第8話 そして小舟は漕ぎ出していった

 耳元で髪を切る感触が続いている。髪の先に感触があるというのも変な感じだけれど。

 ハサミが擦れる金属音に紛れて微かに糸が、無数の細い糸が切断される。髪を手繰られて、引っ張られて切られる。その繰り返しの中で、自分が今どんな髪型になっていってるのか、シーカーラインとしてグレーの空間に描き出されていく。不思議な感覚。

 目が見えなくなってから身に付いたこと他にもある。自分に触れられた手が、その手の持ち主がどのような体勢になっているか、感触を通じてなんとなくわかるようになった。同じ柔道をやっている弱視者の中には"相手の骨が透けて視える"という言い方をするひともいる。触れられた場所を起点に自分のからだの一部が拡張されたように感じる。


れんくん、カット終わったから進めていくけど、ほんとにいいんだよね?おねえさんやっちゃうよ?」

「どぞ。お願いします」

「まあ、あいさんもそう言って預けていったから大丈夫だろうけど学校でなんか言われない?」

「ぼくの友達、みんな目が見えないんでバレないですよ」

「ぇえ~、そういう問題かなあ?」

「ふふっ」


 夏休みに入り、正直に言うと僕は浮かれていた。春、学校に入りたてのころの鬱屈とした気分はどこかに吹き飛んでしまっていた。盲学校特有の授業にもなんとか慣れてきたし、柔道クラブに入って友達も増えた。都会のドブの匂いも気にならなくなって、近所に親切なコンビニも見つけた。それもこれも、ゆいさんに出会ってからすべてがうまく回り出した気がする。そんな結さんと、今度は――。



「蓮くんどうしたのその緑頭みどりあたま!」

 朗読室に入ってきた結さんは、想像通りのセリフを想像通りのメロディーで奏でた。彼女の声質は同年代の女子とくらべて少し落ち着きがあって好きだ。


「髪、染めちゃいました!ライブ行くし」

「えっ、ちょっとまって校則とかだいじょうぶなの」

「だいじょうぶ・・・じゃないです!」

 彼女の深いため息が聞こえる。


「緑のメッシュを入れてくれたらしいんですけど、どうです?自分では見えないから」

「それは・・・うん、いい感じだとは、思うけどさ。びっくりしたー」

「愛さん行きつけのお店で入れてもらいました。夏休み終わるころにはまた黒に戻しますよ」

「ハハハ・・・。ああ、それはそうとフィラメンツのチケットってどういうこと?」


「あ、そうそう。これです!じゃーん」



    ※



 蓮くんが取り出して見せてくれた二枚のチケットはどう見ても裏面だ。手に取ってまじまじと読む。『フィラメンツ凱旋ライブ イン 川端シェルター』


「えっ、これって川端駅の近くにあるライブハウスだよね。ちいさなイベントとかやってる」

「そうらしいです。僕も詳しいことは知らないんですが。愛さんのお客さんに商工会の人がいて招待枠をもらったって言ってました。フィラメンツってこの辺の出身だったんですね」


 そう。フィラメンツは十年以上前にメジャーデビューした地元出身のスリーピースバンドで、今でこそメディアで名前を聞かなくなったけど当時は絶大な人気があったらしい。


「たしか結さん好きだったなと思って。愛さんにそう話したらチケットくれました」

「いいのかな、そんな簡単に」

「いいんですよ。それよか、いつからファンなんですか。結さん自身は"世代"じゃないですよね」

 グッと胸が締めるつけられる。

「・・お母さんが、元々熱烈なファンで。それでわたしも聞くようになって」

「え、あ、そうだったんですか。――じゃあ、結さんとお母さんと二人で行きますか?」

「ううん、うち母親と今連絡つかないから」

「あ・・そうなんですね。すみません」

「気にしないでいいって。それよりちゃんと、蓮くんつれていくからさ。フィラメの三枚目のアルバム。ジャケットの色に似てるし、その頭」

「ええー!?」

「ハハ。楽しみだなーライブ!ライブ自体わたしもはじめてだし。それにもう来月か。なにかグッズとか買おうかな」

 沈んだ空気を持ち上げる。無理なくちゃんと笑えたとは思う。それくらいに母の後ろ姿はもうぼんやりとしていて、はっきりと思い出せない。わたしは心臓に刺さったちいさな棘を意識しながら、フィラメンツの推し曲をしゃべり続けた。


「そうだ。こんな話しに来たんじゃなかった」

 わたしは家で一番大きなトートバッグからノートパソコンを取り出した。

「できたから。曲」

 ペットボトルの水を飲んだばかりだというのに、わたしの喉はカラカラだった。パソコンから曲が再生できるように準備をし、そっと蓮くんの手に触れる。微かに身構えたのが伝わった。イヤホンの片方を手のひらにのせる。


「じゃあ、再生するね」

「・・・はい」

 ここまで本当に長かった。父のアドバイスを受けつつ完成させた伴奏。本当の山はその後にあった。下着代を水増し請求して、小遣いとあわせてなんとか買えたボカロソフト"奏多かなた"は、調整次第で男の子も女の子も表現できる良ソフトだった。けど、そのぶん調整パラメータが複雑でまともに歌わせることができるようになるまで二週間もかかってしまった。今回の期末テストの順位が過去最悪だったのは勉強そっちのけで編集していたから、というのは内緒だ。

 だから。だからわたしは今、過去イチで緊張していた。ピアノの発表会だってここまでじゃなかった。わたし自身が品定めされるような気持ちだった。

 震える指で再生ボタンを押すと、何十回と聞いた電子ドラムの小気味いいリズムとアコーディオンの伴奏が耳に届きはじめる。


 歌うのは男の子。友達の女の子が、大事にしていた指輪を無くしてしまった。かわいそうに思った男の子が、その指輪と同じ色の宝石を探し求めて洞窟に入っていくという導入。見えない足元、手探りで奥へ進む。オオコウモリにも襲われ、縦穴に転落しそうになりながらもめげずに、ついに宝物を探し出した。ようやく地上に出たころには、その女の子のことが好きな自分に気づいた、というストーリー。れんくんとふたり、納得するまで四回も手直しした歌詞は、最初はイマイチかなあと思ったけど今では気に入っている。


「どう、かな」

 曲が終わり、まともに見れなかった蓮くんの顔をのぞき見ると、彼の長い睫毛に涙がたまっている。そして見つめているあいだにそれは流れ星みたいに頬の横を通り過ぎた。

「ほんと・・いいです。最高です」

「ちょ、どう。どうしたの蓮くん」

「すみません、ほんと良くて。なんか、ほんと良くて。曲、一緒につくって良かったと思います」

「お、おおげさだよ」

 といいつつ、わたしの胸はうるさいくらいにドキドキしていたし、ちょっともらい泣きした。打ち込み丸出しな伴奏に無調教のヴォーカル。演出も何もない編集。界隈で有名になっているボカロ曲とは比べものにならない。もう少しなんかできるんじゃないかと思ったけど、何度も何度も手直しして聞いているうちに愛着が湧いて、蓮くんも喜んでくれて、これはこれでアリなんじゃないかと思えた。蓮くんがやりたいことを手伝えて心底ほっとしたし、嬉しかった。


「これ、投稿しましょう。結さん」

「うん。それで、さ。絵なんだけどさ」

「はい? あ、動画だから絵をつけなきゃいけないんでしたっけ」

「そう。それで相談なんだけど」

「はい」

「愛さんにお願いできないかな」

「・・えっ?なんでですか?」

「だって愛さんの絵、めちゃくちゃかわいいじゃん」

「は? 絵、描けるんですか?」

 灯台下暗しとはこのことだ。

「蓮くんは見えてないから知らないのか。家にお邪魔したときさ、棚のところに全部、パンとかコーヒーとか、ちいさいイラストが描いてあって。それがすごいかわいいなって思ったの。あれは描き慣れてる感じだよぜったい」

