月夜に染まる
月餠
第1話 陽に出会う
「わ、私、美術商をしています、ヒイラギと申します!ツクヨ・イザナ先生の素晴らしい作品を、もっと世に広めるお手伝いを是非私にさせていただきたく…!」
春の暖かい木漏れ日が窓から差す中、いつもの通り作品制作の一環で、紺青の顔料を作っている時に、その人間は突然やってきた。話す声は少し震えてうわずっていた。
私の家は森の奥にある。熊や虫達ならともかく、人間が訪ねてくるのは珍しかった。
なので私は作りかけのそれらを一旦傍に退かし、足りない椅子代わりの木箱を相手に渡して、小さな机に向かい合ってとりあえずこの人間の話を聞くことにした。たまにはそういう非日常があってもいいかなって思ったから。
「作品についてですが、梱包や展示、販売、発送も、全てこちらでご準備させていただきます。それと企画展や個展に関してですがそれも…」
人間は箱に座るとスラスラと説明をし出した。その説明は頭に台詞が全部入ってるかのように一つも澱みがなかった。すごいなぁ。でも私の頭にはその内容がちっとも入ってこない。結った髪の毛先をいじったり柘榴酒を飲んだりしながら聞いていたけれど、この人間の話してる声が段々小鳥のさえずりのように思えてきた。
その言葉と反対に、ギクシャクとした身振り手振りを交えて話すどこか愉快な姿を見ながら、私はとりあえずこの人間を観察することにした。
年齢は見た感じ20歳前後、肌は少々色が濃く、黒髪から覗く金の目元には黒子がある。立っていた時私より頭半分ほど上だったので、結構背がある。金の耳飾り、それに目の悪い人間が視力を調節するための器具…眼鏡というものを身につけているから、結構良いところの生まれなのかな。でもなんというか、簡単に押さえ込めそうな弱々しさを感じる。もし作品にするなら気質的にこういう人間がやり良いのかもしれない。
そんなことを考えていたら、人間は怪訝そうな顔でこちらを見た。
「あの…先生…?どうかされましたか…?」
「…ん?うん。ちょっとね。えーっと……ネコヤナギ君、だっけ?」
「あ、いえ、私はヒイラギです」
「ヒイラギ君ね。君さ、どこで私の作品を知ったのかな?展示とか、売りとか、私そういうのに出したことは一度もないと思うのだけど。」
「えっ!」
私の言葉に人間…彼は狼狽え始めた。黒髪の隙間から覗く金の目が、不安げにゆらゆら揺れる。その表情は間抜けてて、面白く思えた。飼っていた黒猫のティルを思い出した。
「そ、そんなはずは…私は、14の時…今から5年前に、ローズナールという街の…トラルメランという画廊で、先生の作品を確かに拝見しました。それで…当時そこの画廊の主だったカバネ・ヒイロさんから、先生のことをお聞きして、今回こうして参った次第で…間違えているはずは…」
「ローズナール…カバネ・ヒイロ…うーん…」
彼の言葉を反芻しながら、自分も腕を組んで記憶を辿ってみる。だけど画廊も、その人も、てんで思い当たらなかった。
「君が、誰か他の作家と私を勘違いしてるでもなくかい?んー…君が見たのって、どんな作品だったの?作品名とか、作品の雰囲気とか、わかる?」
「…『羽化』という作品名で…これくらいの大きさの、いろんな蝶の羽模様を組み合わせて描いた、大きな蝶の作品でした。ご存知ありませんか?」
「あー…ちょっとここで待っててね」
私は一度席を立って、作品を保管している倉庫から、彼が見たであろう作品のカンバスを取り出した。
この子は制作時期が5年前だし、作品名も大体の絵の内容も、彼の発言と一致している。
「私、作品の展示とか興味ないのになぁ…」
でもこの結果を見るに、本当に展示はしていたらしい。私が覚えてないだけかと思いながら、それを持って彼の元に戻った。
「君が言ってる作品って、これだよね?」
「そ、それです!すごい!あぁ、まさかまたお目にかかることができるなんて…!」
イーゼルに立てかけて見せると、彼は興奮したように声を弾ませながら近づき、太陽みたいに目を輝かせてまじまじと作品を見つめた。
「先生のこの作品を初めて拝見した時、俺、大変感銘を受けたんです!こんなに綺麗で素晴らしい作品があるのかって…衝撃的で、まるで時が止まったようでした…ああもう、本当に美しい…また見ることができて夢みたいだ…構図も色使いも、モチーフの扱い方も、全てが完璧すぎる…天才的だ…生命の力強さと蝶の繊細さを両立させた美しさがある…それにしてもこの羽模様すごい再現度だ…一体どうやって…」
私話さずとも、彼は1人であれこれ話していた。正直何を言ってるのか、8割方わからないけれど、その顔は嬉しそうというか、あんまりにもうっとりと幸せそうにしていたので、思わず笑ってしまった。
「あ…す、すみ、すみません…!お、俺、勝手にベラベラと話してしまって…!」
「ハハハ、はー…あー、いや、いいよ。今の君、はしゃいでる犬みたいで可愛かったから」
私がそう言うと、彼は青かった顔を真っ赤して俯いてしまった。
「……すみません…俺、貴方の…ツクヨ・イザナ先生の作品が本当に、好きで…作品が作れる先生のことも、とても尊敬していて…だから、どうしても、先生の作品の素晴らしさを、この美しさを、少しでも多くの人に見て、知ってもらいたいんです…どうかお願いします、一度だけでも、ご機会をいただけませんか…」
「……」
深々と頭を下げてきた彼の、その頭を眺めながら私は考えた。
私は、作品…あの子達の良さや愛しさは、命の形は、自分が1番に知っていればいいと思っている。私なりに、あの子達を作品として遺し、愛するという営みをしたいだけで、他者に自分の作品を広めたいとか、素晴らしいと思ってもらいたいとか、そういう気持ちは全くない。
けれど、彼の「反応」はなんだか面白いと思った。特に、コロコロとよく変わる表情は、見ていて飽きない。
「えーと、カシノキ君」
「あ…ヒイラギです…」
「ヒイラギ君。フフ…君の『お願い』、聞いてあげてもいいよ」
「!本当ですか!」
私の言葉を聞いてヒイラギ君はまた、無垢な花が咲いたような満面の笑顔になった。
「でも代わりに、私の『お願い』を聞いてもらえるかな?」
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