋生はいつなの、初カノ」


 え?


「俺は十四かな」


 え、言うの?


「皐月は?」

「えっと、俺は……俺、は……」


「彼女の定義によるよね、さっくんは。昔っから入れ食い状態だっただろうし、さっくんのは拒否する理由もないもんね」


「日向!?」


 なんでここに?


「忘れ物。朋生さん、控室までエスコートしてくれない?」

「よろこんで。頑張ってね、皐月」


 えーーーー。


 目の前には不貞腐れている皐月。

 相変わらず美人で、不貞腐れても可愛さしかなくて。


 ヤキモチなんて嬉しさしかなくって。


「美月」


 教会の祭壇で。

 神様が見られている場所で。


「愛してるよ」


 恋や愛を偽ったら神様に嫌われそうだから、偽りのない真実を口にする。


「皐月」


 美月の顔がふわりと笑顔になる。

 暖かい春風が吹いてきそうな柔らかい笑顔に、結婚して子どもができた今もトクンッと胸が鳴る。


「愛してるわ」


 美月の頬に手を添えて、少しだけ上に向かせる。

 ステンドグラスを通ってきた光の粒が美月のきめ細かい肌の上で弾んで、


「……」


 ん?

 キスを邪魔するこの手はなに?



「ねえ、色男さん。お腹の子に兄か姉がいる可能性は?」


「隠し子なんていない!!」

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三十五歳でゲームオタク、昔の恋を引きずりながら十四歳の姪を育てています 酔夫人 @suifujin

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