作業所「ハトさん」
@yokocyan-26
第1話 始まり
夜が白み始め、やがて昨日と同じ様な、一日が再び始まる。
主人公の平野誠は、目が覚めて、半身を起して、ベッドサイドにある、金属製のパイプの手すりをつかんだ。
……冷たい……
誠は、手を引っ込めながら、窓の外を見た。
窓の外に見える木々を見て、夏の頃は、あんなに新緑の緑に溢れ、生気のある木々だったのに、冬になった今では、生気を失った、大地に、むき出しなっている木々の枝の様子が、彼に死後の世界を想像させて陰鬱な気分にさせている。
誠はフラフラと、家の台所に行って、朝食のごはんを家族と一緒に食べた後、出かける準備を始めた。
リックサックに、筆記道具を放り込んで、リックを背負うと、誠は、玄関を飛び出して車に飛び乗った。
誠の向かう所は、世間一般の普通の会社でなくて、精神障がい者達が、集まる所である。
なぜ、そこに行くのかというと、彼は精神障がい者だからである。精神障がい者は、虐げられた歴史があって、一昔前、ならば、病院に押し込まれて、そこで、一生暮らすしかなかった。
しかし、最近の精神病の潮流で、精神病を抱えた人達は、病院から出て、一般社会で、健常者と共に暮らす社会にしようと言う、機運が少しずつ高まっている時代だからである。
ただ、そうは言っても一般の健常者の中には、精神障がい者を、理解が出来ない人達もいて、スンナリトはいかないようだ……。
そこで、最終目的の社会復帰と病院との間に、ある程度症状の安定した精神障がい者が集まる、中間施設が出来るのは、当然の成り行かも知れない……。
そういう場所を、「○○作業所」と言って、全国のあちらこちらに出来ている。
作業所『ハトさん』も、その流れに合わせて、何年も前に開所している。
そこでは、病状が安定している精神障がい者が集まって、月曜から金曜までの間、内職の作業を軸に、支援員と呼ばれる職員と共に、精神障がい者の抱える色々な悩みに折り合いをつけながら暮している。
誠は、車のシートに体を沈めて、寒風が吹きつける中、地域活動支援センター作業所『ハトさん』に向かった。
誠には、夢があった。
……立派に社会復帰を果たし、その手に、ビックマネーを掴み、愛する人と共に、幸せに暮らす……
それは、思った様には、叶わない事に気付かない訳ではないが、だからと言って、代替の夢も、浮かばなかった。
そんな、叶え難い夢を、実現する為には、そこに、繋がる、下位の目標を、誠は、打ち立てることが必要だった……。
……「リーダーシップ」を発揮して、内職作業の生産を、上げて、その成果を、今まで馬鹿にした、奴らに叩き付けて、見返してやりたい……
そんな風に、夢に繋がる「下位の目標」を、誠は、打ち立てた……。だが、薬で、ラリッている、一介の精神障がい者の誠に、それが、出来る訳がなかった。
それでも、そうする事によって、誠は、「人は変われる」と信じて、どんな風に、変わればいいのかも分からず、細々と、そんな所を目指していた……。
車は、K市の駅前の中心街を外れて、郊外に走って行くと、誠は、程なく作業所の駐車場に到着した。
建物の周りには、作業所にしている家を貸している、大家さんの畑がある。そこで、採れた青菜を、大家さんが、時々、差し入れしてくれる。そんな、大家さんの作った、雪堀大根は、ビミな味がする。
大家さんの近所には、精神障がい者の理解がある。
誠は、そこから少し歩いて作業所の門をくぐると、風除室を通って玄関の引き戸を開けた。そこに、友達の鍋島悠作がいるのを見つけた。悠作は、上着にヤッケの防水コートを、着て、下は、ゴアゴアの茶色のズボンをはいている。
小柄に見えるやせ気味の体型に乗った頭は大きく、顔は、青い血管の浮き出た広いオデコに、銀縁のメガネをかけて、如何にも賢そうな雰囲気を醸し出している。
「お早う、悠作」
誠は、中にいた、悠作に挨拶をした。
悠作は、視線を誠に向けて、にっこり微笑むと……。
「お早う、マコたん」
そういって、お互いに、朝の挨拶をして、仲良く二人で、休息室に向かった。
休息室には、3,4人の作業所の利用者がいた。
その中の利用者の純と光ちゃんが、話していた。
「就活したけど、ダメだった、精神障がい者は、どこにも(会社に)行けないんじゃないか」
彼は、大きな体を丸めて、両腕を両足の内側収めて小さくなっている。同じ傷を持った、利用者の純が、光ちゃんに、やさしい言葉をかける。
「ここでゆっくりして、また探したら?」
光ちゃんは、青い顔をして、激昂する。
「そういって、俺は、何年我慢してきたんだよぉ!」