 驚いた蓮くんはイスから転げ落ちそうになっている。彼はこのあと、固持する愛さんをなんとか説得して、物語にぴったりなかわいいイラストを一枚、描いてもらった。愛さんが高校の時に水彩画をやっていたというのはその後に聞いた話だ。



「じゃあ投稿、するね」

「・・はい!」

 その後、何度かのを経て、わたしたちの記念すべき曲『とれじゃーはんたー』は動画共有サイトにアップロードされた。それは、ふたりで手作りしたちいさなちいさな小舟だったけど、文字通り全世界につながる大海原に漕ぎ出していった。

アーティスト名は"れんP-feat 奏多かなた "。蓮くんは最後までふたりのサークル名にしようとこだわったけど、跳ねのけた。わたしは彼がやりたいことを手伝っただけ。ひとりだったら曲をつくろうという発想すら持てなかっただろうから。



    ※



 小脇に蓮くんを伴って、暗くなりつつある駅前をふたりで歩く。通りの飲食店やゲームセンターがとりどりの色を放っている中で、ライブハウス「川端シェルター」は質素な看板を掲げていた。

「たぶんここだ!お店は地下にあるみたい」

「はい」

 蓮くんは緊張しているのか少し口数が少ない。その代わりと言ってはなんだけどわたしは興奮気味で、歩くスピードもいつもより速かったかも知れない。道中で彼を何度かつまずかせていた。蓮くんの今日のコーデは図書館にくるときのラフな格好ではなく、白っぽいTシャツの上に半袖のジャケットを着こんでいた。愛さんが選んだのだろうか。カラーメッシュの髪も含めてセンスがいい。わたしは、というと普段履いているジーパンによそ行きのチュニックを合わせてきただけだ。浮いてしまったらどうしようと少し心配だった。

 狭い階段を慎重に降りる。だいぶ早めに到着したからか、薄暗い店内はまだお客が少なめだった。これならなんとか良い位置を確保できそうだ。お店はワンフロア型で出入口に近い場所にバーカウンター。一番遠い場所に舞台が見えた。

 チケットにはワンドリンクが含まれていたけど蓮くんもわたしも手が塞がってしまうので諦めた。入り口付近の空きスペースでは物販が始まっていたので、テンションの上がったわたしはラバキーをひとつ購入した。バンドロゴの入った四角いゴム板の下にちいさな鈴が付いたものだ。振るとちいさな高い音でシリシリと鳴った。となりで静かにしていた蓮くんはそれを「星が降るみたいな音」と表現した。


「前の方、ファンTを着た人たちがかたまってるね」

「けっこう盛り上がってる雰囲気ですね」

 少し休憩をして、場所取りで並んだのは前から四列目くらいだった。三十分前にもなるとフロアいっぱいに人が詰まり、熱気と湿度がエアコンの風を押し返している。徐々に膨らんでいく不安にも似た解放の予感が心臓のリズムをあげていった。ふと、この場にお母さんがいたらどんな顔をしただろう、と思った。年甲斐もなく紅潮した頬で初期のフィラメ話をしてくれたかもしれない、のに。

 ついに舞台に照明が灯り、舞台袖から三人が出てくる。人々の期待と興奮が混ざった声が天井に向かっていく。空気を切り裂くように突然始まったギターのソロがフロア全体を制圧していった。



ハロー 愛しき人

水たまりに映った君の笑顔 泡のように抱いて

耳を塞いでも聞こえてくる雑念はビルの隙間へ

ああ、伝った涙の意味ひもとけたなら

目覚めるたび 同じような生活の中で

見つけたい 見つからない 相変わらずのメロディー


ハロー 愛した人

求めては消える過去 くるおしく抱いて

耳を塞いでも聞こえてくる別れの声浮かんで

ああ、鮮明に映った色 思い出せたら

目覚めるたび 同じような生活の中で

変わらない 変えられない 願いを込めたメロディー


” フィラメンツ ” 『彩影』

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