引き潮のガラスの入り江のつゆの朝 半世紀前の自由の森から

第62話 長靴を封印した幼児の行く末

幼少期、彼は長靴を好んで履いていた。

雨の日だけではない。

晴れた日でさえも。

別に、農作業などでいるわけではない。

ただ、好きだから履いていたのである。


両親のもとを離れ、頼みの祖父母も死した。

彼は岡山県に孤児扱いされ、岡山市内に送られた。

そこは、養護施設という場所だった。


晴れた日は、普通の運動靴。

しかし、雨の日は、長靴での通学。

いつしか彼は、その長靴を嫌うようになっていた。

中学校は自転車通学。長靴など使う余地もない。

そこから先、彼は長靴をはいたことも、ない。

長靴が必要な仕事にでもつけば、話は別だったろう。

だが彼には、長靴が必要になることなどないまま。

数年前、雨の日対策のビジネスシューズを買った。

長くはないが、強いて言えば、それが長靴か。

今日に至るまで、彼は長靴に御縁がないままである。


彼は、長靴を手放した。手放さざるを、得なかったのだ。

幼少期、両親の揃っていた頃の幸せとともに。

そして今も、準戦時体制的な人生を送っている。

そこには、長靴の出番など、どこにも、ない。


それが、彼のおかれた現実なのである。

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