第2話

『誠一さんのお子さんが見つかりました。ご当主様たちはお孫様を家に迎えたいと仰っております。皐月さんに交渉お願いします』


 なんで俺が?と思ったが、俺しかいないことを直ぐに理解した。


 自分の意見が通らないと癇癪を起こす両親は問題外。

 姉は嫁いだ身なので、実家とはいえ他家のいざこざに巻き込むのは忍びない。


 たしかに俺だけ。

 俺の頭に姉が言った「あんたの将来は誠一の尻拭いで大変ね」が浮かんだことは言うまでもない。


 そして顧問弁護士である磯村の采配は間違ってはいなかった。



『帰れ!日向は渡さないわよ!』


 ただ、俺が選ばれたのは一度間違えたあとだった。


 美月にバケツいっぱいの水をぶっかけられたあと、『クソババア』とおにぎり大の塩の塊をぶつけられて、母のあとじゃこの対応で仕方がないと納得してしまった。


『うちの母が大変申しわけなかった』


 俺はまず謝罪した。


 うちの両親と兄に限っては擁護できる点が一切ないことを当時の俺も分かっていたから、ずぶ濡れになってしまったこともあって謝罪だけでその日は帰った。


 

『先日はうちの娘が申しわけないことを。私に似て気が強くて喧嘩っ早いのが玉にキズでね』


 二回目の訪問は、気の強さな喧嘩っ早さの欠片もない穏和な辰治さん、美月たちの父親に迎え入れられた。


『日向の親権は渡せないけれど、君が日向の叔父さんとして交流することには賛成するよ。人生何があるか分からない、保険は多いほうがいい』


 辰治さんがそう言っておおらかに笑う横で美月も頭を下げた。


 前回は水爆と滴ってくる水がジャマでしっかり見なかったけれど、美月はキレイな女性だった。

 顔がいいって本当に得で、不貞腐れると人形めいた顔に感情が生まれて愛嬌が加わって可愛くなるだけだった。



『それなら言葉に甘えさせてもらいます。まずは日向さんのことを知りたいので。まだ子どもだと分かっていますが、あの子がこれからどうしたいかが大切ですから』


 日向との交流には美月も同伴した。

 日向がそれを望んだこともあったが、俺も小さな子との交流なんてしたことがなかったから美月の同伴はありがたくもあった。


 美月はどうだったのだろうか。

 あの頃の美月は蛇蝎の如く俺を嫌っていた。


 女に二面性があることは知っていたが、美月は阿修羅像張りの三面持ちだった。

 正面を向いた表情がデフォルトとして、左には日向に向ける聖母ばりの慈愛に満ちた優しい女の顔、右には俺に向ける悪鬼のような敵意むき出しの女の顔。


 敵意ではあったが、隠さない感情が興味深くて心地よかったと思える俺は変なのかもしれない。

 

 俺は常に人に囲まれていた。

 篠ノ井の名をもつ俺に誰もが好意的だったが、その裏で俺を嘲笑していた。


 暴君と言われる父親をもって気の毒。

 兄ばかり可愛がる母親で可哀そう。

 あんな兄をもって大変ね。


 「好きです」といってくる女性たちにも裏がある。


 誠一さんよりマシ。

 誠一さんは無理だから、妥協しよう。

 家族はやばいけど金はある。


 そんな周りに素の自分なんて出すわけがない。


 周りの悪意にも思惑にも気づかない鈍感な遊び人。

 あの兄の弟っぽいと言われることに笑ったが、それが一番無難で、周囲が望む『篠ノ井皐月』だった。


 日向の言う通り入れ食い状態だったから、ヤリたいときにいつでもヤレた。

 女性と触れ合うのは嫌いじゃなかったし、気持ちよくもあったから後腐れのない一夜の相手たちに満足していた。


 近づいてこない奴に関わるなんて意味がなかったから、俺を嫌うのを隠さない人との交流なんて初めてで新鮮だった。


 それに、最初はふりだと思った。

 駆け引きというか、俺を嫌うふりをして興味を引いているのかとも思ったが、


『日向を奪っていく人を、嫌い以外にどう思えと?』


 日和った脳内お花畑のキチガイ野郎。

 そんな声が聞こえてきそうな美月の顔に俺は自分の勘違いを恥じた。


 俺は美月も辰治さんも分かっていないと思っていた。

 日向の親権は絶対に奪われないと思っている、と。


 なにも分かっていないのは俺のほうだった。

 美月も辰治さんも分かっていた。


 日向の親権は、辰治さんが亡くなると同時に俺の両親がもつことになる。


 それに美月の意思はもちろん、日向本人の意思も反映されない。

 未成年の親権をもつ権利は叔母よりも祖父母のほうが強い、それが日本の法である。


『みっちゃんとずっと一緒にいたいけれど、仕方がないよね』


 それを日向も分かっていた。

 辰治さんの癌は彼の体を蝕み、当時彼は長くても一年の命だと言われていた。


 だから日向と美月にとってこの時間はお別れのための準備期間。

 ギリギリの状態だったところを無神経に触れた俺に、美月は日向のために平静を保っていたが、


『オジサンは一度誰かに真剣に、マジで、徹底的に怒られたほうがいいと思う』


 そういう日向に俺は美月と二人きりにされ、次の瞬間に俺の右頬に鋭い痛みが走った。

 平手されたと気づいたが、何も言えなかったのは、


『この悪魔!殺してやりたい!お父さんが死んじゃうたけでもつらいのに、日向も奪っていくなんて!何もできない気持ちがあんたに分かる?わかんないでしょ、私の気持ちも、日向の気持ちも。日向は泣かずに頑張ってる、まだ小学生なのに、だから私も頑張らなくちゃって』


『ご、ごめん』

『許さない!』


 初めて心から謝ったが、謝罪は秒で却下された。

 こうなると社交のマナー的なものは吹っ飛んで、美月への謝罪に何をしたらいいかと焦っていたらマンガやアニメで聞きかじった情報がバラバラバラッと脳内に流れ、


『気がすむまで俺を殴れ』


 懐かしアニメのワンシーンのような言葉が飛び出たら、


『それは、どうも、ありがとう』


 そういうが早いか、ジャッと砂利を踏む音がする。

 美月が近づいてきた思うと同時に腹部に衝撃が走って体の中の空気が逆流し、反射的に体を折ると顎に思いきり拳があたった。


 それなりに絡まれることもあって喧嘩と修羅場の場数も踏んできた。

 油断があったこともあっただろうが、想定外の攻撃力に膝をついた俺がみたのは、


『絶対に取り返す。どんな手を使ってでも、日向は私の大切な家族だもの』


 俺を睨みつけながら、透明な大粒の涙をボロボロと零す美月に、その猛々しい瞳に俺は心を鷲掴みにされた。


 この女が欲しい。

 この女に俺が欲しいと言わせたい。


 本能が吼えるような感じだった。


 この熱く潤む目に自分だけが映れたら。

 想像したら背中をゾクゾクと熱が這い上がった。


『俺と結婚してくれ』


 何も考えず、衝動のままにしたプロポーズは、バカにするなと左頬への裏拳と共に断られた。

 でもこれでネジが飛んだらしく、秒でふられたバカ野郎の俺はこれ以上落ちることはないと美月に猛アタックを開始した。


 幸い俺には日向という最強のカードあった。


 美月が大好きな日向は俺の味方だった。

 美月が一人になることを心配していた辰治さんも味方に引き込んで、二人は俺との結婚を押してくれた。


 好きとか愛してるとか会うたびに叫んだ、それが二十代半ばのとき。

 いやあ、若いってすごいね。


 何が決め手か分からないが、美月は結婚を考えるために彼氏と彼女になりたいと言ってくれた。


 有頂天でキスをして、調子に乗って舌をいれたら引っぱたかれて、「初心者相手になにしてくれてんのよ!」って羞恥と怒りで真っ赤な顔をした美月のカミングアウトに俺は幸せな気分だった。


 そんな俺に、父親がある仕事を命じた。

 ある国の政治に関わる仕事で、守秘義務などがあるから篠ノ井の者にしか任せられないし、その間は外部と連絡がとれなくなるという仕事。


 押してばかりじゃだめだっていうから、少し引いてみるか。


 そんなこと思いながら仕事の内容を説明し、『別に連絡できなくても寂しくないし』なんて返ってきた美月のメッセージにニヤニヤしながら日本を発った当時の俺を、俺はいまも殺してやりたいと思っている。


 恋愛初心者が下手に索を弄するから。

 引くにしても、タイミングと、外部との連絡がままならないところへの出張なんて疑うべきだった。

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