大和型戦艦4番艦 帝国から棄てられた船~古(いにしえ)の愛へ~

花田一晃

第1話~東北大震災~

東北自動車道の菅生PA下りを過ぎた辺りを、ネクスコEASTの道路巡回車が走っていた。

1週間前に発生した未曾有の大地震で、高速道路は補修が必要な箇所が多々あり、通行車両の制限について政府より通達が発せられ、緊急車両だけに限られていた。

現在、菅生PA近くで高速道路を走っている車も、他県の警察、自衛隊、消防の車両が多く見られた。

(道路巡回車内での会話)

「まだ寒いっすね。顧問、奥様と連絡は取れたんですか?」

「いや、…まだ。」顧問と言われた男は、明らかに憔悴した顔で答えた。

「これから気仙沼(市)へ(奥様を)捜しに行かれたらどうですか。しかし、何で(奥様と連絡が取れず)大変な時に(高速道路の)状況確認へ行きたいと急に言いだしたんですか。道もまだ仮復旧のところがありますし、まだ危険ですよ。」

20才後半の相撲取りのような大柄な若手社員がハンドルを握りながら問いかけた。

高速道路の路面からはゴトンゴトンと鬱屈した振動が車の座席に伝わってきた。

「物資を積んだ民間車両が,いつ高速道路を通れるか(道の状況を)確認したかったのです。」

80才過ぎに見られる顧問と呼ばれた小柄な老人が、そう答えた。

この老人、顔に特徴があった。右の額に刻まれた古傷。そして鼻を横一文字で切り裂かれたような古傷がもう一つあり、見方によっては反社(ヤクザ)の親分に見える。


老人は思い出していた。

今から1週間前の3月11日14時46分 仙台市青葉区にあるネクスコEAST東北支社で会議に出席していたところへ大震災が直撃した。

その頃、気仙沼の自宅には妻が一人でいたはずだったが、電話をしたが全く連絡が取れなかった。

直ぐに自宅へ帰りたかったが、地震による高速道路の状況確認等の仕事があり、自宅へ帰ったのは、二日後の朝だった。

気仙沼市内の海岸沿いは、あるべきところに何も残っていない変わり果てた様子に老人は呆然とした。

平屋建ての自宅は流されていて、住宅の基礎跡しか残っていなかった。

近所に住んでいた人や知人等を捜し、妻の行方を知らないか聞いてみたところ、たった一人だけ知っている人がいた。

その人の話を聞くと、妻はみんなと一緒に高台に避難しようとしていたが、途中で急に家の方向へ戻って行ったと。

それから昨日まで寝る間もなく妻を捜したが見つからなかった。

震災で会社の皆が高速道路の復旧に頑張っている中、一人だけ特別扱いは出来ないと今日から出勤したが…。もしかしたら、この現実を忘れたいのかも知れない…。

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