第6話

 戦いは終わった。

 誠とリサは、この失態を、作業所の皆に見られて、冷たい視線を感じると、心が引き裂かれるほど辛くなった。

 リサが誠に、悲しそうに声を掛ける。

 「負けちゃったね」

 「ああ」

 誠は、リサの視線を外しながら、呆然とした顔をして、悲しそうにしていた。

 誠は、明らかに、打ちのめされていた……。


 リサは思った。

 ……マコたんは、私が守る……

 リサは、誠の肩に自分の肩を寄せて、何も言わずに、誠の悲しみが言えるまで、ジッと、そうしていた。

 誠は、悔しくて情けなくて、リサに気づかれないように、一粒涙を落とした。

 リサはそれに気づいたが、見て見ぬふりをしていた。

 リサは思った。

 ……涙が流れるほど、一生懸命に努力したんだね、誰にでも出来る事じゃないよ……


 すると、誠の心は、男のこころの奥深く世界にあるという、ヒーロー惑星に旅立った……。残されたリサは、「えっ」という感じで、誠の心が、自分の手の届かない所に、行ってしまったと号泣した……。

 気が付くと、リサの傍らに綾香がいて、リサを慰めた。リサは、綾香に訴えた。

「彼のもとで、彼を慰めてあげなくちゃ……」

 綾香は、首を振った。

 「誠の心が、私達の所に、帰ってくる事を信じましょう」

 リサは、それが正しい事だとは思わなかった。

リサが、思ったことは、誠の元にいて、彼の悩みを、聞いて、慰めて、応援することだった。


 でも、心の奥深いヒーロー惑星に行った誠と交わす、リサの交信は、ままならいでいた。

 リサは、それが、悲しくなって涙を流すと、そばにいる、綾香も一緒に泣いた。

 リサは、やがて落ち着くと、綾香の話にコクリと頷いて、誠の様子を、遠くから見守ることにした。


 それからの誠は、魂の抜けた虚ろな人間になった。

 作業所のみんなは、誠の余りにも不甲斐ない様子を見て、呆れると、相対的に、猪熊の株が上がっていった。

 ……我らのボスは、猪熊様だ……

 その結果、誠が、一生懸命作ってきた仲間、「マコたん・ブランド」は、猪熊によって、音を立てて崩壊した。

 誠は、「マコたん・ブランド」の再起を、はからねば、ならなかった。だが、誠は、自ら行動を、起こす気にはなれなかった…。


 支援員のソルトさんは、知らぬぞんぜぬで、臭いものに蓋で、この行為を黙殺した。事務室では、この件について有効な手が打てなかった。


 誠は、思い知った。

 ……どうせ、また、幸せの果実を作っても、猪熊やその二番煎じの様な奴らに、取られてしまう……

 誠の心の中には、猪熊の恐怖が、心のキャンパス一杯に、シミついていた。


 その頃、悠作と綾香は、元気のない誠の代わりに、他愛の無い会話で、仲間達を楽しませたり、皆で作業を行い、作業の後は、皆でトランブ遊びをして誠の穴を埋めていた。


一方、誠に勝った猪熊と言えば、得意絶頂になって、ガゼンと、気持ちに勢いがついた。

猪熊は、作業所で朝から、「俺は、『ボス・キャラ』で、とっても偉い人間だ……」と、思わせる、嘘八百の武勇伝を、作業所「ハトさん」の皆に話してご満悦だった。

 何も知らない、作業所のみんなは、猪熊の業績に、感嘆の息を漏らした。

 猪熊は、それが、嬉しくてたまらなかった。


 そんな、中で、誠は、猪熊と反対に、自分の心の弱さに、独り密かに苦しんでいた。    

 誠は、猪熊に、敗れると、大切に築いてきたモノ全てを、失いない、すっかり、気持ちが落ち込んでしまった。

 誠は独り寂しく冬の寒さに震えていた。寒さに耐えながら、自分の苦しみについて、あれこれ考えていた。

 誠は、自分のやりたいことや、現実では何ができるのか? 考えても、それを覆す、答えがでず、2つの狭間で、揺れて、苦しんでいた。

 ……自分は、無力な人間だ……


 誠は、深い深呼吸の後、自分の家の部屋で、コタツのツマミを回して、その中を熱くして寒さをしのぐ……。

 誠は、その後、手を伸ばして、卓上鏡で、自分の顔を見たら無精ひげが生えていて、少々疲れている様に見えた。

 誠は、その顔を見た時、過去の辛い経験を、はっきりと、思い出して消沈した。

 それは、一般社会にいた時、ルールを作る事のできる強い人間に、エデンの園から排除された経験だった。

 猪熊の背後には、何か得体のしれないプレッシャーを感じる。それはきっと、支援員さん達の様な、ルールの作れる強い人間のことだろう……。


 そういう人たちのバックにあるのは、大勢の大人であり、世の中である。

 世の中がおかしいとは思わないが、精神障がい者になって自己決定力を失った、誠の感覚では、社会人の時より、今まで生きてきた方が、生きづらさを感じる事が多い……。


 誠は、猪熊の背後にある恐怖の源泉を知っている。

 猪熊に対して、どうするかは、猪熊だけでなく、その上のルールを作れる強い人間である、支援員さん達の「容易に、知ることの出来ない考え」に影響される。

 誠は、考えた。

 猪熊に対抗した誠の力の源泉は、漬物切りの仲間たちであったが、その源泉は、猪熊とその仲間に奪われた。


 誠は認める。

 ……俺は、弱い……

 誠は猪熊との戦いで落ちぶれた、自分の事を、仲間達は、蔑みの目で見て、自分を嫌らっているのだろう……。

 誠は、そんな風に思って、悲痛な思いを抱いて自分の殻の中に閉じこもっていた……。


 リサは、誠の友達の悠作の所に行った。

 悠作に、誠を励ましてくれる様にお願いする為だ……。

 リサは、悠作を見つけると、強引に話し始めた。

 「悠作、マコたんを、励まして……」

 悠作は、リサの強引な話に肩をすかして見せた。

 「そうね、リサポンの気持ちは、分かる…けど、これは、マコたんの問題で、僕が、どうこう言える問題ではないんだ……」

悠作は、細い目をして、ふっと、息をついた。

 「リサポンって、誠を、愛してるんだね……」

 「はあ?」

 リサは、真っ赤な顔をした。

 「僕は、マコたんが、どんなに苦しくても、みんなの所に帰ってくる事を信じている」

 リサは言った。

「私だって、信じている……けど……」

 悠作が見たリサは、けなげで、とても痛々しかった。


 悠作は、遠いヒーロー惑星を見上げた。

 ……マコたんは、苦しんだね、寂しいんだね……わかっているよ、でも、僕は、あんなに学んでも、どうしていいのか、分からない……僕は、マコたんを、見守っているだけしか、できないなんって、僕も辛いんだ……


 そこには、絶望しかなかった。

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