高校生になって楽しみなコトは、車に乗れるってコトなんだけど、、、えっ?じいじの頃は、高校の送迎はどうしてたの?
ちっちっちー
第1話
長い眠りから覚めたらしい。
さっき、ガーンとぶつけられた記憶はあるが、その割には痛みは感じない。でも異様に身体がこわばって、思うように動かせない。
う、う、っとベッドの上で手を動かそうとする。しかし動かない。 布団ってこんなに重かったかな。いや、布団どころじゃない自分の腕が重い。
それにしても身体中にチューブやら何やら邪魔なものが張り付いてるな。
そして看護師さんが大慌てでやってくる。
「お目覚めですか?」「お名前、言えますか?」
何でこんなこと聞くんだろう?だけど思いのほか声が出せない。 ろれつが回らないというか、そんな感じだ。この後家族へ連絡するという。
いろいろ考えたかったけど、しばらくして医師が集団でやってきて、驚かないようにと現状の説明をしてくれた。
驚かないようにと言われても、驚くことに俺は27年眠り続けていたらしい。
記憶の上では44歳だったから今は71歳ということだ。
働き盛りと思っていたが、気が付くと立派な老人だ。いわゆる前期高齢者だ。年金をもらって暮らしているイメージだ。困った。まだやり残したことがある。
数日して、少しずつ流動食も摂れるようになってきた。そろそろ落ち着いただろうと医師の面会許可が下りて、家族がお見舞いに来てくれた。
「じいじ、はじめまして。僕は孫のミノルです。」
一瞬時間が止まったかと思った。長男のアキラかと思わしき少年が孫という。
先ほど看護師さんから現在の家族構成を聞いていた。俺には高二の長男アキラと中一の次男ヒロキという二人の息子がいた。どうしているかと訊くと、今は二人とも家庭を持った立派な社会人ですよ、と笑って答えてくれた。だから心づもりはしてきたはずだが。
長男のアキラはちょっとやんちゃで勉強嫌いだけどなぜか成績が良く、外面がいいため教師からも概ね好感を持たれていた。
そんなアキラの息子から「じいじ」呼びされちまった。
いやいやアキラの子だけではない。次男のヒロキに至っては、俺の記憶の中では中学校に入学したばかりで声変わりすらしていない、のだが・・・。ヒロキの子どもに会うのがちょっと怖い。
今は3月末。病室の窓からは桜が見える。
さてミノルだが、今年中学を卒業し、高校入学を待っているところ。
両親(俺からすると息子夫婦ということか)は仕事ということで、日中にひとりでやってきた。
はじめは緊張している両者だが、やはり血のつながりなのか、数分のうちに打ち解ける。
雑談するのも楽しい。祖父と孫であるが、俺の精神は44歳で止まっているので、親子の感覚なのか。しかし、息子に対してはこんな緩やかな時間を取っていなかったと反省する。
そして、ミノルは話す。
「あのね、明後日から車の免許取るために高校で集中講習を受けるんだ」
「え? 車の免許?まだ15歳だよね?」
「えっとね、じいじが寝ている間に道交法が変わったんだ
通勤通学だけに使うという縛りはあるけど、高校生になったら一人乗りの自動運転車限定だけど車の免許を取ることができるんだ
だから昔のように18歳以上とかじゃなくて、15歳以上で高校入学時なんかで一斉に講習を受けるんだ」
「ふーん
じゃあ、進学しても親が送迎することはないんだ」
「うん、そうだよ」
ずいぶん変化があったものだ。それにしても送迎の手間が減るのは助かる。アキラの通う県立高校はバス路線の不便なところにあり、毎日妻と役割を決めて送迎していた。幼稚園や保育園の送迎バスを見かける都度、高校にもないものかと本気で羨んでいた。
自動運転の技術は急速に進み、基本的には行き先を入力したら到着まで自動で運転してくれる。だからハンディキャップを持った方でも乗れる。
そう言えば自動運転の技術そのものは、その頃にもあることはあったんだよなぁ。ただ、頭の固い老害、いや偏屈爺、じゃなく古き良き時代の立役者たちが難癖付けて実用化させなかっただけで・・・。
一応は制限があるという。高校生は通学のみのシェアカーしか使えない。つまり個人所有は認められていない。だから学校の休みにクラスメイトとドライブに行くことはできない。
車の所有は旧バス会社やタクシー会社等が名乗り上げた公共交通会社であり、自動で会社に戻ってきた車を点検したり整備するのは担当の公共交通会社の役割となる。
利用料は距離に応じて月額払いで支払う。保護者からすると通学定期と思えばいい。所有制限の理由としては、いくら一人乗りとはいえ各学校にその駐車スペースがないということ、そして個人所有させるといくらでも好きなようにカスタマイズして、それがエスカレートしてしまうおそれがあること。
そして隠れた一番の理由だが、導入によって収益減になると予想されるバス会社やタクシー会社の利権を守るためとのことである。
もちろんハンディキャップ者用はそれぞれに合わせなければいけないので、所有も認められているし、なんなら介護者同乗用の二人乗りも認可されている。
「ほう、うまく考えたもんだ
だけど、通勤通学って一斉に移動するだろう?
そのために車を相当数確保しないといけないからその公共交通会社の負担はおおきくないか?」
「これがねぇそうでもないんだよ
高校ごとに話し合って始業時間をずらしている
7時始業の学校もあるし、9時始業の学校もある
部活の朝練なんかで6時半に学校到着なんて生徒もいるんだよ
これをうまく計算して、大体1台で4人を廻せるくらいで使用しているんだ」
駐車場の確保、通勤通学ラッシュの緩和のための学校ごとのフレックス導入、
どこを取ってもWin-Winの制度は誰が考えたやら・・・
「あ、これね、ばあばだよ」
へっ?
由里子が?
由里子はPTAだとか子育てのボランティアなどをよく頑張っていた。俺の仕事の都合上、勤めに出ることは叶わず、立場上秘書補助をやってもらっていた。といっても仕事量はかなりあったと思う。だから行政民間問わず顔は広く、また、人望も厚い。
ミノルの話によると俺が倒れた後、由里子は相当頑張っていたらしい。特に交通事故などで働き盛りの親を亡くした家族の支援についてはそれだけでも素晴らしい功績だ。
ほどなくして、面会時間は終わり、ミノルは部屋を出た。
今日の面会はちょうど家に居たミノルだけで、明日以降、皆が調整して無理がないように来てくれるらしい。
さすがに体力がないのか眠気には勝てず、いつのまに微睡む。
俺は地方国会議員、いわゆる代議士である。祖父のころから政治家というものを世襲でやっていた。
別に政治家になることが嫌だと思ったことはない。ひと言でいえば家業なんだろうな。社長の息子が会社を継ぐのとなんら変わりない。
ところで、俺は政治家とは御用聞きだと思っている。あの日もある交通会社の組合から「昨今の交通事情で経営が苦しい。なんとかならないのか」という陳情の会合に顔を出した帰り道だった。一台のタクシーが後部座席に乗る俺の車の脇腹に突っ込んだ。よりによって先ほどの会合のリーダーとなっている会社のタクシーだった、とは後日知った話。そんな事情から俺は27年ほど植物人間だったらしい。その間に残念ながら親父は既に亡くなり、老母は老人ホームに入居しているとのこと。
退院したら、お袋に顔見世なきゃいけないな。
それより、俺が動けないときを守ってくれた由里子に感謝を伝えることが先か。
ひとつひとつ、やるべきことリストを昔のようにまとめようとするも、メモも取れず思考はあっち行ったりこっち行ったりでうまく整理ができない。
そうこうするうちに、次に誰が会いに来てくれるかがちょっぴり楽しみで、俺は思考を手放すことにした。
生きていることに感謝だ。
高校生になって楽しみなコトは、車に乗れるってコトなんだけど、、、えっ?じいじの頃は、高校の送迎はどうしてたの? ちっちっちー @chicchicchi
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