三十五歳でゲームオタク、昔の恋を引きずりながら十四歳の姪を育てています

酔夫人

第1話

 オフホワイトのシンプルなウエディングドレス。


 スッキリと纏められたすらりと背の高い花嫁の唯一の色は唇の紅。

 三本のカラーをまとめるブーケの白いリボンが揺れる。


 『永遠の誓いを あなたと』


 花嫁の赤い唇が緩くカーブを描く。

 それまでの冷たい冬のような印象が一転して春の温かさを纏う。


 白い手袋をはめた男の手に花嫁の手が重なって―――。




「あ、みっちゃんが出るって言ってたCMってこれだったんだ」


 日向の声にハッとして、


「さっくん、フライパン、焦げてるよ」


 俺は慌てて手元を見る。


 あー。

 目玉焼きと一緒に焼いていたベーコンはカリカリをこえて真っ黒だ。


「悪い。少し冷めてるが、そっちを食ってくれ」


 『仕方がない』という感じで日向は肩を竦めると野菜ジュースのペットボトルを持って、


「いただきまーす」


 席に着いて食べ始めた日向の姿に、元カノのウエディングドレス姿を見た衝撃が少し緩む。


 まあ、食べられないことはない。

 黒くなったベーコンをガリガリ削りながらフライパンから剥がし、ベーコンエッグを皿にのせる。


 朝食を作りながら飲んでいたコーヒーを一緒に持ってテーブルに行けば、日向はすでにパンを半分程食べていた。


 いつもより遅れたか?


 時計を見ればいつもと大して変わらない。

 そりゃそうだ、テレビに気をとられたといっても一分足らずの短いCMだ。


「知っていたのか?」

「うん。この前会ったときに聞いたし、ときどきオンラインお茶会してるし」


「どんな話をしているんだ?」

「こっちでの仕事が決まったから、しばらくはパリと東京を行き来したのち、夏頃から日本で暮らすとか」


 そう言って日向が手元のスマホを振ってみせる。


「は?言えよ」

「それは悩んだけどさ、みっちゃんの個人情報をアウティングしたらまずいでしょ」


「まあ、そうだな」

「私は二人と親戚だけど、さっくんたちは他人だし」


 他人。


 確かに“みっちゃん”こと倉持美月は日向の母方の叔母で、俺は日向の父方の叔父。


 日向の母親と生物学上の父親は結婚していないので姻戚ですらない。




 美月の歳の離れた姉の美陽みはるさんは体が弱く、出産が体の負担にもなって日向が一歳になる前に亡くなった。


 日向は祖父である辰治さんに引き取られ、高校生になったばかりの美月も一緒に日向を育てた。


 美月の家は旅行誌にも載る老舗旅館で、美月が学校に行っている間は仲居さんたちが日向の世話をしてくれたという。


 日向がおおらかに、伸び伸びと育ったのはそんな環境だったからに違いない。


 日向が七歳のとき俺と美月は出会うのだが、「お姉ちゃんも死んじゃうし、うちの家族ってしこたま運が悪いのよね」とこのときのことを語った。


 運が悪い。


 確かにそうかもしれない。

 辰治さんに悪性の癌が見つかった頃、日向も篠ノ井家に見つかった。



 篠ノ井家は、俺が言うのも何だがそれなりの家で、その本家の当主である父には俺を含めて三人の子どもがいる。


 日向の生物上の父親は死んだ長男。

 歳の離れた兄の誠一は、”誠”の字が裸足で逃げ出すほどのクソ人間だった。


 良いところとは容姿だけ。

 あとは殺人以外のありとあらゆる悪いことをしているような男だった。


 そんな誠一を両親は溺愛した。

 盲目的なこの溺愛を、俺の姉は『長男マジック』だと俺に説いた。


 姉は家族の中で唯一まともな人だ。


 兄に夢中だけならいざ知らず、「女では誠一のスペアにもならない」と言い切った両親に早々に見切りをつけた姉は、「政略結婚だけの私はあなたより楽よ」と俺に同情しながら嫁いでいった。


 幸いなことに姉の結婚は政略ではあったが恋愛にもなった。

 幸せそうで何より、である。


 ***


「優花さんとの食事って来週だったよね?」

「ん?」


 姉のことを思い出していたから、日向が『優花』というから反射的にビクッとする。

 三十半ばだというのに、母代わりでもある姉には頭が上がらない。


 そんな姉に日向は意外なほど懐いている。

 好きになる要素があるかって出会いなのだが……。


 「あんたに隠し子を作る甲斐性があったなんて。姉さん、感激」と失礼なことを言いながら俺の家にきた姉は、俺の説明を聞いて「こりゃまた最大の汚物を」と言ったのだ。


 姉が汚物扱いをしたのは兄が生前やらかしたあれこれだと俺には分かるが、当時小学生の日向に向かって言うものだから「おぶつ?」と日向は首を傾げていた。 


 姉は優花。

 本当に兄も姉も名が体を全く表していない。


「私の父って男がやらかしたことの後始末っていまだにあるんでしょ?この前もあの男の子どもがいるって連れてきた女がいたって聞いたよ」


「よく知ってるな」

「受付のお姉さんに聞いた。パパの息子だっていう人がきたって本当ですか?って目を潤ませて聞いたらペラペラと、会社の情報セキュリティが不安になるくらい聞いていないことも色々と」


 日向は自分の容姿が年上受けする可愛らしさだと理解している。

 そしてその武器を惜しげもなくぶん回し、周りの大人を都合よく使っている。



「あの男が死んでもう十年になるからさ、連れてくる子どもも十代じゃ嘘も難しいよね。さっくんの息子だって連れてくるならゼロから十歳くらいまでありなのに」

「それが戸籍上の父親に言うことか?そんな乱れた生活は送っていない」


「知ってるけどさ。毎日毎日会社と家の往復だけって、さっくんの生活ってもう枯れてるよね。優花さんも心配していたよ、このさき皐月は一生独り身なのかしら、困るわって」


 別に姉貴が困ることは……


「老後とか、遺産分配の泥沼とか、いろいろ言ってた。私にさっくんの世話をさせて悪いわねって最近よく言われる」


「世話って……世話かけるときもあるか」

「イベントのときとかね。さっくん、寝食忘れてパソコン画面にかじりついているし」


 ……すみません。

 自覚がある分、申しわけなさしかない。


「うちに連れ込まれてあれこれされてもイヤだけどさ」

「するか、そんなこと」


「別にいいんだよ、さっくんもいい年齢だし……あれ、もしかしてさっくんて魔法使いだったりする?」


 は?

 どうして魔法使……あ、三十までアレだったら魔法使いになれるってやつか?


「そんなわけあるか」

「まあ、そうだよね。さっくんなら入れ食いできるよね。後腐れのない一夜とかひと夏のとか、困ってなさそうだもんね」


 これ、中学生の姪と話すことか?

 それに、酷い言われように反論すべきなのに、反論の仕方がわからない。


「冗談だよ。さっくんはあの家から私を助け出してくれた王子様だもんね」

「もっと早く助けるべきだったけどな」


 魔法が使えれば、もっと早く助けることができて……。

 違う”現在いま”を送れていただろうにな。

 

 七年、いや、もう八年か?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る