光ちゃんの激昂が収まると、カクカクと、動きながら大人しくなった。
光ちゃんの気持ちがわかる、利用者達は押し黙り、その辺一帯に、暗い空気が包んだ。
その時、休憩室につながる廊下の先の、ロッカー室から、白熱電球の明かりが、休憩室に漏れてきた。
周りの数人の利用者が、そっちの方を見た。
そこに、可愛い女の子がいる。
ここの作業所の人気者の飯島綾香である。
女性のわりに長身な綾香は、赤と白のラインの入った、フカフカの毛糸のセーターに、暖かそうな裏地のついた茶色のズボンを履いている。
ここの利用者の中に何人か、綾香の好きな人がいるのを知っている。
ただ、誠は、綾香とは、年の差があって、年上の彼女との間に距離がある。
「寒いですね」
綾香の愛らしい、声がする。
みんなは、綾香に気づいて、口々に親しみを込めた、挨拶をする。
「あやかさん! お早う」
満更でもない綾香は、みんなにニッコリと、満身の笑顔を浮かべた。彼女の存在が、利用者達の清涼剤になって、そこ老若男女に関わらず、愛らしい姿を見たものは、微笑ましさを感じてさせている。
綾香さんを好きな人達の中に光ちゃんがいる。ちょっと、太り気味だが、ネガテイブナ・思いが少ないのか? グリーンの色の服を好んで着ている。
特徴的なのは、光ちゃんの動きが、カクカクしていて硬い所である。
そして、いつも、静かにしていたかと思うと、「そうですよね、そうですよね……」と、言って、助走をつけて、ラインを踏み切ると、思い切り「ははっは」と、大声で笑い、相手を笑わせようとするが……。
光ちゃんは、いつも、そこで、気の抜けた風船のように、力尽きてしまい、再び、大人しくなる。
たまにしか来ない人たちがいる中で、誠は、悠作、綾香、光ちゃん達が、『作業所ハトさん』に、頻繁に通って来るので、何となく、彼らと気心が知れている。
誠は、悠作の隣に座ると、綾香に、そばに来る様に呼んだ。
「あやかさん、こっちに来ないか?」
「ええっ」
安い女じゃないよと、お高く留まったが、嬉しそうな誠の顔を見て、(何かあるのかな?) 淡い期待をすると、綾香は、誠の傍の少し離れた所に座った。
光ちゃんは、そんな誠の様子を羨ましそうに見ていた。
「光ちゃんもこっちに来る?」
悠作が、光ちゃんを誘った。
「はい」
そういって、カクカクと動きながら、誠の正面に座って、睨み付けた。
悠作は、この展開を、陰でクスクスと笑っている。
誠は、光ちゃんを無視して、仲間たちに朝見た、ニュースの話を始めた。
「ニュースを見たんだけど、フィギュア・スケートの大会で、羽生結弦さんが、クルクル回って……」
悠作も話す……。
「そうそう、四回転ジャンプや、三回転、三回転半のコンビネーションジャンプを、決めて優勝したのを見て、とってもカッコ良かったー」
仲間たちは、「うん、うん」と頷いた。
そんななか、光ちゃんは誠に対して挑戦的になる。
助走をつけて、「それがどうしたん」と、でも言いたかったのか?
「そうですね、そうですね」
そう言って、闘争心を高めて、誠をじっと見た。すると、殺伐とした空気が、仲間たちの辺りに漂って、何か起こりそうな奇妙な興奮を感じ始めた。
その時、事務所の部屋から電話のベルが鳴った。
支援員さんたちは、別の対応をしていて、電話のベルは、中々鳴りやまなかった。
仲間達も、喋るのを止めて電話のベルに聞き耳を立てた。
すると、誠は、そのようすを見て、仲間たちの前でボケをかました。
「今の電話に、電話だけに、中々デンワ……」
仲間たちは、誠のボケにあ然として、フリーズする。
すると、悠作が、大きな頭を後ろに、のけぞらせて、「ははっは」と、大笑いすると、仲間達は、顔を見合せて、「あははっは」と大笑いした。
その事で、光の挑発的な勢いは、風船の空気が漏れて、小さくなる様に萎んでいった。
作業所『ハトさん』では、何も起こらないのが、何時もの日常だった。
綾香は、そこで、最近、支援員さんから聞き出した、『作業所ハトさん』のニュースを、仲間たちに言った。
「そういえば、今日、新しい利用者が、入ってくるんだそうです」
「そうなんだよ」
悠作が答えた。
綾香は、体をモジモジさせながらコメントする。
「いい人だといいわね」
「うん、うん」
誠は、綾香の意見に賛同した。すると、カクカク動いている光ちゃんに、仲間たちの視線が集まった。
「そうだね」
光ちゃんは、それだけ、仲間たちに言って、黙り込んだ。
仲間たちの輪は、その後、自然に消滅した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます